トレックとジョニー

 

 

 身の丈を超える剣が空気を裂いた。
 汗と吐息が白い煙と化し、散り散りになる。
 剣を持ち上げ、振り下ろす。
 何かに執着するように、ただただ見えない何者かを男は切り続ける。
 男はくすんだ白髪に狼の耳を生やし、頭髪と同じ色をしたさらりとした尾も生えている。
 汗ばむ肉体は若くしなやかな筋肉に覆われていることが見て取れ、普段からかなりの修練を積んでいることがわかる。
 精悍ながらまだ幼さを残した顔つきで、目の色は星を思わす黄金色だ。
 男、つまりトレックにとって早朝の鍛錬は生活の一部だ。
 日常の一部である愛刀の素振りは、どんな日にも欠かしたことはない。
 傭兵団ナイツロードの本拠地、海洋上に浮かぶ巨大なフロート『レヴィアタン』。
 生活施設を一通り揃えた『レヴィアタン』では、戦闘を生業とするありとあらゆる人々が生活を営んでいた。
 そんな血の気の多い場所でトレックは育った。
 戦いはロクでもないということはよく聞く。
 事実、何人もの知り合いが戦場に向かい、帰ってこないことも少なくなかった。
 しかし、生まれつきの血筋か、獣人の性か、はたまたそういう星の元に生まれたのか、戦うことをトレックは求めていた。
 青二才の甘っちょろい考えだということも理解している。
 だからこそ、剣を振り続けている。
 自分のできうる限りの努力をしてきた。
 不安はあるが、それ以上に自信がある。
 何も問題はない。
「毎朝毎朝、飽きずによくやるよお前は」
 素振りを続けるトレックの側に欠伸を堪える男が愚痴る様に呟く。
「なんだ、ブツブツ文句を言ってくるからよ。来てくれねえかと思ったぜ」
「俺は意外と大人なんだよ。子供に付き合うのは義務みたいなもんだろーが」
「俺だってもう15歳だぜ?」
「まだまだガキだよ」
 軽く息を整えながら、男は軽口を返す。
 寝癖だけを整えた髪をぐしゃぐしゃ掻きながら、男は怠そうに体を慣らす。
「あー、眠いし寒いしめんどくせー……」
「準備運動いるか?」
「いや、いらねー。というか今からが準備運動だろうが」
「……そういやそうか」
「相変わらず脳ミソまで筋肉か」
「うっせ」
 トレックに相対する男、ジョニー・ベルペッパーは黒い革の手袋を脱ぎ捨て、青白い機械腕を露わにする。
 確かめるように機構を起動し、雪のように白い魔力光を淡く輝かせた。
「よし、バシバシこいよ」
 ジョニーがそう言った瞬間、トレックは氣の弾丸を放った。
 難なく避けられるが、近づきつつ気弾を放ち続ける。
 氣を実体化させ、物理干渉を起こす異能はかなりオーソドックスなものだ。
 その単純な性質は正面からぶつかることが好きなトレックに合っている。
 しかし、その弾道は速度はあるものの、直進しかしない。
 優秀な魔術師であるジョニーには牽制になるかも怪しいものだ。
 多彩な遠距離攻撃を持つ魔術師相手には距離を取られては剣士であるトレックにとっては不利だ。
 リスクを承知で一足で前へ跳ぶ。
 気弾の襲撃が収まったことで機械腕からお返しとばかりに氷の弾雨が降り注ぐ。
「しゃらくせえ!」
 剣に氣を纏わせ、横薙ぎに一閃。
 氷の弾丸は根こそぎ消し飛ぶ。
 その勢いのまま、トレックはジョニーに肉薄し、大上段から鉄の塊を袈裟に振り下ろす。
 右腕から展開された半透明な魔力の刃で受け流されるが、剣を振る勢いのまま、ジョニーの腹を目掛けて蹴りを繰り出す。
 だが、その動きも読まれていたのか、躱されて伸びきった脚をジョニーに掴まれる。
「攻め方が少ねえ、よ!」
 ジョニーは全身の至る所にあるブースターを起動させ、力任せにトレックを頭上へ射出した。
「ぬおおおお!?」
 驚駭の声と共に空を登るトレックへ、ジョニーは両腕を構える。
 細い砲身が幾つも展開され、
「ちゃんと耐えろよ?」
 ジョニーの独り言と共に光の束が幾重にも放たれた。
 トレックは風圧で顔中の皮膚を引っ張られながらも、空中でなんとか剣を構える。
 向かってくる光の束をどうにもできないまま、それはトレックのいたるところを焦がした。
 氣の質が高いおかげか、致命的なダメージにはならないが、攻撃はこれでは終わらない。
 トレックの背に衝撃がぶつかる。
 ブースターで勢いをつけたかかと落としを喰らったのだ。
 肺の空気が全て吐き出され、わけのわからないままに地面に叩きつけられる。
 息を無理やり吸い、すぐさま空を見上げると人の頭ほどの氷塊が落ちてきている。
 氷塊は狙いが甘かったのか、トレックの周囲に落ちて砕けた。
 だが、トレックはそこからすぐに飛び退いた。
 その刹那、砕けた氷が地面に急速に広がり、氷の大地を作り上げた。
 ジョニーの狙いは氷塊をトレックにぶつけることではなく、飛べないトレックの動きを制限することだったのだ。
「卑怯だぞ、おい!」
「戦いに卑怯もクソもないんだよー!」
 今まで通りとは違う搦め手に困惑しながらも、走り回って消えていく地面から逃げ回る。
 反撃しようにもこの距離ではトレックの氣の弾丸では焼け石に水だ。
「うげっ!」
 気づけば逃げ場はなく、辺り一面が氷で覆われている。
「逃げてばっかじゃ話になんねーぞー」
「ぬぐぅ、好き放題やりやがるぜ、チクショウ」
 ジョニーの気の抜けた挑発にも言い返せず、氷塊からトレックは苦悶の声を漏らす。
 だが、スケートリンクのように辺り一面に氷が張り巡らされている場所で勢いよく走ろうとすれば、コケるに決まっている。
「逃げ回るなんて俺らしくねえわな!」
 逃げ回るのは終わりだ。
 元よりトレックという男は綺麗に立ち回る性格ではない。
 降り注ぐ氷塊へ振り向き、刀を脇に構える。
「バーストォ!」
 がむしゃらに叫び、刀に氣を込めて全力で振り上げる。
 先ほどの氣の弾丸とは比べ物にならない力の波が氷塊を飲み込み、ジョニーへ向かうが、余裕を持って躱されてしまう。
 それもトレックは想定済み、ではなくどっちにしろ同じだ。
「喰らえやぁ!」
「結局、ゴリ押しか!」
 交差する銀腕に黒い刃振り上げられた。
 甲高い金属音が鳴り響いた。
 バーストを放った後、トレックもすぐに飛んだのだ。
 トレックは自分の筋力任せに、ジョニーを拮抗している腕ごと氷の無い地面へ弾き飛ばした。
「だー! クソ脳筋が! 壊れたらどうすんだよ!」
 義腕の心配をしつつ、ジョニーは空中で体制を整えて、地面スレスレで止まる。
 トレックは刀を振った勢いそのままにもう一度バーストを放った。
 しかし、それはジョニーではなく自らの頭上にだ、
「ぶっ壊れろ!」
 トレックがジョニーに向かって凄まじい速度で射出される。
 距離を取られては不利なのはトレックだ。
 近づけるチャンスがあるならば、なんだっていい。
 直感的に判断し、バーストを推進力として使ったのだ。
「チェストォ!」
 ジョニーに向かって流星の如く、飛び蹴りを浴びせる。
 かろうじてジョニーは躱すが、反撃の手は出ず、そのままトレックの追撃を許してしまう。
 縦横無尽に刀を振るわれ、それを躱して逸らしての繰り返しだ。
 いくらジョニーが優秀な傭兵であろうと、満遍なく重い斬撃をまともに喰らうことは相当なダメージを受けることになる。
 更にはその全ての斬撃がジョニーの動きを制限し、回避以外の行動を不可能としている。
 このままではジリ貧だ。
「ぐっ!」
「ッ! 貰った!」
 胴を薙ぐ切り上げを受け損ない、ジョニーは諸手を上げさせられてしまう。
 それを見逃すトレックではない。
 前に踏み込み、地と水平に一閃。
 破壊そのものを相手の腹に目掛けて、渾身の一撃が命中する。
 常人であれば半身が泣き別れすること間違いなしだ。
 まるで蹴飛ばされたサッカーボールの様に転がり続けるジョニーをトレックは執拗に追う。
 トレックが正に息も絶え絶えなジョニーへとダメ押しの一撃を与えようとしたその時、
「ス、ストーップ!」
「!?」
 ジョニーによる迫真の停戦要求が叫ばれる。
 突然の言葉にうまく体が追いつかず、つんのめりながらもトレックは転がり終えたジョニーの隣に追いついた。
「げほっ! ……殺す気か!」
「いやー、大丈夫っしょ!」
「こいつ……」
 咳き込みながら膝立ちをするジョニーにトレックは手を貸す。
 立ち上がり腹の辺りを触るが、大きな怪我はないらしい。
 どうやら障壁魔法を即席で張り、耐え凌いだ様子だ。
「あー、クッソ。今日は終わりだ」
「まだ、やれる元気ありそうだけど?」
「馬鹿を言うなよ。準備運動って言っただろ」
 軽く汗を拭い尾を振るう。
 トレックが辺りを見回すとまばらに見学者がいたのか、人が散り散りに去っていく。
 一息ついた二人は修練場を出て行くことに決めた。
「ったく、容赦がねえよ。少しは加減ってものをだな」
「悪い悪い! 気合が入りすぎたわ」
「はぁ……」
 ジョニーはトレックの相変わらずさに溜息を思わず漏らす。
「お前ももう戦場に出るんだな。まぁ、死ぬなよ」
 どこか感慨深く呟く兄貴分にトレックは珍しいものを見た気持ちになる。
「おうよ」
「逃げたって構いはしないからよ。しななきゃ勝ちだ」
 あまり前線には出ないジョニーではあるが、トレックに比べれば経験は多い。
 生意気ながらも入団した頃から慕ってくれる弟分のことは、心配ではあるようだ。
「すっげーらしくねえこと言ってる……」
「茶化すなよ」
「だって気持ち悪いし」
「照れるな照れるな」
 二人で歩きながらいつもとは少し違う会話をこなす。
 彼らの付き合いはジョニーが入団した頃に遡る。
 その頃からレヴィアタンに暮らすトレックとは、ちょっとしたきっかけで共に時間を過ごすようになった。
「よっしゃ、じゃあそろそろ訓練の準備しに行くわ」
「おう、言ってこい」
 駆け出すトレックの背中を見送る。
 子供の頃から知っている者が戦場に行く。
 他の道も選べるはずなのに、トレックが何のために戦場に出るのか。
 何故、命の取り合いを求めるのか。
「まぁ、何とかするだろ」
 ジョニーにはどうにしろわからない。
 彼がどんな道を選ぼうと少しだけ手伝いをできればそれでいい。
「ん?」
 ふと、腕に違和感を感じたジョニーは自身の義腕を見る。
 明らかな歪みが生じている。
 動作に支障はないレベルのものだが、修理しておくべきだろう。
「……」
 思わず眉間にシワを寄せながら、トレックへの恨みを積もらす。
「馬鹿力野郎め」
 思わぬ出費と成長した弟分に複雑さを覚える。
 武器の性能を上げるか否か、独り言ちながら馴染みのコーヒー屋へ足を進めることにした。