八話
父の大きな背中だけはよく覚えている。
生まれた時から何かしらの研究施設の中で過ごしていた俺にとって、父は世界の大半を占めていた。
父に認めてもらうことだけを求めて俺は努力した。
父から受け継いだ魔法の才能を鍛えた。
父の役に立つため、父の研究の勉強をした。
俺は自分の世界を維持するために、自分自身を父に捧げ続けた。
だが、父は最初から俺のことなど、どうでもよかったのだ。
魔法を学んでわかったことは、力なんてつけても父には関係ない。勉強をして父の研究を理解したとき、俺の世界は崩れた。
俺の存在は父にとっての大事な存在のためにあるだけだったのだ。
父の目は終わりのない狂気を宿していた。
四肢といくつかの内臓を無くしたのは現実に気付いた10歳の時だった。
その時のことはあまり覚えていない。
後に自分が父の遺伝子と父の大事な人の遺伝子を用い、人造培養されたことを知ったり、二度と自らの肉体の再生は望めないと知った。
生かされたままベッドの上で絶望した。利用され、ゴミみたいに扱われ、このままベッドの上で腐るように死ぬのだと。
だが、俺にはどうしようもなかった。
幼い俺にとっての世界は、父とその周囲に存在するものだけだったからだ。
俺は依然として父に、いや、あの男に依存していた。
彼女と会ったのはそんな時だった。
「……」
何やら懐かしい夢を見ていた。
俺が弱くて何も知らない子供だった時の記憶だ。
だが、今はもう関係ない記憶のはずだ。
あの人物、ワイアットがこの件に関与していなければ。
「……」
気にし続けても仕方ない。
今は気持ちを切り替えるようにしよう。
自室を見渡すと綺麗に整頓され、清潔を保たれるようになっていた。
以前、掃除をした男から部屋を清潔に保つよう言われるのだ。
やれ、ハウスダストだ、ダニだ、カビだの光のごとき速さで解説してはすっ飛んでいくのだ。
流石にそこまで言われれば、ある程度は綺麗にしようという意識は生まれる。
……何日続くかは正直微妙なところだが。
少し気が紛れる。
どうやらあのお掃除妖怪は物理的なものだけでなく、精神状態も綺麗にしてくれるようだ。
なかなかどうして有能じゃないか。
下らない思考も程ほどにし、そろそろ起きるか。
同じベッドで寝ていたファルは既に起きているようで、洗面所から物音がする。
『念動』の魔法を使い、修理してもらった義手と義足を装着する。
腕と脚に差し込むと、全身に電流が流れるような痛みが一瞬走った。
手を握り、屈伸をして手足に異常がないことを確認する。
「あ、おはよう!」
「おう」
洗面所からファルが出てきた。
長い髪を後頭部で束ね、活発な笑みを浮かべている。
ファルは朝には滅法強いらしく、何時ものお日様のような明るさだ。
夢のことを除けば、これが最近の朝の光景だ。
しばらくして互いに身支度を整え、朝食を取るために食堂に向かう。
その道中に今日の予定を思い出す。
「今日はちょっとここの幹部と話があるんだが、ファルはどうしたい?」
「幹部? どんな人なの?」
どんな人、か。何とも説明し難い。
「ナイツロードの中でもトップクラスに強くて、尚且つその中でも常識がある何時もメイド服で目つきが鋭い女性だ。もしかしたらもう会ったことがあるかもしれないが」
俺がファルと再会する前に会っていたかもしれないため、注釈をつける。
「んー、知らないや」
だが、ヴァレンティナと顔を合わせてはいないようで、両手の手のひらを天に向けて、知らない、というジェスチャーをした。
「お、ジョニーとファル。こんな所で何してんだ?」
そこに前方から声をかけてきたのは、一人の男。
いつでもどこでも根拠のない自信を満々にたぎらせたアルドロ・バイムラート、その人だった。
「……誰だお前は」
「え、アルドロだよ。覚えてねえの?」
「アルドロ? 知らない名だな」
「ほ、ほら、ロッテと一緒にいた、あー、何かアルドロ・バイムラートだ!」
一時の空白。視線だけが俺とアルドロの間で交錯する。
アルドロは真剣も真剣。マジな目線をこちらに向ける。
「知ってる。だから朝からそんなに喚き散らすな。アホドロ」
「おはよー! アルドロ!」
「覚えてるんじゃねえか! あと、アホじゃねえ!」
アルドロは実に単純な男だった。
そしてちゃっかりアルドロ弄りにファルも参加していた。
アルドロの扱い方を心得てきたようだな。
「ったく、んで、お前らは」
「朝飯食いに食堂へ、ってとこだ」
「なんだ、入れ違いかよ。じゃあ、俺行くわ」
どうやらアルドロは朝食を既にとった後らしい。
この時間に暇そうに歩いてたら大体そうだろうな。
「おっと、そういえばファルよ。リベンジはいつやらせてくれんだ?」
リベンジ、言われてみるとそんなものもあったと思い出す。
「アルドロ、今日って暇?」
「暇じゃないけど暇だぜ」
「ねぇ、ジョニー、今日はアルドロと遊んでていい?」
「ふむ」
ファルから提案があり、それに乗るか乗るまいか悩む。
「頭抱えて悩む必要ねえだろ? 過保護かよ、ロリコンかよ」
頭を抱えて悩んでもいないし、ロリコンでもない。だが、過保護気味なのは確かかもしれない。
ここ数日ファルを見てきても、特に問題を起こす様子はない。キチンと分別ができている。
「いいんじゃないか? ちゃんと遊びになるように遊んでやれよ」
「おっけー」
「うぐぐ、お前ら、俺のこと舐めすぎだろ!」
「だって弱いもん」
「んだとぉ!」
単純なアルドロはカチンときたようで、朝から子犬のようにキャンキャンと騒ぎ出した。
この時点でファルとアルドロの差が露骨過ぎるほど透けて見える。
「今日は前のようには行かねえぞ! 付いて来い!」
「あはは、行く行く!」
「ちょっと待て」
走り出すアルドロを放置しておきファルを引き止める。
「朝飯が先だ」
「あ、忘れてた」
ファルは失敗、失敗、と照れたように呟いた。
「じゃ、行こっか」
ファルが俺の手を引っ張る。
当然のごとくアルドロのことをスルーしていることに関しては何も言うまい。
アルドロは放置しよう。しばらく一人で頭を冷やすべきだ。
というか何をアルドロは焦っているのか。いくら何でも短気すぎる。
それはともかく、食堂に行くとしよう。
「問題は無いようだな」
「ああ、ぼちぼちってとこだな」
朝食を取り、ファルをアルドロの元に届けた後、二人だけにしては、少し広過ぎる個室でヴァレンティナ・クーツェンへの報告を終える。
報告、と言っても大したことではない。
好きな食べ物だとか、朝の様子だとかそんな取るに足らないしょうもないことまで話した。
「ファルルーナもここに慣れてきたようだし、そろそろ本格的な『教育』を始めろ」
教育、つまり傭兵としての訓練だ。
「やり方は?」
「てめえに任せる。だが、」
「ウッヒッヒ、ハロー! 何してんのサァ?」
突然現れた珍客に思わず、『魔刃』を発現させ、横薙ぎに振るってしまった。
首を飛ばされたまま、全体的にギザギザした女は、斬られたことも気にせず、跳ねるような声で会話を続けた。
身体は豊満な胸を見せ付けるように、堂々と腕組みをし、机の上に鎮座している。対して生首はクルクルと俺とクーツェンの周りを黒いツインテールを揺らしながら飛び回っている。
「二人で個室で密談なんてイヤらしいんだからぁ、もー」
「黙れ」
「冷たいネ! アタシはこんなにティナちゃんをラブフォーエバーしてるってのに酷い女だネ。ジョニっちもそう思わない?」
生首はサメのような歯を噛み合わせ、ニンマリと口を三日月形にし、俺に笑みを向けてきた。
「いや、別に」
「ええー! ツマンナイなぁ!」
「プニートニフ、黙って帰れ。でなけりゃ捻り潰すぞ」
「ヤダヤダヤダー!遊んで遊んで遊んでヨー!」
突然の来客に保護者会のような話し合いは中断された。
来客者の名前はプニートニフ・ジグザッグ。彼女も団長直属の幹部の一人である。
奇抜なものが好きな彼女は、度々こうして他人の会話に首を突っ込むという噂だ。
その同僚に対して、クーツェンの態度は冷たいものだ。
「話を戻すが、教育は急いでやれ。早急に仕上げろ」
……早急に、か。中々、唐突な話じゃないか。
少なくともファル一人を直ぐに使えるようにしても、あまり意味はないと思うのだが……。
「以上だ。解散」
「えー、終わりかヨー」
これで話も終わりらしく、俺はとっととこの部屋から出ることにした。
クーツェンだけならまだいいが、ジグザッグと同じ空間にいると心底くたびれる。
さっさとおさらばするのが吉だろう。
「情を持ちすぎねえようにしろよ」
部屋の扉に歩き出してすぐにヴァレンティナは虚空に言葉を呟いた。
「ガキと接するのに情は必要だが、必要以上の情は毒になる。弁えておけ」
最後にその言葉だけ聞いて扉をくぐった。
部屋を出て、時間を確認すると時刻は既に正午を過ぎていた。
ファルとアルドロがどうなっているにしろ、様子を見に行くべきだろうな。
「いやぁ、やっぱティナちゃんは優しいネ。キミもそう思うだロ?」
いつの間にかジグザッグが隣を歩いていた。今は首が不自然に体を離れることもなく、キチンと体の定位置に収まっている。
「どういう意味だ?」
「やだナー、どうせお気付きなんだロ? ファルるんがただの魔族じゃないんだってサ」
当然だ。わざわざあまり優秀とは言えない俺に指名したりする辺り、裏を感じる。
以前、団長室を訪れ、話を聞いた時からいた人物、ワイアットの存在は特に怪しいものだ。
他人の過去を知ったような口で、俺を貶してきた男が関与していることは間違いない。
ジグザッグが俺に何かしら告げたいのはわかるが、彼女が俺の味方かどうかは別だ。
それに彼女の愉快犯的な性格は、秘密を守ることには適してはなさそうだ。
「……ま、見るからに怪しいから疑うのも仕方ないネ。だからこれから言うことはただの独り言。気にしてもいいし、気にしなくてもいいヨ」
さて、どうしたものか。