ユースティアはくしょん
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異様な熱気が顔を覆う。アルデスは照り付ける太陽の下で、額に光る汗を拭った。
訓練場にはまばらに人が散らばり、各々の技を磨き上げている。
休暇なんて必要ない。休めば休んだ分だけ周りに置いて行かれる。
事実はどうあれ、彼はそう確信をもって、貴重な休暇も鍛錬に費やしている。
強さが、戦う力が、何者にも屈せぬ力が、アルデスには必要なのだ。
(もう、もう二度とあんなことは……!)
血が出るほどに唇を噛み締め、自らの過ちを脳内で反芻する。
アルデスをかばい、鮮血を散らす上司。
愚かな行為を叱咤する同僚。
こちらを嘲るような目で見てくる他人。
弱さだ。
(俺が、俺だけが間抜けでバカで弱いからだ)
鉛のように重い腕を振るう。
仮想の敵を想像し、その敵を討ち取るイメージを作る。
ただひたすらに敵を圧倒する力があればいい。
強ければ、誰も傷つかない。誰からの失望も受けない。
強さ強さ強さ強さ、強さ。
そうだ全て強くなればいい。
力を手にするという欲望を込め、鉛のように重い腕を闇雲に振るう。
余すことない全身全霊を込め――
「やめておけ」
圧の籠った声が、鼓膜を揺らす。
まるで肝を掴まれるかのような、圧迫感に思わずアルデスは身を固めた。
手から剣がスルリと抜け、地面に転がる。
重厚な金属音を聞きながら、呆けた脳みそのまま声の主を確認した。
「……誰がどう見ようがオーバーワークだ。少し休め」
黒髪の男がアルデスの拾った剣を拾い上げる。男の一切の無駄なく鍛え上げられた肉体には、数々の傷跡が散らばっている。彼が数々の戦場を駆け抜けてきた強者だと一目でわかる。
アルデスはその強面の男のことを知っていた。いや、ナイツロードに所属する者なら、知らぬ者の方が稀であろう。
「グーロ・ヴィリヴァス……」
「……」
若輩で未熟な自分が話しかけられるとは、夢には思わなかったアルデスは、思わず男の名を口からこぼした。
グーロは黙って鋭い目つきでアルデスを睨む。
睨まれたアルデスは、肩で息をしながら、話しかけられた理由を探す。
何故、ナイツロード内でも、トップクラスの実力者が、新米程度の実力しか持たないアルデスに話しかけるのか。
疲労でふやけた思考では、考えもまとまらないアルデスは、ただただ息を吸って、吐いた。
「……」
「……」
沈黙。
どちらも会話をしていたことを忘れたように黙りこくってしまう。
意味不明の拮抗状態を、どうにかしなければならない。アルデスはそう考え、とにかく言葉を出すことにした。
サラサラとした砂がエレクの身体を捕らえる。
砂浜は厄介だ。半端な踏み出しでは、前に走ることはできない。この地の利を生かす方法を、未だにエレクは習得していなかった。
そして、敵は格上。勝ち目はないように思われる。
圧倒的に不利な状況だが、そんなことは最初からエレクは知っていた。
負けるとわかっていても、男には戦うべきことがある。
男の意地と矜持が、エレクにもある。
故に挑まずにはいられない。
「位置について!」
鈴が鳴るような可愛らしい声が響く。
だが、腹這いに砂浜に伏しているエレクは身を強張らせる。
「よーい……」
ごくりと喉が鳴り、全身に緊張が奔る。
開始の合図が来るまでの一瞬が永遠に感じられる。
「……」
「ドン!」
掛け声と空気が破裂する音と共に、エレクは弾けるように立ち上がり、爪先で砂を蹴り、対戦相手の目へ砂の散弾を浴びせかけた。
「ぬぎゃあああああ!」
「わりいなバシュ!」
バシュの苦悶の声を聞き流し、素早く反転したエレクはそのまま目標に向かって走り出した。
「大人げなさすぎるでござる!」
「ばーか! 勝てばいいんだよ!」
「鬼畜! 人でなし! インチキやろうでござるよ!」
罵倒を聞き流し、目標へ…つまり砂浜に突き立ったビーチフラッグへと一目散に駆けるエレクだが油断は許されない。
残る距離は半分を切った。しかし、歴戦の勇士であるバシュなら、この程度の距離は一歩の差に等しい。
「んうぬおおおおお!」
視覚を諦めたバシュはエレクの気配を頼りに、ビーチフラッグへの距離を詰める。
負ければ痛覚を超越した激辛カレーが待っている。辛みには滅法弱いエレクは何としてでも避けたい刑である。
そのためなら、例え卑怯だなんだと言われても関係ない。
異能でもなんでも使ってやる覚悟だ。
「そこで寝てろ!」
「おんぎゃあ!」
エレクの指先から電撃が迸る。
殺気が無いため、一瞬反応が遅れたバシュは、電撃の刺激で程よく前進の筋肉をほぐされる。
エレクはそのまま持続的に電撃を出し続ける。生物である限り、電撃による刺激は筋肉がある限りは否応にも反応してしまう。
そのことをエレクは知っていたのだ。
だが、これで終わるバシュではない。
ボンっと空気を圧迫した音が響き、砂や海水が弾ける。
バシュが裂帛の気合を持って、周囲の地形を弾き飛ばしたのだ。
「逃さないでござぁああああ!」
「げぇっ!」
散った海水や砂で電撃を防いだバシュは一呼吸の間でエレクの足を掴んだ。
二人は縺れて転がり、お互いにスピ―ドを殺す形になった。
「負けるかよ!」
接近戦であれば、電撃を使える自分が有利だと考えたエレクは、バシュに密着した態勢で電撃を持続的に放つ。
しばし、当ててやれば動きを止められるはず。その後で悠々とフラッグに辿り着けばいい。
エレクは、自分の勝利を確信し、バシュの両腕を掴んで、勝利への確信の笑みを浮かべる・
「このまま、くたばっとけよ!」
電撃のショックで怯んだバシュをスタート地点の後方へ投げ飛ばす。
フラッグはエレクから見て、五歩も行けば取れる位置だ。
「もらったぜ!」
「させぬでござる!」
掛け声とともに、バシュの振るった拳が空気を捻じ曲げ、潮風を搔き回す。
瞬間、フラッグは砂と共に弾けて空を舞った。気を集中させてフラッグへ放ったのだ。
指先を掠めて飛ぶフラッグを、エレクは苦虫を噛んだような目で見る。
だが、それも苦し紛れの悪あがきにすぎない。
エレクは足りない一歩を更に重ねてフラッグへの距離を詰めようとする。が、
「おぶわ!」
足は空をかき、なかったはずの穴に転げ落ちる。
なんで、穴が開いているんだ、と思う時間すら惜しい。エレクは上半身だけでも起き上がらせ、バシュの状態を視認する。
すでに数歩後ろからフラッグ目掛けて跳躍している。
「いただくでござるよ!」
最早、負けは避けられない、そう確信したそのとき、
「ぐへっ」
「やりすぎだ阿呆め」
まさに肉壁と言わんばかりの巨漢、つまりリンショウがバシュの顔面を鷲掴みにしていた。
「……エレク」
いつの間にかエレクの後ろに来たグーロも、手を差し出しながら渋い顔をしていた。
エレクが周りを見渡すと、砂浜はぼこぼこになっている。遠巻きに見ているギャラリーも少なくはない。
「あー、わりい」
「はしゃぐのはいいが、加減を頼むぞ……」
エレクは手を取り、吊り上げられるように立たされ、居心地悪そうに後頭部を搔いた。
「バシュよ、あまり暴れすぎるな」
「つい熱中がすぎたでござるよ……」
「ワシも混ぜんか!」
「ええ!?」
白髪のサムライが空に放り投げられる。
「グーロ!!!!」
「!?」
「ワシと勝負しろぉ!」
裂帛の気合と共にリンショウは叫ぶ。
砂が吹き飛び、波が打ち消される。
そう、既にリンショウは相当の酒を飲んでいたのだ。
「こいつが一番まともじゃなかった!」
「いいから止めるよ!」
灰色の鬼の酒乱に頭を抱えるエレクをレイドは叱咤して駆け出す。
「お、落ち着いてくれ……」
「ぐわっははははは! ぬわあああはっはっはぁ!」
……彼の暴走を止めることができたのは、小一時間ほどかかったという話だ。
ゆらゆらと白い人型が幾つも立っている。
それは人型ではあるが、確実に人ではない異形だとわかる。
なぜなら、彼らには不気味なほどに特徴がないのだ。
顔に目の代わりであろう、黒く濁った水晶体が一つある以外は何もない。
無味無臭で無機的かつ無感情。
そしてあらゆるものに無関心である。
雲一つない心地よい快晴には似合わないその無面の異形達は、自分達とは違う異形へと濁った水晶を寸分の狂いもなく向けている、
違う異形、それは一見すると少女らしい背丈と顔立ちをしている。
肌と頭髪は作り物のように滑らかな白だ。
目は常夜灯のようにぼんやりとしたアンバーで無感情ではあるが、そこには確立された意志が感じられる。
そして最も少女を異形たらしめているのは、ぬめりとした黒いゴム質の手足と腰から生えた太い二本の触手である。
「旦那、来ねえってよ」
少女の後ろから声をかけるもう一人。
干し肉を噛みちぎり、深い緑に血のような赤が入り混じったセミロングを乱雑にかきあげ、不機嫌そうな黄金色の目で少女を見下ろす。
他の異形と比べれば、特異な点は赤黒い筋が入った尾のみである。
この集団の中では、まだ標準的な人種であるように見える。
「うん」
「でー? こいつら、どうすんの?」
「たたかわせる」
たどたどしく、淡々と女の軽薄な言葉に返事をする。
「こいつらちゃんと戦えんのかね」
赤と深緑の女は無面の異形をすらりと伸びた脚で小突き回すが、異形はどこ吹く風と言わんばかりに白の少女を見つめる。
しばらく、無面の異形にちょっかいをかけるが、あまりの手応えのなさに女は飽きたのか、瓦礫に腰を掛けた。
「ナイツロード」
「あ?」
「きてる」
「英雄機関の下っ端か。丁度いいんじゃね?」
「うん」
露出が多い服で数少ない収納スペースに入った干し肉を齧り、端末を手の平で弄ぶ。
無面の異形が映る端末をチラリと見て、口元を三日月の様に歪ませた。
「退屈凌ぎにはなりそうだな」
女は獣のように嗤った。
四界陸の一つであるパンタシアは高度な魔法文明が発展している。
どの国も魔力を元にした技術を用い生活を成り立たせ、魔法を便利な道具として扱ってきた。
原始的で伝統的なマギーア界陸に比べ、パンタシア界陸は他界陸の技術も取り込み、より汎用的な魔法を作り出してきた。
「にしてもすげー傷跡だな」
ブレイカー隊第六班所属トレック・アットルースは、大地に残る巨大な傷跡を見てそう呟いた。
そこはかつては山だったのだろうが、巨人が縦に一閃したかのように二つに割れていた。
「いつ見てもすげーなー」
「飽きないねー」
「飽きてる。暇なんだよ」
「やっぱり?」
退屈そうにあくびを咬み殺すトレックの隣にある岩に一人の獣人が座った。
葉のような緑の毛に覆われたウサギを丁度人型にしたような男だ。
「バルタウさー」
「何?」
「模擬戦でもしねえ?」
「それはお断り。口を開けばすぐそれだ」
「だって鈍っちまうぜ。なーんにもねえんだもんよ」
「何もない方がいいよ」
「とは言っても、やったことと言えば歩き回って飯食って寝るくらいだぜ? 平和も過ぎれば毒ってもんだ」
「相変わらず過激だなあ」
トレックはそう言って小柄なバルタウを乗せた岩を持ち上げてスクワットを始める。
トレック達が所属するブレイカー隊がルバータ王国跡地に訪れてから六日が経つ。
一人の剣士による国家滅亡事件が起きた土地として記憶に新しい。
河川が切り刻まれ、山々は切り崩され、野晒しにされた遺骨がまばらに散らばる。
ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた土地には、魔道具製造にうってつけの鉱山くらいしか目ぼしい物はない。
それを狙う不貞な輩が訪れるため、英雄機関の指示の元に定期的な巡回が行われているのだ。
トレック達が所属するブレイカー隊はその巡回に駆り出されているということだ。
戦闘が多い土地と聞き、最初は興奮して夜も眠れないトレックではあったが、何も無いままに一週間が経とうとしている。
熱も冷めるというものだ。
今では暇を潰すために、負担になりすぎない程度のトレーニングと苦手なトランプに誘われて翻弄されるかくらいのことしかしていない。
トレックは頭上に登る太陽を目を細めながら見つめ、また一つあくびを噛み殺した。
しばらく、時間潰しのスクワットを続けていると二人に声がかかる。
「トレック、バルタウ、班長がお呼びよ」
「ん? 何かあったのか」
「さあねー、マルチナさん知ってる?」
「来ればわかる。さっさと来な」
マルチナと呼ばれた女性は、それだけ言い捨てると足早に元来た道を戻り始めた。
「やーな感じ」
「こらこら」
「わかってるって」
トレックは担いだ岩を隣に置いてから、バルタウと共にマルチナの後を追った。
周りから目立たない森の中に、彼らの拠点はある。
定期的に作戦が行われる土地として、最低限の住処がナイツロードの手により築かれているのだ。
電気や水道も使えるようになっており、食料もある程度の備蓄が用意されている。
ただ、流石に転移装置などの高価なものはなく、簡易的な通信設備くらいが存在するくらいだ。
その森に隠れたベースキャンプの一室にトレック含む、第六班の面々が集められた。
「む、来たか」
「ただいま到着しました」
「待たせたなおっさん」
「おっさんではない。班長と呼べ」
トレックの軽い態度に苛立つ様子もなく、淡々と訂正を入れるのは痩せ身の男だ。
男は紙タバコの煙をぷかぷかと浮かせながら深く息を吐き、こう言った。
「VICEらしき影が確認された」
「……どこのやつらかしら」
「おそらく、『死』に属するやつらだと聞いた。確証はないが、以前に似たような魔力反応を観測したデータがある」
VICE。
この世界、ユースティアの支配を目論む侵略者達のことだ。
彼らが所属するナイツロードはもちろんのこと、ユースティアに存在するほぼ全ての国と敵対する邪悪そのもの。
ユースティアの人々とVICEの戦いは百年もの間、繰り広げられている。
「最悪ね……」
「よりにもよってそこかぁ……『魔』とかの方がマシだよ」
「へへっ、面白くなってきたじゃねえか」
「冗談じゃない! 僕的には一番関わりたくないよ」
バルタウは苦汁を舐めたように顔にシワを寄せて両手で頭を抱える。
「以前の任務、忘れたの!?」
「ああ、ゴミ捨て場のアレな。やばかったよなー」
それはゲオメトリア界陸のスクラプズ地帯の『掃除』に行った時のことだ。
長年に渡り違法な廃棄物が不法投棄され、異様とも言える生態系が存在するゲオメトリア屈指の魔境だ。
そこには、異形へと進化した危険な人造生命体が繁殖し、溢れ出た怪物達が周囲の人間を殺し尽くすという事件が度々起きている。
その怪物を駆除する仕事は、ナイツロードにも回ってくるのだが、これがまた厄介ものだった。
怪物が五感に訴えかけるもの、その全てが不快極まりないのだ。
黄色い体液が青白い血管の浮き出た剥き出しの肌を生々しく濡らし、不揃いな歯並びから形容し難い腐臭を漏らす肉塊との戦いはバルタウの生理的な許容範囲を明らかに超えていた。
特にキツかったのは臭いだ。
獣の割合が多い獣種であるバルタウは無種の人間よりも鼻が利く。
清潔感という概念を持たないのか、怪物達は汚物まみれでとにかく臭う。
バルタウとしては、そんな醜悪で吐き気を催す怪物達をわざわざ作り出すという『死』の派閥関連の任務は絶対に関わりたくないと誓ったのが二ヶ月前だ。
「たしかにめちゃくちゃグロかったけど、敵としては面白かったぜ?」
「うそでしょ」
「あの触手をドバッと出すやつとか斬新だよな」
理解を示しつつも、理解し難いことを平然と、なんなら楽しげに話すトレックにバルタウは硬直する。
「これだからバカは……」
「とにかくだ、やつらにどういう目的があろうと放っておくわけにはいかん。すぐにでも討伐する必要がある」
三者三様の反応を見ながら、班長であるザックは淡々とこれからについて話す。
「そこで、我ら第六班は一、二、三、四班のバックアップに入る。彼らが目標の殲滅を行う間、周囲の警戒に勤め、不意の事態に備えることになる」
「了解」
「承知したわ」
「りょーかい、要するに黙って見てろってことかい……」
すんなりと了承する二人に比べ、トレックは不満を隠さずにはいられないようだ。
「トレック! あなた、舐めてるんじゃないの?」
「舐めてねえって、そりゃあ残念だけどよ、別に言うこと聞かないわけじゃねーよ」
「……ッ!」
二人の間に閃光が迸り、今にも殴り合いが始まりそうな状況になる。
犬猿の仲であるトレックとマルチナは散々、こうやって喧嘩をするのだが、バルタウとしてはたまったものではない。
「わー! ちょっとストップストップ! 班長も見てないで止めてくださいよ!」
「では、次の命令があるまで待機するように、解散」
「班長!?」
一縷の望みをかけて班長に助けを呼びかけるが、その望みは蜘蛛の糸の様に容易く切れてしまう。
睨み合いを続ける二人を目の前にバルタウは止めることも諦めて、ため息をただただ深く吐くのであった。
身の丈を超える剣が空気を裂いた。
汗と吐息が白い煙と化し、散り散りになる。
剣を持ち上げ、振り下ろす。
何かに執着するように、ただただ見えない何者かを男は切り続ける。
男はくすんだ白髪に狼の耳を生やし、頭髪と同じ色をしたさらりとした尾も生えている。
汗ばむ肉体は若くしなやかな筋肉に覆われていることが見て取れ、普段からかなりの修練を積んでいることがわかる。
精悍ながらまだ幼さを残した顔つきで、目の色は星を思わす黄金色だ。
男、つまりトレックにとって早朝の鍛錬は生活の一部だ。
日常の一部である愛刀の素振りは、どんな日にも欠かしたことはない。
傭兵団ナイツロードの本拠地、海洋上に浮かぶ巨大なフロート『レヴィアタン』。
生活施設を一通り揃えた『レヴィアタン』では、戦闘を生業とするありとあらゆる人々が生活を営んでいた。
そんな血の気の多い場所でトレックは育った。
戦いはロクでもないということはよく聞く。
事実、何人もの知り合いが戦場に向かい、帰ってこないことも少なくなかった。
しかし、生まれつきの血筋か、獣人の性か、はたまたそういう星の元に生まれたのか、戦うことをトレックは求めていた。
青二才の甘っちょろい考えだということも理解している。
だからこそ、剣を振り続けている。
自分のできうる限りの努力をしてきた。
不安はあるが、それ以上に自信がある。
何も問題はない。
「毎朝毎朝、飽きずによくやるよお前は」
素振りを続けるトレックの側に欠伸を堪える男が愚痴る様に呟く。
「なんだ、ブツブツ文句を言ってくるからよ。来てくれねえかと思ったぜ」
「俺は意外と大人なんだよ。子供に付き合うのは義務みたいなもんだろーが」
「俺だってもう15歳だぜ?」
「まだまだガキだよ」
軽く息を整えながら、男は軽口を返す。
寝癖だけを整えた髪をぐしゃぐしゃ掻きながら、男は怠そうに体を慣らす。
「あー、眠いし寒いしめんどくせー……」
「準備運動いるか?」
「いや、いらねー。というか今からが準備運動だろうが」
「……そういやそうか」
「相変わらず脳ミソまで筋肉か」
「うっせ」
トレックに相対する男、ジョニー・ベルペッパーは黒い革の手袋を脱ぎ捨て、青白い機械腕を露わにする。
確かめるように機構を起動し、雪のように白い魔力光を淡く輝かせた。
「よし、バシバシこいよ」
ジョニーがそう言った瞬間、トレックは氣の弾丸を放った。
難なく避けられるが、近づきつつ気弾を放ち続ける。
氣を実体化させ、物理干渉を起こす異能はかなりオーソドックスなものだ。
その単純な性質は正面からぶつかることが好きなトレックに合っている。
しかし、その弾道は速度はあるものの、直進しかしない。
優秀な魔術師であるジョニーには牽制になるかも怪しいものだ。
多彩な遠距離攻撃を持つ魔術師相手には距離を取られては剣士であるトレックにとっては不利だ。
リスクを承知で一足で前へ跳ぶ。
気弾の襲撃が収まったことで機械腕からお返しとばかりに氷の弾雨が降り注ぐ。
「しゃらくせえ!」
剣に氣を纏わせ、横薙ぎに一閃。
氷の弾丸は根こそぎ消し飛ぶ。
その勢いのまま、トレックはジョニーに肉薄し、大上段から鉄の塊を袈裟に振り下ろす。
右腕から展開された半透明な魔力の刃で受け流されるが、剣を振る勢いのまま、ジョニーの腹を目掛けて蹴りを繰り出す。
だが、その動きも読まれていたのか、躱されて伸びきった脚をジョニーに掴まれる。
「攻め方が少ねえ、よ!」
ジョニーは全身の至る所にあるブースターを起動させ、力任せにトレックを頭上へ射出した。
「ぬおおおお!?」
驚駭の声と共に空を登るトレックへ、ジョニーは両腕を構える。
細い砲身が幾つも展開され、
「ちゃんと耐えろよ?」
ジョニーの独り言と共に光の束が幾重にも放たれた。
トレックは風圧で顔中の皮膚を引っ張られながらも、空中でなんとか剣を構える。
向かってくる光の束をどうにもできないまま、それはトレックのいたるところを焦がした。
氣の質が高いおかげか、致命的なダメージにはならないが、攻撃はこれでは終わらない。
トレックの背に衝撃がぶつかる。
ブースターで勢いをつけたかかと落としを喰らったのだ。
肺の空気が全て吐き出され、わけのわからないままに地面に叩きつけられる。
息を無理やり吸い、すぐさま空を見上げると人の頭ほどの氷塊が落ちてきている。
氷塊は狙いが甘かったのか、トレックの周囲に落ちて砕けた。
だが、トレックはそこからすぐに飛び退いた。
その刹那、砕けた氷が地面に急速に広がり、氷の大地を作り上げた。
ジョニーの狙いは氷塊をトレックにぶつけることではなく、飛べないトレックの動きを制限することだったのだ。
「卑怯だぞ、おい!」
「戦いに卑怯もクソもないんだよー!」
今まで通りとは違う搦め手に困惑しながらも、走り回って消えていく地面から逃げ回る。
反撃しようにもこの距離ではトレックの氣の弾丸では焼け石に水だ。
「うげっ!」
気づけば逃げ場はなく、辺り一面が氷で覆われている。
「逃げてばっかじゃ話になんねーぞー」
「ぬぐぅ、好き放題やりやがるぜ、チクショウ」
ジョニーの気の抜けた挑発にも言い返せず、氷塊からトレックは苦悶の声を漏らす。
だが、スケートリンクのように辺り一面に氷が張り巡らされている場所で勢いよく走ろうとすれば、コケるに決まっている。
「逃げ回るなんて俺らしくねえわな!」
逃げ回るのは終わりだ。
元よりトレックという男は綺麗に立ち回る性格ではない。
降り注ぐ氷塊へ振り向き、刀を脇に構える。
「バーストォ!」
がむしゃらに叫び、刀に氣を込めて全力で振り上げる。
先ほどの氣の弾丸とは比べ物にならない力の波が氷塊を飲み込み、ジョニーへ向かうが、余裕を持って躱されてしまう。
それもトレックは想定済み、ではなくどっちにしろ同じだ。
「喰らえやぁ!」
「結局、ゴリ押しか!」
交差する銀腕に黒い刃振り上げられた。
甲高い金属音が鳴り響いた。
バーストを放った後、トレックもすぐに飛んだのだ。
トレックは自分の筋力任せに、ジョニーを拮抗している腕ごと氷の無い地面へ弾き飛ばした。
「だー! クソ脳筋が! 壊れたらどうすんだよ!」
義腕の心配をしつつ、ジョニーは空中で体制を整えて、地面スレスレで止まる。
トレックは刀を振った勢いそのままにもう一度バーストを放った。
しかし、それはジョニーではなく自らの頭上にだ、
「ぶっ壊れろ!」
トレックがジョニーに向かって凄まじい速度で射出される。
距離を取られては不利なのはトレックだ。
近づけるチャンスがあるならば、なんだっていい。
直感的に判断し、バーストを推進力として使ったのだ。
「チェストォ!」
ジョニーに向かって流星の如く、飛び蹴りを浴びせる。
かろうじてジョニーは躱すが、反撃の手は出ず、そのままトレックの追撃を許してしまう。
縦横無尽に刀を振るわれ、それを躱して逸らしての繰り返しだ。
いくらジョニーが優秀な傭兵であろうと、満遍なく重い斬撃をまともに喰らうことは相当なダメージを受けることになる。
更にはその全ての斬撃がジョニーの動きを制限し、回避以外の行動を不可能としている。
このままではジリ貧だ。
「ぐっ!」
「ッ! 貰った!」
胴を薙ぐ切り上げを受け損ない、ジョニーは諸手を上げさせられてしまう。
それを見逃すトレックではない。
前に踏み込み、地と水平に一閃。
破壊そのものを相手の腹に目掛けて、渾身の一撃が命中する。
常人であれば半身が泣き別れすること間違いなしだ。
まるで蹴飛ばされたサッカーボールの様に転がり続けるジョニーをトレックは執拗に追う。
トレックが正に息も絶え絶えなジョニーへとダメ押しの一撃を与えようとしたその時、
「ス、ストーップ!」
「!?」
ジョニーによる迫真の停戦要求が叫ばれる。
突然の言葉にうまく体が追いつかず、つんのめりながらもトレックは転がり終えたジョニーの隣に追いついた。
「げほっ! ……殺す気か!」
「いやー、大丈夫っしょ!」
「こいつ……」
咳き込みながら膝立ちをするジョニーにトレックは手を貸す。
立ち上がり腹の辺りを触るが、大きな怪我はないらしい。
どうやら障壁魔法を即席で張り、耐え凌いだ様子だ。
「あー、クッソ。今日は終わりだ」
「まだ、やれる元気ありそうだけど?」
「馬鹿を言うなよ。準備運動って言っただろ」
軽く汗を拭い尾を振るう。
トレックが辺りを見回すとまばらに見学者がいたのか、人が散り散りに去っていく。
一息ついた二人は修練場を出て行くことに決めた。
「ったく、容赦がねえよ。少しは加減ってものをだな」
「悪い悪い! 気合が入りすぎたわ」
「はぁ……」
ジョニーはトレックの相変わらずさに溜息を思わず漏らす。
「お前ももう戦場に出るんだな。まぁ、死ぬなよ」
どこか感慨深く呟く兄貴分にトレックは珍しいものを見た気持ちになる。
「おうよ」
「逃げたって構いはしないからよ。しななきゃ勝ちだ」
あまり前線には出ないジョニーではあるが、トレックに比べれば経験は多い。
生意気ながらも入団した頃から慕ってくれる弟分のことは、心配ではあるようだ。
「すっげーらしくねえこと言ってる……」
「茶化すなよ」
「だって気持ち悪いし」
「照れるな照れるな」
二人で歩きながらいつもとは少し違う会話をこなす。
彼らの付き合いはジョニーが入団した頃に遡る。
その頃からレヴィアタンに暮らすトレックとは、ちょっとしたきっかけで共に時間を過ごすようになった。
「よっしゃ、じゃあそろそろ訓練の準備しに行くわ」
「おう、言ってこい」
駆け出すトレックの背中を見送る。
子供の頃から知っている者が戦場に行く。
他の道も選べるはずなのに、トレックが何のために戦場に出るのか。
何故、命の取り合いを求めるのか。
「まぁ、何とかするだろ」
ジョニーにはどうにしろわからない。
彼がどんな道を選ぼうと少しだけ手伝いをできればそれでいい。
「ん?」
ふと、腕に違和感を感じたジョニーは自身の義腕を見る。
明らかな歪みが生じている。
動作に支障はないレベルのものだが、修理しておくべきだろう。
「……」
思わず眉間にシワを寄せながら、トレックへの恨みを積もらす。
「馬鹿力野郎め」
思わぬ出費と成長した弟分に複雑さを覚える。
武器の性能を上げるか否か、独り言ちながら馴染みのコーヒー屋へ足を進めることにした。