ナイツロードJ 三話

三話

 

 

 二人分の足音だけがメトロノームのように規則正しく廊下に鳴っている。
 俺は黒ローブの白仮面のワイアットという男――男とは思ったが本当に男なのだろうか――とただの一つの会話も交わさず、目的地に向かっていた。
 会話がないのは構わない。だが、それだとまったく間がもたない。
 幾度か会話を試みたが、この男は振り返りもせずに、機械的に前へ進むだけだった。
 こいつは一体何者なのだろうか。今まで見たことない人物が、団長室に当たり前のように現れ、極自然に団長の命令を聞いていた。
 本来なら団長直属の部下がその役目だとは思う、のだがワイアットという男の名前は聞き覚えがない。
 怪しげな姿といい、この突き放すような愛想の無さといい、『疑ってください』と言っているようなものだ。
 グチグチそんなことを考えていると、前を歩いていたワイアットは立ち止まり、
「到着だ」
 と呟くと道を引き返し始めた。
 思わず呆気に取られて、立ち止まって遠ざかる黒ローブをぼんやりと眺めていた。
「……何なんだあいつ」
 思わずそんな言葉が口から漏れる。
「あいつはああいうやつなんだよ。私にもよくわかんねえがな」
 口からこぼれた独り言を拾われるとは思わず、驚きながらも声のした方向に振り返ると、そこには偉そうに腕を組んだメイド姿の女が立っていた。
「あんたは……」
「まあ、とりあえずこっちの部屋に入りやがれ。そっちにてめえの仕事もあるからよ」
 落ち着いた声と粗雑な口調でそう言うと、メイドの女は寄りかかっていたドアを開けその中に入っていった。
 俺は勢いに流されるまま、その後ろについていった。
 その狭い部屋に入るとまず目に入ったのは巨大なガラスだ。
 ガラスの壁の向こうには、いくつかの機材とベッドが一つ、テーブルに簡素な椅子が二つあるといった様子だ。
 そしてそのベッドの上にはあの時の少女がぼんやりとした様子で座っている。
 少女は空に浮いた何かを見つめているようにも見えた。
「あっちからはこっちの様子は見えねえから安心しな」
 と、メイド服を着た女は声をかけてくる。
 緑がかった青の髪は螺子のカチューシャで押さえつけられていたが、反抗するように刺々しく跳ねていた。
 眼差しは猛禽類のように鋭く、表情は氷のような冷たさを感じさせた。
 彼女の名は『ヴァレンティナ・クーツェン』という。
 団長レッドリガの直属の部下の一人でもあり、超越者が集うナイツロードの中でもトップクラスの実力の持ち主だ。
 不真面目そうな態度の割りに誠実な人格だということも噂として聞いたことがある。
 ここにいるのはあの少女に対する見張りのようなものだろうか。
 それだけあの子供一人を危険視しているのだろう。
「知っているとは思うが私はヴァレンティナ・クーツェンってやつだ。好きに呼んでくれてかまわねえ。てめえのことは事前に調べてきたから自己紹介はいらん」
 話が早くて助かるもんだ。
「基本的にあのガキとのコミュニケーションの取り方は、てめえに一任されてんだ。だから私に聞かねえでも、ガキ本人に全部聞きてえならそれでもいいそうだ。それを踏まえて私に聞きてえことはあるか?」
 全面的に俺に一任とは、一体何を考えてのことなのだろうか。
 今日は要領の掴めないことばかり言われ、混乱せざるを負えない。
「怪我の状態はどうなんだ?」
「治癒魔法をしこたまかけたのと、元々の体の性能でほぼ全快した、と言ってもいいな。まぁ、しばらくは安静にする必要があるみてえだがな」
「脅威的な回復力だな……。部屋に入ったらいきなり殴られるとかあるのか?」
 なんだか異様に情けなく聞こえる質問だ。
「どうだかな。念のため魔封結界は張ってやがるが、身体能力はそのまんまだ。拘束はしてねぇから殴られるかもしんねぇな。……精神的には落ち着いてるように見えるが魔族のガキとは言ってもただのガキだ。内心穏やかじゃねえかもしんねぇ」
 内心穏やかじゃない、か。
 多分そうなんだろうな、とぼんやり考える。
 普通なら親に甘えて、遊んで、我が侭言ったりするのが子供の仕事だ。
 それなのに変なところをたらい回しにされているのだ。
 それを不安に思うのは、きっと人間も魔族も同じなんだろう。
「他は?」
 クーツェンがぶっきらぼうに俺からの質問を催促をしてくる。
 だが、俺はそれに対して質問はもういい、ということを伝えた。
「一応聞くが本当にいいのか?」
「ああ、問題ない、とは思う。俺としてはお互い知り過ぎない程度が、話しやすいからな」
「ならいいけどよ。油断はすんなよ? ガキだからこその危うさってのもあるんだからよ」
「肝に命じとくよ。……それじゃあさっさと顔見に行きたいからそこの扉、開けてくれよ」
 クーツェンは頷き、扉の横の端末にカードキーを差し込み、パスワードを入力した。
 すると、分厚い隔壁のような扉がゆっくりと横にずれて、扉が開いた。
 俺はゆっくりとガラスの壁の向こうに足を踏み入れた。

 あの時の少女がこちらを見つめる。
 怯えることもなく、純粋な興味の視線を俺に向けていた。
「こんにちは、おにいさん。また会ったね」
「ああ、元気そうだな」
 緑の髪には艶があり、血色もいい。少女は健康そうに見える。
 表情には若干の戸惑いが見えるが、精神的に大きく傷ついている、というわけではなさそうだ。
「ここってどこなの?」
「ここは傭兵団ナイツロードの本部で、その中の一室だ。」
「へぇ~、おにいさんはここで働いてるの?」
「そうだ」
「人を殺す仕事なの?」
「ああ、別に好きでやってるわけじゃないけどな」
「じゃあ何でやってるの?」
「これくらいしか取り柄が無いからだ。あまり他で目立ちたくもないからな」
「ふーん、そうなんだ。好きな食べものは?」
「コーヒー」
「苦いしおいしくないし、飲み物だよ。変だよ」
「同じようなもんだろう」
 戸惑いとは何だったのか。警戒心も無く俺にペラペラと話しかけてくる。
 少なくとも好かれるようなことは一度もしてないのに、明らかな好意を感じる。
 この少女はよくわからんな。いや、魔族全てがわからない、と言った方が正しいのかもしれない。
 しばらくの間、少女の話は続いた。
 好きな食べ物、嫌いな食べ物。家で何して遊んだか。趣味は何か。天気はよかったかなど、他愛もない話だ。そんなどうでもよくて、中身のない会話を少女は楽しんでいた。
「わたし、ファルルーナ・アウメルっていうの。ファルって呼んでね。おにいさんの名前はなんて言うの?」
 しばらくして、少女、ファルは思い出したかのように名乗った。
 今まで話してきて、自己紹介のことを忘れていたファルに少し呆れるが、名乗ってなかったのは俺も同じだ。それにも少々呆れた。
「……俺は、ジョニー。ジョニー・ベルペッパーだ。適当に好きなように呼んでくれ」
「よろしくジョニー」
「目上には敬語を使え」
「よろしくね。ジョにいさん」
「混ざってるぞ」
 ファルはケラケラと笑いながら、ベッドの上で転がり始めた。
 俺もおかしくて少し笑ってしまう。
 子供というのは不思議なものだ。そう思った。
「互いに打ち解けて来たところで、そろそろ本題に入らせてもらうがいいな?」
「いいよ。よくわかんないけど」
「今日から俺がお前の保護者になる。んで、傭兵としての教育を施させてもらう。以上だ」
「へー、そうなんだ」
 明るい表情そのままに、どうでもよさそうに答えられる。
 お前はそれでいいのか。
「何か不満があるなら聞くが」
「んーん、ジョニーなら別にいいよ」
「俺は一応、お前がケガした原因の一つなんだが」
「いいのいいの。あの時はわたしも頭の中グシャグシャになってたから仕方ないよ」
 顎を砕かれ、腹に風穴を開けられたことを、ファルは何でもないように言う。
 狂気にしか思えないが彼女にとっては普通なのかもしれない。むしろ狂気に常に包まれているのが、ファルにとっては普通のことかもしれない。
 魔族にしたって、異常なことのように思える。もしかしたら子供であるが故の狂気なのかもしれない。

「……まぁ、それならいいが。じゃあ、ファル、今日はここで過ごしててくれ。明日には団長にも話をつけて、ここから移動してもらう。そっから色々ここを案内してやるから楽しみに待っててくれ」
「ここって何があるの?」
「色々さ、生活できるものなら何でもあるぞ。なんなら明日何か買ってやろう。怪我させた侘びだ。」
「いいの?」
「ああ、もちろんだ」
「ありがとう、ジョニー」
 さて、明日のために準備しとかなきゃあな。流石にこんな何もない密室に長々といさせるのはいい気分ではないからな。
「じゃあ、また明日会おう」
「うん、わかった」
 魔族の子供でも人間と同じようにぬいぐるみでも買ってやれば喜ぶのだろうか。
 いや、そもそも生活用品がファルには何も無い。それも買わなきゃいけないだろう。
 全部俺の財布から出すのか、それとも経費でいけるのか。どうなんだろうな。
 そう考えながら、俺が扉に手をかけたところで、服を引っ張られる。
「ねえ、もうちょっと話そうよ」
 ファルがにっこりと笑いながら、会話の続きをねだってきた。
 そこだけは魔族も何も関係なく、まるで普通にワガママを言う子供のように思えた。
 まるで、ではなく普通の子供なんだろうがな。
「……ああ、わかった」
 悪い気はしないし、子供を不安にさせるのもどうかと思ったので、会話の続きをすることにした。
 他愛もない、ただの言葉の交わしあいを。

 

 結局会話はファルが寝るまで続いた。

 ファルも魔族で強力な魔力を兼ね備えているとはいえ、子供だ。

 得たいの知れない魔族ではなく、子供のファルってやつを少しは理解できた気がする。

 ベッドで寝ているファルを起こさないように、扉を開けて室外に出た。

「随分長い話してたみてえだな」

 部屋の外にはクーツェンが声をかけてきた。なにやら書類をまとめていたようだ。

「なんだ、まだいたのか。お疲れ様ってとこか」

「気にするな。仕事だからな。どうだ? ヤツとは上手くやれそうか?」

「さぁな、今日だけで全部理解できたとは思えん。まぁ、なんとかなるだろう」

「まったく、噂どおりに適当なヤツだなてめえは。何かあったら私に言え。手助けはしてやる」

「そいつはどーも」

「それと、ほらよ」

 クーツェンから先ほどまでまとめていた書類を渡された。

「なんだこれ」

「あのガキ用の部屋の申請書やら経費の書類だとかその他諸々だ。後で確認しておけ」

 そういうのって無断でやっていいのかと思うのだが。まぁヴァレンティナ・クーツェンってのは、特別な立ち位置にいるからこれくらいは許されているのだろう。

「すまんな、ありがとう」

「仕事だからな。じゃあさっさと行け」

 そのまま廊下に出て自分の部屋に戻った。

 明日のことを考えながら。

 

 

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もう推敲すらしないことに決めた。