五話
居住区の上には屋上として出れるスペースがある。
ただ広いだけで、基本的には何もなく、あると言えば転落防止の為の鉄柵と、申し訳程度のベンチがいくつかあるだけだ。
有事の際には防衛兵器が姿を表すが、平常時の今は関係ないことだ。
夕暮れの中、ファルは長い髪の毛を風で揺らしながら、柵の上に座っていた。
「おい、ファル。頼むから勝手に動き回らないでくれよ」
「あ、ジョニー。飴おいしかったよ」
申し訳無さそうな顔もせず、ファルはにこりと笑う。
「一体全体何だってこんな屋上に行ってたんだよ」
「んー、何となくかなぁ?」
「おいおい、せめて一言くらいは言ってくれよ。何があるかわからないからな」
「ごめんなさーい」
ファルは舌を出し悪戯っぽく笑った後、少し悪気がありそうに謝った。
まったく、何事かと思って冷や冷やしたぞ。俺が心配しすぎなのかもしれないが、基地内とは言え危険が無いとは言い切れない。
ファルは素直だが、こういう感じに気紛れを起こすこともあるようだ。今後は注意しておこう。
「どうして屋上に?」
「なんとなくだよ。なんとなく」
「なんとなくってなぁ。まったく」
「クスッ」
「俺の困り顔を見て笑うなよ。……部屋に戻るか? それとも屋上になんとなくいるか?」
「屋上になんとなくいるよ」
「そうかい」
ファルは海に浮かぶ夕日をぼけーっと眺めている。
俺も適当なところに座り、ファルを見守ることにした。
「……」
「……」
少しの間、10分ほどだろうか。
潮風の音だけが通り抜けた。
そういえば、最近はこうやって外でのんびりすることもなかったな。
ゆっくりするときは、どうしても室内でコーヒーでもすすりながら本を読んでいた。
偶にはこういう日も悪くはないな。
「ジョニー」
思い出したかのように、少女が囁く。
「なんだ?」
「人殺しはよくないよ」
唐突だな。
「そうだな」
「やめようよ」
「どうかな」
「なんで殺すの?」
「そういう仕事だからさ」
「……」
人殺し、か。正直、人殺しに対してあまり抵抗はない。
何とも言えない気持ちにはなる。正しいことをしているわけではない、というのはわかるのだ。
「仕事なら、誰でも殺すの?」
「そういうわけじゃない。別に仕事が全てってわけじゃないから、殺せと言われても殺さない時もあるだろうさ」
「……そっか」
これまで狂気に浸ってた分の反動だろうか。あのときのような、初めて会ったときのような凶悪さは見る影もない。
今、初めて隣にいるのは、ただの少女だと純粋に思えた。
魔族だとか、人間だとかは関係ない。
今のファルは、怖いことを子供のように、当たり前に怖がる子供だった。
「心配しなくても、ファルは殺さねえさ。俺は案外、情に溢れる男だからな」
「……情には溢れてないよね」
初めて会ったときのことを、示すかのようにじっとりとした目で見てくる。
「そりゃあ、自分の命のほうが重いからな。自分が一番大切なのは当たり前だがな。危険になれば自分優先だ」
「む」
ムスッとした顔で睨まれる。ほほえましいもんだ。
「だが、約束はしよう。何かあったらファルを必ず助けてやろう。一応大人だからな」
「大人だからなの?」
「大人は子供を守らなきゃいけないらしい。偶には大人のフリも悪くない」
「ジョニー、大人だよね。フリじゃないじゃん」
「大人は自分のことを大人と思いたくないもんだ。ま、そんなわけだ。好きに頼れ。できる限りは手伝ってやる」
「ん、ありがと」
「おう、頼れ頼れ」
ファルはさっきまでの不安を忘れ、柔らかな笑みを浮かべた。
「ジョニーはすっかりおにいさん気分だね」
その言葉を聴き、その笑顔を見たとき、俺は妙な郷愁というやつに襲われた。
懐かしくなんてないはずなのに、ファルのその笑みにだけ妙な懐かしさを感じた。
「どうかしたの?」
少しぼんやりしてしまったらしい。
会ったのは数日前が初めてだっていうのに、おかしなことだ。懐かしい、とは。
「いや、なんでもない。そろそろ戻るか」
「そうだね」
明日も明後日もある。のんびりするのも悪くはないが、準備だけはしとかないとな。
育てろ、とかいう話が来た時はどうしたものかと思ったが、どうとでもなりそうだな。
俺とファル。不安はあるが、楽しみでもある。
また、適当に喋りながら俺たちは部屋に向かった。
妙な暖かさと共に。
「……あの子こそそうだ。間違いない。間違いないな。あの子こそ……」
黒い影が見ていたにも関わらず。
一章、完。