えぱにま1

プロットみたいなもんだすたぶん

 

 少年が目を覚ました時、周囲には彼が見知ったものは何も無かった。
 その部屋は薄汚れたボロ切れと乱雑に切られた板材でできていた。
 錆び付いた箱や、刃こぼれしたナイフ、荒く削ってある木のお椀などが散らば

っている。
 少年は未だ鈍く疼く頭を抱えながら、上半身を持ち上げた。
「あ、起きたんだね」
 ボロ切れの幕の向こうから一人の少女が現れた。
 少年は思わず身構え、突然出てきた人物に注目した。
 見た目は十代半ば、といったところだろうか。
 茶色の頭髪の上には獣の耳のようなものがピコピコと跳ねていた。
 少年は軋む体を支え、少女の黒い瞳を睨み付ける。
「ん、そんなに怖がらないで欲しいんだけど……。一応、命の恩人なんだし」
「……お前、何者だよ」
「何者って言われても、ただのポリンとしか言えないよ」
 ポリンと名乗った少女は野の獣のように威嚇する少年に物怖じもせず、少年に

近付いていった。
 少年も敵意を感じられないとわかると警戒を止め、その場に座った。
「んっと、君、名前は?」
「……多分、エレクだと思う」
「多分?」
「自分が本当にエレクだっていう自信が無いんだ」
「どうして?」
 少年こと、エレクは絡まった青白い髪をほぐしながら話した。
「何も思い出せないんだよ。俺自身がどこで生まれて、どこに住み、どこで育っ

たか。どんな家族や友達がいたのか。何が好きで何が嫌いかも何もかもがわから

ないんだ」
「つまり、記憶喪失ってこと?」
「多分、そうだろ」
 少しの間、沈黙が続く。
 気まずさとも申し訳なさとも言える湿った空気が流れた。
「ん、とりあえずエレクって呼んでいい?」
「ああ、いいよ」
 自身に自信が無くとも、呼び名が無ければお互いに話しにくい。
 少年は不安に思いつつも、ひとまず自分がエレクという少年であることを認め

た。
「エレクはさ、今のところは帰る家も無ければ、頼れる人もいないってこてだよ

ね」
「今のところは」
「良かったら私たちと一緒に暮らさない?」
 ポリンの唐突な誘いにエレクは動揺する。
 エレクにはポリンが何の意図を持ち、そんな誘いをしたのかが理解できなかっ

た。
 不可解さに顔を歪めたエレクを見かねたのか、ポリンは自らの境遇を語り出し

た。
 曰わく、ポリンは身寄りのない子供達を集め、路上暮らしをするストリートチ

ルドレンである。
 ポリンはその集団のリーダー格であり、身寄りのない子供を見つけると、自分

たちの仲間に引き入れた。
 そして共に生きるために協力して暮らしているということだ。
「そういうわけでどうかな」
 エレクは迷ったが、自身に当てがないことはわかっていた。この誘いを断れば

、エレクは更にどうしようもないことになるのは間違いなかった。
 で、あるため、
「俺なんかでもいいなら、よろしく頼むよ」
 エレクがその誘いを受けない理由は無かった。
「ん、じゃあ決定だね。よろしくね、エレク!」
「……おう!」
 そして何より、諸々の理由よりも、単純な好意で言ってくれていることがエレ

クには嬉しかったのだ。
「んじゃ、決まりだね」
 ポリンはそういうと立ち上がり、痛んだポーチから取り出したものをエレクに

手渡した。
 その物体は赤い球体の果実だった。
「それはエレクにあげよう」
「あ、ありがとう」
 エレクは受け取った果実をマジマジと見つめ、手の上で回す。
「ん、食べないの?」
 食べ物だったのか、と小さく呟いたエレクは少し思い悩んだように止まった。
 踏ん切りがついたのか、エレクは赤い果実に大きくかぶりついた。
「エレクも元気そうだし、この辺りを案内しよっか」
「おう、……ところでこの果物ってなんて名前なんだ?」
「ん、それはリンゴだよ。何も覚えてないんだね」
「まあな」
「その辺りを含めて案内しなきゃね。んじゃ、行こう」
 ポリンとエレクは粗末な小屋を出て、外に出た。
 記憶のないエレクにとっては、初めてマトモに外を見る機会だった。
「私たちはこの東都グロリアスの貧民区に住んでるの」
 貧民区、という名前の通り、周囲の家々は安っぽい作りをしていた。
 ひどいものには陽光が木漏れ日のように落ちる屋根しかない家があった。
 もはや家と言うのも躊躇われる家も多数ある。
 あまりの生活の酷さを目の当たりにし、エレクは顔をしかめた。
「……本当にこんな所で暮らしてるのか?」
「こんな所、ね」
「あっ、……ごめん」
 思わず口からこぼれた失言をエレクは謝る。
 こんな所で暮らしているのは他ならぬポリン達だったからだ。
「いいよ。本当のことだから」
 ポリンは怒るでもなく、諦めたように肯定した。
「ここには親に捨てられた子とか以外にも子供の『来訪者』も多くやってくるの


「『来訪者』?」
「このユースティア以外の世界からやってきた人のこと」
 異世界の存在が普通に認知されている。
 その事実は記憶喪失の筈のエレクにとって、何故か衝撃だった。
「肉親も友達もいない。何が当たり前で、何がおかしいのかもわからない。自分

を守る力も持たない。そんな孤独で弱い子供達がここに集まってるの」
「……そう、なんだな」
「ゴミを漁るような生活だとしてもね、ここの暮らしは私、嫌いじゃないの」
 そう語るポリンの表情は、本当にここでの暮らしを嫌ってはいないようだった


「どうして?」
「ん、好き勝手言ってくる親がいないからかな。自分の好きなように生きるのっ

て嫌いじゃないの。ここで暮らし始めて友達も増えたしね」
 幼い表情に似合わないたくましさを持った表情で拙い町並みを見ながらポリン

は話していた。
 だが、エレクはその表情を見て、どこか寂しそうだ、と感じた。
「……ま、そういう所にエレクは今後暮らすんだよ」
「なんか実感わかねえや」
「大丈夫! 3日もすれば慣れてくるからさ。んじゃ、もっと案内しやすい場所

に行こうか」
 エレクはこれからの生活に不安を覚えながら、先に行くポリンの背中を追いか

けた。
 あれからしばらく、エレクは東都グロリアスの説明をポリンから受けた。
 グロリアスはユースティアに5つある大陸の内のリーベルタースにある。
 そのリーベルタースにある9つの大都市の一角に含まれる。
 最果ての国『アズマ』の文化に影響を受けているため、他の都市に比べ、特異

な建築物や物が目立つことが大きな特徴としてあげられる。
「ポリンって頭いいんだな」
 ポリンからグロリアスについての話を聞いたエレクは感心したように呟いた。
 エレクとしてはロクに勉強もできそうにない環境で、ここまでキチンとした知

識を蓄えることができるのは驚きだった。
「ん、できうる限りの勉強はしたからね」
 ポリンは少し鼻高々と言った様子で賞賛を受け取る。
「にしてもエレクはホントに何も知らないね」
「うっせ」
「エレクももしかしたら『来訪者』なのかもね」
「何でだ?」
「何も知らないからね。そこまで珍しいものでもないし」
 来訪者、異世界からの異邦人。
 エレクはもし自身がそうであるならば、己の過去をどのように知ればいいのか

不安に思う。
 異世界が故郷であるならば、自身の過去の手掛かりはこの世界に存在しないこ

とになる。
「何そんなしょぼしょぼな顔してるの」
「しょぼしょぼって。……別に何でもないって」
「……知らない方がいいかもしれないよ」
 図星を突かれたエレクは口ごもる。
「子供の来訪者はね、夜になると泣いちゃうんだ」
「なんでだ」
「もう一生会えないだろうお母さんやお父さんに会いたいって泣くの。会えない

ことに気付いた子も、まだ会えると信じてる子もみんな泣くのよ。隠れて泣く子

も路上で突然泣き出す子もいる」
 ポリンはきっとそのたびに子供達を慰めてきたのだろう。
 その言葉には現実のような重さが含まれていた。
「知らないことは悲しむ必要がないじゃない。ま、そういうこと」
「そうかもしれないけどさ、そんなに大切な人達の記憶を一つも覚えてない方が

悲しいことなんじゃないのか?」
「……悲しい事実かもしれないけど、悲しむ必要はなくなるから」
 エレクには耐えるように呟くポリンの言うことが納得いかなかった。
 記憶がないから言えることだろうけど、大切な人を想うことができないのは自

分の人生が積み上げられたことを実感できない。
 自分の軸を感じ取れないのだ。
「悲しむことは絶対悪いことじゃない。それはわかってる」
「それなら……」
 エレクの言葉を遮り、ポリンは喋り続ける。
「誰かを想ってる証だからね。悲しめない人は大事なモノがないってことだから

。……でも、ここに住む子供達には悲しむ時間も余裕もないの。生きるためには

忘れた方が楽なこともあるから」
 エレクにもその理屈はわかった。
 だが、納得には届かない。
「……つまんないこと話しちゃったね。一旦家に戻ろうか」
 少し気まずさと申し訳なさを含んだ湿った空気を吸いながら、ポリンとエレク

は粗末な小屋に戻り始めた。
 甲高い悲鳴が聞こえたのはポリンとエレクが家に戻りかけたその時だった。
「何だ!?」
「ッ! またあいつらね!」
 ポリンは悲鳴を聞き、即座に走り出したた。
「エレクはここで待ってて!」
「おい! どういう……あー、意味わからん!」
 しばし、呆然としたエレクは走り出したポリンを直ぐに追いかけ始めようとし

た。
 だが、呆気に取られていた間にポリンはもう先に行ってしまった。
 エレクにはこの周囲の入り組んだ路地を理解できてないため、途方に暮れてし

まう。
「こうなったら山勘で当てりゃいいんだよ!」
 破れかぶれになったエレクは当てずっぽうに駆け出した。
 一方、ポリンは普段は誰も通らないような近道を使い、いち早く家の周辺に戻

っていた。
 帰ったポリンの目には自分より大きい男が3人立っていた。
 そして、3人の男の内、痩せた男は鈍く鉄色に光るナイフを赤髪の少年に押し

付けていた。
 男のリーダー格である青白い肌の男がゲスな笑いを浮かべ、ポリンに近寄る。
「おっと、親玉のお帰りのようだなぁ?」
「……何しに来たの? オズボーン」
 青白い肌の男、オズボーンは額に生えた角を撫でながら嘲笑う。
「何しにって? 決まってるだろうが。このクソ汚え小便垂れたガキが、俺達の

住処から大事な大事な宝物を盗もうとしやがったんだ」
 オズボーンから事実を告げられ、ポリンはギョッとした目で赤髪の少年を見つ

める。
「あれは元はポリン姉ちゃんの……」
「うるせぇ! 黙ってろクソガキ!」
 少年の虚勢を張った抗議の声も虚しく、痩せた男の脅しで直ぐに借りた猫のよ

うな状態に戻る。
「あれをあげたのは仕方のないことだったのよ、カイ」
「でも……」
 ポリンのある物をオズボーン達に渡したのは取引だった。
 それを渡すことでポリンと子供達に手を出すことはさせないようにする約束だ

ったのだ。
「で、どう落とし前をつけてくれるってんだ? ポリンちゃんよお」
 オズボーンはニタニタと粘着いた笑いでポリンに近づき、未成熟な体を弄る。
 吐き気を催す不快さに、ポリンはオズボーンを蹴飛ばしそうになる。
 だが、赤髪の少年、カイを人質に捕らわれていては何もできない。
 ポリンだけであるならば、オズボーン達を蹴散らして、逃走することはできる


 家族同然である子供を見捨てることなんてポリンには考えられなかった。
「……もう二度とこんなことないようにする」
「ああ? そうじゃねえんだよなぁ。二度とやらない、じゃなくて一度でもこん

なことをやらかしたのがダメなんだよ。わかる?」
 ギリリと歯を食いしばり、オズボーンを睨みつける。
 調子のいいことをオズボーンは言っているが、オズボーン達は取引をした後で

も度々、嫌がらせをしてきた。
 ポリンはカイのことはまだ許せた。
 彼が子供だからだ。
 そして、その行動は間違ったとしていても、ポリンを思っての行動だったから

だ。
 だが、オズボーン達のことは絶対に許せなかった。
「お願いします。本当にもうこんなことはさせません。許してください」
 許せないとしても、ポリンにはプライドを捨て、子供達のために土下座をする

ことはできた。
「ならばなあ、俺のお願いを聞いてくれるか?」
「……はい」
「ポリンちゃんをだな、俺らのボスは中々気に入ってるみたいでなあ、色々可愛

がりないとか言ってんだよお? ━━お前がガキ共を見捨てて俺達のボスの奴隷

になれ」
 聞くだけでおぞましさで寒気が止まらなくなる命令だった。
「姉ちゃん! ダメだ!」
「何言ってんだガキ。お前のせいでこんなことになってんだろうが」
 それでもポリンは誰かの為なら、犠牲になる覚悟はあった。
(エレク、ごめんね)
 仲間になると決まったばかりの記憶喪失のエレクのことが心配ではあった。
 でも、彼ならきっと大丈夫だろう。
 もしかしたら、子供達を率いて生活をしてくれるかもしれない。
「……」
 都合のいい考えとわかっていたし、自分が馬鹿げたことを考えているのもわか

っていた。
「でぇ、どうするんだ?」
 諦めるしかないのだ。
 これがポリンの生き方だった。
 今更変えることはできない。
「私は……」
 ポリンが諦めかけたその時だった。
「その必要は、ねえよ!」
 青白い突風がオズボーンを突き飛ばしたのは。
「何だかよくわからねえけど、そんなことする必要は絶対ない!」
「エ、エレク!」
 突風の正体は青白い髪を揺らす十代半ばの男、エレクだった。
 オズボーンを弾丸のように蹴飛ばしたエレクは、カイを捕らえている痩せた男

を即座に殴り飛ばす。
 痩せた男の顔が紙箱のように脆く歪み、折れた歯を散らしながら瓦礫の山に頭

から突っ込んでいった。
 唖然としていたもう一人の男はようやく何が起きているのか気付いた。
「何してんだ! ガキ!」
 男はナイフを握り締め、エレクの首に真っ直ぐと突き出す。
 男のナイフがエレクに突き刺さりそうになったとき、エレクの姿が消える。
 後ろに回り込んだエレクは男の首を万力のように締め上げ、男の意識を落とし

た。
「す、すげえや……」
 カイの驚愕と感嘆が混じった呟きを合図にエレクは構えを止めた。
「エレク!」
「あー、その、なんだ。大丈夫か?」
 ポリンがエレクに駆け寄ろうとするが、割って入った声に動きを止められた。
「てめぇ、『異能者』かよ……。ふざけた真似しやがってッ!」
 エレク達が声の方向を向けば、オズボーンは青白い顔を紫色に変え、激怒の表

情で立っていた。
「『異能者』? なんだそれ」
「……てめぇがどんな異能を持っていたとしてもなあ!」
 叫び散らすオズボーンの両方の手の平から、赤い炎が吹き上がった。
「俺の『ボンバーブレイズ』には適わねえよ!」
「ッ! あいつ異能者だったの!?」
「てめえらまとめて、地面の焦げにしてやらあ!」
 エレクはポリンとカイを抱え、後方に跳ぶ。
 オズボーンの炎拳がエレク達がいた場所に炸裂し、熱風を辺りに撒き散らした


「エレク! 逃げて!」
 ポリンが必死に叫ぶ。
 だが、エレクは、
「ダメだ」
「どうして!」
「バカだからそういうのはわかんねえ!」
 エレクはポリンとカイを抱えたまま、オズボーンの炎を避け続ける。
 連続で拳を繰り出されるため、エレクは二人を下ろす間もなかった。
「避けるんじゃねえええええ! クソガキがあああああああ!」
「ぐぅッ!」
 徐々に鈍くなるエレクの背に赤い拳がかすった。
 炎が背中の肉を焼き、エレクの全身から冷や汗が吹き出た。
 追撃の蹴りが来るのを察知したエレクはポリンとカイを放り投げた。
 蹴りは焼けた背中に当たり、鋭い痛みを更に増幅させた。
 エレクは態勢を立て直し、悠々と立つオズボーンを睨みつけた。
「エレク!」
「任せとけよ」
「でも……」
 ポリンから見てエレクが何で戦っているのかがわからなかった。
 痛みにこらえる顔は冷や汗で濡れ、背中は火傷の肉を蹴られ抉れていた。
 出会って間もないエレクが、何も覚えてないエレクがどうしてここまで体を張

れるのかが理解できなかった。
「ここで逃げたら、帰る場所が無くなっちまうだろうが」
「でも!」
「そうやって逃げて逃げて、逃げ続けて最後はどこに行くんだよ。生きてる限り

、退けない場面があるんだ!」
 過去を忘れた少年にしては、その言葉には底知れない実感の重みがあった。
 息を呑むポリンにエレクはふてぶてしく笑う。
「それにこんなやつに、オレは絶対負けねーよ」
「言わせておけばあ!」
 エレクの挑発じみた呟きにオズボーンは、我を忘れて襲いかかった。
「焦げ付きろクソガキィ!」
 エレクは怯まずに燃え盛る拳に対峙する。
 エレクには一つの確信があった。
 こんなチンケな炎には自分の魂は決して負けないと。
 この場で誰も、エレク自身でさえ、その事実を信じてはいなかった。
 だが、彼の魂だけは煌めき、瞬いていた。
 魂の輝きを少年は本能で叫ぶ。
「エレクトリックバスタァァァアアアアアアッ!」
 ━━青白い閃光が虚空を駆ける。
 世界が一瞬だけ白く染まり、元の色に戻った。
 ポリンが眩しさに目を瞑ったのを止める。
 立っているのは青い稲妻を体に走らせるエレクのみであった。
「エレク!」
「ポリ、いででで!」
 戦いの終わりを見たポリンはエレクに真っ先に駆け寄り抱きついた。
 興奮したポリンはエレクの背中の火傷のことを忘れていた。
「何でそんなに無茶するの! バカ!」
「……ポリン姉ちゃん」
 抱きついたポリンにカイが不安そうに声をかける。
「その人、気絶してるよ……」
「あっ」
 気が抜けたエレクには思わぬ伏兵だったのか、苦悶の顔で意識を手放していた


 ポリンは今更、エレクの火傷のことを思い出し、顔の端々まで真っ青に染めた


 情けないオチではあるが、これがエレクとポリンの出会いだった。