とれっく


 瓦礫に血のペンキがぶちまけられた。
 血を吹く首無しの人間はユラユラと不規則に揺れた後に、糸の切れた人形のように崩れた。
 死んだのだ。
 獣の耳と尾を生やした少年は身の丈ほどもある刀から血を払い、死体の様子を見る。
 その筋骨隆隆たる肉体には生々しい傷跡がいくつも残り、こいつの生前が歴戦の戦士であったことをうかがわせる。
 だが、死んだ。戦場に立って一年も経たぬ若造の剣で呆気なく、一太刀で殺された。
 軽く緊張を解くために息を吐き出し周囲を見渡す。
 残党はもういないはずだ。
 鼻を通るの血液の鉄臭さだけであり、耳に響くのも羽虫の羽音くらいのもの。
 戦いの高揚でドクドクと脈打つ心臓を抑え、俺は指定されている合流地点へ向かう。
 道中も藪が体をくすぐり、羽虫が耳の中に入る以外は何事もなく、無事に合流地点へたどり着く。
 合流地点では既に各々の役割を終えた部隊の仲間達が待機していた。
「トレックか」
 仲間の一人が少年に気づく。
 魔力を秘めた右眼を持つ魔術師のマルチナだ。
 彼女は普段通りの態度で妖しく光る瞳で無機質に少年を見た。
「終わったか」
「ああ、大したことなかったぜ。見た目だけだ」
 少年こと、獣人族のトレック・アットルースの軽口にも乗らず、彼女は任務を果たしたことだけを確認すると、すぐに踵を返し装備の確認に戻った。
 トレックは無愛想な彼女をどうにも好きにはなれなかった。
 蒸れた手袋を脱ぎ、鼻をかく。汗の臭いが彼の鼻をついた。
「班長」
 彼以外の班員も戻っていたようで、マルチナは全員の顔を一瞥した後に、班長のザックに合図を送った。
「よし。……こちら六班、目標を達成した。これより帰還する」
 大きな波も起こることもなく、今回の彼等の任務は終わった。

 


 食に頓着が無い者が使う安く、早い、けれども不味いこともない食堂でトレックは不満を覚えていた。
 昼の賑やかな食堂の中で不満気に指を卓上で打ち続ける姿に、近くを通る客は目を細めたが彼を咎めたりする者はいなかった。同じ席に座る一人の獣人の少年を除いて。
「どうしたっていうんだよ。そんなイライラして」
 トレックの正面に座るバルタウは宥めるように話しかけた。
「見ればわかんだろ? 不機嫌がここに極まってんだよ」
 バルタウのことも気にかけず、トレックは牙を剥き、唸りながら悪感情を吐く。
 バルタウとしては、何度目かあったことなので慣れたものではあるが、勘弁してほしいものだった。
 呆れながらもバルタウは友人に理由を尋ねることにした。
 トレックという男は良くも悪くも単純な男である。問題がわかり、やることができれば解決すると、この一年ほどの付き合いでバルタウも気付いていたからだ。
「何に怒ってるの?」
「あの捻くれ女のことに決まってんだろ!」
 当たり前だと言わんばかりに卓上を殴り、バルタウの顔にツバを散らした。
 木製の机が悲鳴をあげる。
「何で?」
「真面目にやってねえからだよ。手抜きでやってりゃいつか絶対死ぬね!」
 内心うんざりしながら不機嫌なトレックの相手をするラグーはまたそれかと心の中で呟く。
「別にいいんじゃない? 仕事はこなせてるし、ヘマすることもないし」
「だけどさあ!」
 不満気に息を荒立てるトレックに対し、バルタウはいつも通りふんわりと話題を逸らすことにした。
「命令無視して一人突撃してたトレックよりはマシ」
「うっ……。いや、そうだけど」
 痛いところを突かれ、しばらく沈黙とトレックにとって気まずい空気が続いた。
「……」
「まあ、どっちが周りから見たらマシかって考えると、……ねえ?」
「だああ! 考えてたってしょうがねえ! 俺が悪かった! 訓練行くぞ!」
 癖っ毛だらけの白髪をくしゃくしゃにして、勢いのまま言い捨てたトレックはそのまま席を立ち、食堂の出入り口へそそくさと歩き出した。
「ちょっと待ってよ! ……待つわけないか。おーい、せめて自分の皿ぐらい自分で下げてよー。はぁ」
 やれやれとため息をつき、トレックの分の食器も片付ける。
 トレックとバルタウはこの一年で任務外でもよくつるむようになった。年若い二人にとっては同年代の友人、同じ獣族の血を持つものは貴重なものだ。何度か同じ班で仕事する内に、馴染みやすい間柄にいつの間にかなっていた。
 そのため、トレックの突発的で直情的な行動に彼も慣れており、度々彼の後始末をするのもバルタウの分担であった。任務でも任務外でもだ。
「都合悪い話が出てきて誤魔化すのはいいけど、誤魔化し方が下手くそすぎじゃない?」
「うっせ」
 追いついて嫌味の続きをするが、口を尖らせたトレックは取り合おうとせず、せかせかと早足で歩く。
 このまま同じ話題を続けてもきりが無い。
「最近は誰と修行してるの?」
 故に他の話題へと移った。単純な彼なら別の気になることがあれば、すぐに興味を移すからだ。
「あ? あー……。確か、ミューレイド、だったっけ?」
「いや、僕に聞かれてもね……」
「ああ、なんちゃらミューレイドだったっけな。細っこい剣使ってる女だ」
「仮にも一緒に修行してる相手なんだったら、名前くらい覚えてあげようよ」
「努力はしてる」
 事実、彼なりには努力している方だろう。殴り合い斬り合い以外になると、頭が回らないほどの脳筋だ。その彼が一部でも名前を覚えていることにバルタウは驚く。
「そのミューレイドさんとはいつ知り合ったの?」
「剣振ってたから喧嘩ふっかけたんだよ」
「相変わらず適当だね」
「まあな!」
 トレックはハタハタと尾を振り、無根拠に胸を張る。
「程々にしなよ?」
「してるしてる」
「ホントに?」
「お前のそういうところ面倒だと思う」
「……」
 キッパリと言われそれ以上咎めることをやめる。すぐ細かいところをつついてしまう癖があるようだ。
 先程とは逆にバルタウが口をへの字に曲げて黙ってしまう。
 その後もあの部隊の人間は嫌味なやつだとか、訓練相手が増えたとかのいつも通りの大したことのない話を続けた。
 気付けば二人は訓練場へと辿り着いていた。

 

 

 

続かない。