旧ナイツロード 第十二話 魔手

 

 

「フンフンフフ~ン♪」

 小さな部屋の中に、まだあどけなさを残す少女の声が響く。

 その身体は小さく、声と相まって少女は実際の年齢よりも一層若く見えた。

 一見、どこにでもいるような普通の少女。しかしその実態は、決して〝普通〟ではない。

 ――少女の名前はルナ・アシュライズ。傭兵団『ナイツロード』の一員にして、世界で唯一無二の才能を持つ『魔法使い』である。

 ルナはしんと静まり返った『ナイツロード』内の、普段の騒がしさとは無縁な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、音を立てずに自室を出た。途端、ひんやりとした空気が身体を包む。

 『ナイツロード』本部は海上を移動する巨大な要塞であるため、正確な時刻までを知る事はできないが、一応基地内に設置されている時計――『ナイツロード標準時刻』によれば、現在時刻は午前四時。年中海風が吹きすさぶ『ナイツロード』本部外縁に比べれば随分とマシではあるが、それでも暖房の稼動していない基地内部は、身体を震わせるのには十分な寒さだった。

「ふぃ~、今日も寒いなぁ」

 小さく身体を震わせながら、ルナは歩を進める。この程度の寒さならば、我慢できないことはない。なにせ、ルナは普段から毎朝『ナイツロード』外延部を散歩しているのである。これくらいの寒さは、むしろ目覚まし代わりに丁度良かった。

 この朝の散歩は、ルナが『ナイツロード』へやってきてからというもの、ほぼ毎日――本部の位置や、天候の問題で出来ない日は除いて――行っている。

 特に何か意味があるわけでは無いが、なんとなくやめられないのだ。

 ルナは耐寒用の魔法が裏縫いされた防寒用のコートを羽織ると、正面通用口から外へ出た。途端、吹き抜けていく海風。今は五月。現在『ナイツロード』本部は北半球に位置しているため、気候的には温かくなり始めているはずなのだが、しかしやはり寒いものは寒い。

 ルナはコートに身をくるめるように小さくなると、ゆっくりと歩き出した。

 まだ日が出ていないためか、空は少々薄暗い。散歩をするにはあまり向かない空模様だが、しかしルナは、この明るいとも暗いともいえない中途半端な空の淡さが気に入っている。

 傭兵となってそこそこの戦いを経験したルナだが(この界隈は人の出入りが激しいため、一年も務めれば一人前なのだ)、しかしいまだに直接的な殺人を行った事がない。『魔砲』で敵を殺した事は多々あれど、一度だって、その死を見た事がないのである。

 だからだろうか。人を殺しているくせにまるでその実感がなく、自分が綺麗でいられると勘違いしてしまいそうになる自分と、この淡い空が重なっているように見えるのは。

「……う~ん、こんなの人に聞かせられないなぁ」

 少しばかり私的だった自分の考えを嘲笑うかのように、ルナは一人苦笑する。

 この場には誰もいないからこその感情。聞かせる相手も、聞かれる相手も、誰一人以内からこそ考えてしまう、取り留めのない乱雑とした思考。

 ――そのはず、だったのだ。

「ほう? 何が聞かせられないのか、是非教えてもらいたいものだな」

「……リアル魔法少女、だと?」

 聞こえてきたのは、二つの声。今すぐ地獄に引きずり落とされてしまうのではないか。何の確証もないのに、そう確信させるだけの圧力を持った言葉が、ルナの耳を犯した。

「……っ、えっ、な……に……?」

 上手く声が出せなかった。震える身体はまるで自分のものでは無いかのように固まっていて、一歩も踏み出すことが出来ない。

 振り向いたらきっと殺される。そんな予感めいたものが、ルナの中にあった。

「そう縮こまるな。よいよい、こちらに振り向く事を許そう」

 一見、こちらに敵対する気は無いかのような、軽妙な言い回し。だがそれは、内に秘めたどす黒いものを押し込めるためでしかないと、ルナは一瞬で看破した。だがそれは、同時にこの声の主が、そんな事は理解されてもいいと、そう考えているのだという事も、同時に理解できてしまう。

 結局の所、振り向くしかないのだ。

(怖い! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い!)

 心臓が破裂しそうだった。身体を無理矢理動かそうとしただけで、恐怖が身体をせき止め、痛みが走る。それでもルナは、生きるために身体を動かした。

 そうして、その視界に映ったのは――

「これはこれは。まさかこんなにも早く出会えるとは思わなかったぞ。やはりこのハオウは選ばれた星の下にあるようだなぁ……。ククク、会いたかったぞ、世界一の『魔法使い』よ。このハオウのために――その身を、心を、その全てを捧げるがいい」



「いだっ、いだだだだあぁっ!」

 『ナイツロード』の医務室で、俺は腰を押さえて絶叫していた。まるで腰の内部から針を突き刺され続けているような、そんな耐え難い痛みに悶える俺を力づくで押さえつけながら、グーロは低い声で言った。

「今回の任務で一番大きな負傷が腰とは……お前は身体が強いのか弱いのか」

「あででっ、そんな事知らねぇよっ! 俺だってビックリしてるってのっ! ……あひぃっ!」

「……君も災難だねぇ」

「そう思うならレイド君よぉ、もう少し優しくしてくれ……よぉぉぉおおぉぉぉおっ!」

「それは無理な相談だね。こっちとしても、君には早く復帰してもらわなくちゃいけないから……ねっ!」

「ムリムリムリムリ! 腰がちぎれるッ!」

 懇願を無視して、涼しい顔で俺の腰に薬剤を塗りたくるレイド。……コイツはきっと、鬼や悪魔の類を身体の中に飼っているに違いない。

 そもそもどうしてこんな事になったのか? その原因は、この間の一件にある。

 あの時。クレシェンドから雷の剣の一撃を逸らすために無理な方向転換を身体に強いた結果、俺の腰には多大な負担がかかっちまった。それだけならまだ良かったんだが、腰に爆弾を抱えてることに気付かないまま輸送ヘリに揺られた結果、見事にその爆弾が爆発して、俺は朝っぱらから悲鳴を上げることになった、ってわけだ。

 この歳でぎっくり腰のお世話になるなんて、昨日までは思いもしなかったぜ。

 ……まぁ、医学が発達した現代においては、ぎっくり腰は不治の病ではなくなっている。自然治癒力やその他諸々を高める薬が生み出された結果、軟骨の傷なんてものはあっという間に治る世の中になっているのだ。

「そういえば、普段はお見舞いに来るあのドMの団員、今日は来ないんだね」

「……そういえば、そんなのもいたな」

「あぁ……そういや今日はウチモトのヤツ見てねぇなぁ」

 普段ならどこから聞きつけてきたのか、鼻息荒くして飛び込んでくるんだが。

「……まぁ、静かだしいいんじゃねぇの?」

「それもそうだね」

 俺の言葉に同意して、レイドは再び薬剤を塗りこみ始めた。



 ……このとき、俺たちはウチモトが現れないことに、少しでもいいから疑問を感じるべきだったのだ。ここで多少なりとも疑問を持っていれば、俺たちの命と引き換えに、ルナをあんな目にあわせる事はなかったのだろうから。

 でも、それは可能性の話だ。俺たちはもう、決断を誤ってしまったのだから――。

 

 

 

 その日ウチモトがその現場に居合わせることとなったのは、全くの偶然と言っていい。

 今回も何かしらの怪我を抱えて帰ってきた同僚のことを考えていたせいで、普段より眠りが浅かったという事もあるだろう。おかげで早起きしてしまったので、ふと散歩をしてみようなどという考えが浮かんできたこともあるだろう。

 とにかく彼は――ナイツロード発足初期から組織の一員として働いてきた、ベテラン傭兵であるウチモトは、本当にたまたま、偶然、奇跡的な確立で、その場に居合わせてしまったのだ。

 まず視界に入ってきたのは、黒い二つの影だった。大きなものと、小さなもの。その二つの黒い影が、彼の知り合いを――同僚の一人であるルナ・アシュライズを囲んでいると気付いたのは、影に気付いて一拍置いた後だった。

 ウチモトは分析する。

 ルナを囲んでいる二つの影は、彼の記憶の中に存在する人物では無い。そして同時に、ルナにとって友好的な知り合いであるという可能性もない。もし友好的な関係であるならば、ルナはあのように怯えた表情はしない。

 ――即ち、敵。

 一秒にも満たない思考時間の内にそう判断したウチモトは、即座に戦闘体勢をとる。彼の丸い身体がまるで猫のようにしなり、体型に見合わない俊敏な動きで駆け出した。

「邪魔だ」

 だがしかし、一歩目を踏み切った直後から、ウチモトの足は動かなくなった。だというのに、ウチモトの視界は前へ前へと動いていく。

「…………」

 一体何が起こったのかと、ウチモトは視線を己の下半身に向け、そして絶句した。

 ――そこにあるはずのウチモトの下半身が、存在しない。

 目を見開いたウチモトは、重力に引っ張られた上半身と共に下降していく視界の中で、後方に倒れている自身の下半身を見る。

 そしてそこで、ウチモトの意識は途切れた。





「あ、あぁぁ……」

 悲鳴さえも出なかった。偶然通りがかったのであろう、エレクの友人である団員の胴体が、上下にすっぱりと両断されてしまったのだ。その断面はとても鋭利で、胴体が別たれてからしばらく経ったというのに、未だに流血が起こらない。あまりにも綺麗に切断されているのと、ウチモトの胴体を切断した一撃――ハオウと名乗った男の背後に控える、小柄(あくまで目の前の大男に比べれば、ではあるが)な男の繰り出した氷の刃によって過冷却されたことによって、切断面に薄い氷の膜が出来てしまっているのだ。

「ひ、ぃっ!」

 かすれたような金切り声が、喉の奥から競りあがってくる。しかしそれも、恐怖が蓋をしているためか、やはり音として放出されることは無かった。

「おい」

 ハオウが背中越しに、ルナの同僚を殺した男へと声をかける。

「きちんと処理をしておけ」

「当たり前だ。このナゼが、そんなことに気付かない間抜けだとでも思っているのか、能無しめ」

 ウチモトの遺体を黒い繭のようなもので包み、海に投げ捨てながらそう言ったナゼに対して、ハオウは失笑した。

「ククク。よく吼えるなぁ、人間よ? 貴様がそのような態度を取るという事は……」

「いっ、ぎぃ……っ!」

 ハオウは突然腕を伸ばすと、ルナの髪を掴み、そのまま持ち上げる。そしてそのまま、ルナをまるで商品であるかのように、小柄な男の方へと掲げた。

「〝コレ〟はいらないという事か」

「……冗談を本気にするな」

「ハッ、今回はそういう事にしておいてやろう」

「あぅっ!」

 ハオウは小柄な男――ナゼを嘲笑するかのように鼻を鳴らした後、背後に向かって乱雑にルナを投げ捨てた。ソレを見たナゼが、嫌そうに両目を眇める。瞬間、生暖かい怖気がルナの身体を包んだ。

「……〝ソレ〟は自分が使うのだから、もっと丁寧に扱ってもらいたいものだな」

「フン、全く持って度し難い。人間というのは、やはり下等な存在のようだな!」

「なんとでも言っていろ。魔法少女の素晴らしさが分からん貴様の方が、自分としては信じられない。……考えてもみろ、ここまで完璧な装いで、なおかつ資料によれば天賦の才まで持った可憐な少女が、自分のモノになるんだぞ? 心踊らぬ方がおかしいというものだろう。そもそも――」

「分かった、もういい。このハオウにそのようなくだらない話を聞かせるな」

 何気なく、まるで日常会話のように交わされる言葉。その言葉の意味が、ルナには理解できなかった。

 身も心も捧げる? 自分のモノにする? 自分が使う?

 これでは、これではまるで――自分が、彼らの下へと連れて行かれてしまうかのような話の流れではないか。

「い、やぁ……」

 か細い声が、喉を通して零れ落ちる。この悪鬼どもの下へと連れて行かれる? 冗談ではない。この悪鬼どもに連れて行かれるくらいなら、ここで惨たらしく殺された方がマシだと、ルナは素直にそう思った。

 現実は無常だった。ルナの声を聞きつけたらしいハオウの顔が、ゆっくりとルナの方へと向けられる。その口角が、まるで口が裂けたかのように大きく釣り上がった。

「どうやら自分がこれからどうなるのか察したようだな。……ククク、聡い女は好きだぞ、その辺の凡夫共よりも余程『使い道』がある」

「いや、いやっ……」

 ルナは弱々しく首を振った。いつの間にか失禁していることにすら、恐怖で気づく事が出来ないでいる。そんな絶望の表情を楽しげに眺めながら、ハオウが続ける。

「まずは貴様の身体を魔族のものへと作り変えてやる。幸い貴様は『魔法』を扱う人間だ。となれば、我ら魔族へとその身体を変えた暁には、今までの数十倍、いや、数百倍の魔力を取り扱えるようになる。……どうだ、嬉しいだろう?」

 嬉しいはずがなかった。身体を作り変えると言われて、喜ぶ人間が一体どこにいるというのか。しかし今は、ルナに否定という選択肢は無かった。涙と鼻水と冷や汗とで、その幼い顔をグチャグチャに濡らしながら、ゆっくりと首を縦に振る。

 ソレを見たハオウは、表情の中に愉悦の色を深めつつ言った。

「では、コレを受け入れるがいい」

 ハオウが左手を差し出す。その掌に、ルナの顔と同程度の大きさをした黒い魔力の塊が浮き上がる。小さく揺らめく炎のようなソレは、見た目に反して超高密度な魔性を帯びている事が、ルナにもひしひしと伝わってくる。その邪気に当てられたのか、競り上がってくる吐き気。

極度の緊張状態にあるためか、ルナはその奔流を抑える事ができなかった。

「うっ、げえぇ……」

 胃酸と共に吐瀉物が吐き出され、つんと鼻を突く臭いがルナの鼻腔をつんざく。

 ハオウは吐瀉物に濡れたルナの顔を気にする事もなく持ち上げ、唇に左手をあてがった。

「恐れることは無い。コレが終われば、貴様は人間という脆弱な殻を抜け出し、偉大なる魔族へとその種を変えるのだ。まるで世界が変わったかのような爽快感が得られることだろう!」

「がっ、――――――――――っ!」

 高らかな叫びと同時に、遠慮なく突き込まれる左手。ルナの顎が外れそうになる事も、無理矢理突き入れられる魔力によって、ルナの身体が痙攣している事もお構いなしに、ハオウはルナの身体を作り変えていく。

 しかし、その間隔は長くは続かなかった。突然、ハオウの手が弾かれたかのようにルナの口から飛び出したのだ。

「むぅ?」

 ハオウが己の左手を怪訝な表情で見つめる。そして数瞬の後、大口を開けて笑い始めた。

「ククッ、クハハハハハハハ! そうか! 貴様、いまだ純潔を保っているのか! クハハハハハハハッ!」

「な、なななななな何ぃっ! それは本当かッ!」

 ハオウの言葉を受けて、ナゼが目をぎらつかせる。ハオウは笑いが堪えきれないとばかりに、顔を抑えながら言った。

「本当だ! この小娘、生殖が可能な年齢になっているというのに一度もした事がないらしい! ハハハハハハ! コレでは魔に堕とす事はかなわんなぁ!」

「ハ、ハオウ! 早く帰るぞ! 処女の魔法少女など滅多にお目にかかれるものじゃない! それなりの準備をしなければならん!」

「……なぜだ? 連れ帰って散らしてやればいいだけの話だろう」

「うるさい黙れ! ロマンの分からないやつが口を出すんじゃあないっ! 殺すぞっ!」

 本気の殺気を放出しながら、ナゼがハオウに対して詰め寄る。あまりの気迫を受けて、ハオウは呆れたように息をついた。

「……もういい。貴様のしたいようにするがいい」

 ハオウはナゼを押しのけると、ゆっくりと歩き始める。そしてそのまま、ルナに対して背中越しに声をかけた、

「……明日、同じ時間に迎えに来るぞ。精々それまで、別れの挨拶でも済ませておくことだなぁ! ククククク、クハハハハハハハハハッ!」

「また明日、迎えに来よう。……自分の嫁よ」

 ハオウの後に続いて、ナゼも朝靄の中に消えていく。その背を見送りながら、ルナは恐怖にその身体を震わせ続けていた。

 

 

 俺の耳元で耳障りなアラート音が鳴る。妙に甲高いそれは、ほんの数秒の距離までミサイル――かどうかは定かじゃないが、とりあえず何らかの危険物だ――が迫ってきている事を示しているらしい。……アラート音一つ一つの意味なんかを初めに聞いちゃいるんだが、種類が多すぎて俺の頭じゃ理解できなかった。

 ……まぁ要するに、この音が鳴らなくなるまで逃げ回ればいいってことだ。

 俺は考える事を半ば放棄しつつ、脳内に俺の相棒――いかにも雑魚っぽそうな、〝のっぺらぼうマシン〟が回避行動をとる姿をイメージする。

 思考とは即ち電気の流れだ。それを俺の能力で最大限まで増幅させたものを、頭を覆うように取り付けている機械(ルナとレイドが共同で作ったもので、何だかよく分からない機能がたくさんついている)が読み取って、〝のっぺら〟のヤツがその動きをそのままトレースする。

 陸に空にと散々動き回った〝のっぺら〟は、数秒後、しっかりとアラート音の元凶――当初の読み通り、やはりミサイルだった――を回避してみせた。

「楽勝、楽勝」

『もっとヒト型らしい動きをみせてほしいんだけどね。何のために両手両足があって、自由に使える武装があるのか、よく考えて。アクロバティック飛行なんて、戦闘機にも出来るんだからさ』

「……へいへい」

 おのれレイド。ちょっと調子に乗ったらすぐコレだ。大体こちとら治りかけの腰抱えて付き合ってやってんだから、ちょっとぐらい好きなようにやらせろっての。

 ああだこうだと愚痴を胸中で吐いていると、再び鳴り響くアラート音と、同じくらい大きな音で鼓膜を突き抜けるレイドの怒鳴り声。

『エレク! 回避!』

「…………あ」

 次の瞬間、俺の機体は三方向からの集中砲火を浴びて、粉微塵に爆砕したのだった。

 




「うあ~、難しいな~!」

 俺は汗で額に張り付いた髪を払いながら、シミュレーションマシンの外へと飛び出した。後を追うように、レイドも隣のマシンから顔を覗かせる。

「エレクは状況判断能力は高いんだけど、どうにも対応力の低さが目立つね」

 俺のシミュレート結果が打ち出されているのであろう用紙を眺めながら、レイドが呟く。

「そりゃあお前、つい四半日前に始めたばかりのシミュレーションで完璧に対応できてたりなんかしたら、俺は自他共に認める馬鹿なんかやってねえっての」

「……ま、それもそうか。君がバカである事はどうでもいいとしても、確かに六時間前後の訓練で、満足がいくほど上手く操縦できるようになるはずがない。今のは僕の失言だったね」

「なんか納得いかねぇ発言があった気もするが、まぁいい。あながち間違いじゃねぇからな」

「…………エレクよ、そこはもう少し怒るべきところじゃないのか? 俺は最近、お前を見ていると不憫な気持ちになってくるぞ……」

「言ってる事は大概失礼だが、それでもウチのチームの良心はお前だけだよ、ホント」

 俺の事を心配そうな目で見てくるグーロからタオルを受け取った俺は、改めて背後に佇む二つの巨体を見上げる。

 まるで武者の如き厳格さを備えた、RDー7。その期待に搭載された兵器はどれも最新型かつ超高火力で、しっかりと使いこなす事が出来れば、この機体だけで小規模な軍隊一つと同じだけの働きが出来るだろう。

 ……ちなみに、俺はこいつに乗るなどと息巻いていたが、実際に一度シミュレーターを起動してみた結果、絶対に乗りこなすのは不可能だという結論に至った。操縦方法が、あまりにも複雑すぎるのだ。

 コレをまるで――いくら自分が開発に携わっているとはいえ――自分の手足であるかのように使いこなすレイドには、畏敬の念を抱かざるを得ない。

 そして、そんな化物スペックのモンスターマシンの隣に立っている、まるでマネキンのような機体――。

 これこそが、俺が乗ることとなった。ERC―T・2。

 詳しい説明は(俺が理解できなかったため)省くが、簡単に説明をすると、『魔法と科学の結集によって生み出された、思考トレース機能持ちのマシン』ということらしい。……レイドに言われた事をそのまま文字にしてみたが、やはり意味が分からない。

 まぁ要するに、俺の考えたとおりの動きをする、という事らしい。

 そんな俺の分身的な動きをするという事もあってか、俺はこの〝のっぺら〟を、自分の『相棒』と呼べるくらいまでには、この六時間の間で気持ちが変化していた。

「それにしても、『魔法』ってのはスゲェ技術なんだな。頭で考えたとおりに機械が動くように出来るなんて、まるで夢のようなことまで出来ちまうんだからさ」

「別に『魔法』が万能だってわけじゃないんだけどね。あくまでコレは、ルナの天才的な魔道具作成のセンスがあってこそのものだよ。彼女以外の誰が研究に携わったとしても、コイツは完成しなかっただろうね」

「なるほど、『魔法』もすごいけど、それ以上にルナのヤツが凄いってことか」

 と、そこまで言ったところで、俺は一つの違和感を感じて周囲を見回す。

「そういや今日、ルナのやつを見てないんだけど……」

「確かにそうだね。初起動のときは、絶対に顔を出すって言ってたんだけど……グーロは何か知らない?」

「……いや。俺も見てないな」

 俺たち三人の間に沈黙が流れた。その空気を断ち切るように、レイドが口を開く。

「まぁ、何か外せない用事でもあったか、もしくは疲れて寝てるとかじゃないのかな? あんな任務があった直後だし、今日の事を忘れていてもおかしいことじゃないさ」

「……ま、アイツちょっと抜けてるところあるし、そうかもしんねぇな」

「そう……だな」

 それにルナのヤツ、案外職人気質なところもあるし、意外と部屋で魔法具作りに凝ってたりしてな。……というか、一度考え出したらそうとしか思えなくなってきた。

「まぁいいや。俺は今日もう上がるわ。お疲れ~」

「……またな」

「しっかりと身体を休めるといいよ」

 俺の言葉に、適当な返事を返してくる二人。俺はその言葉を背に受けながら、惰眠を貪るべく部屋へと向かったのだった。





 レイドは一人、団長室へとその足を進めていた。エレクと別れた後、グーロに念のため『ナイツロード』外周を回ってもらうように頼んでおいたレイドは、自身の目的を果たすべく、団長であるレッドリガに直接メッセージを送ったのだ。

 ――『二人きりで話がしたい』と。

 その要望は妙にあっさりと受諾され、件のメッセージを送ってから三十分もしないうちに、レイドはレッドリガとの面会を果たすことと相成ったのである。

 団長室へと一歩近付くたびに、身体の底から震えがせり上がってくる。前回団長室を訪れた際には、生死の境をさまようほどの傷を受けた。その時の恐怖が、今なお身体の奥底に焼きついているのだ。

 その震えを、レイドは無理矢理押さえ込んだ。

(そうだ。今日は闘うために来たんじゃない)

 レイドは自身に言い聞かせる。

 そう。今回レイドが団長室を尋ねる目的は、あくまで〝話をする〟ためなのだ。一度痛めつけられたあの時とは違い、既にレッドリガの真意を理解しているレイドには、戦う気などさらさら無かった。

(まぁでも、やっぱり納得はできないんだけど)

 理解することと、納得することは違う。レッドリガの真意の中にある、理不尽な部分を理解することは容易い。そして、それが目指しているところを理解する事も、また容易いことだ。

 しかし、理解したからといって、それを素直に受け入れる事が出来るかといえば、答えは否だ。理性的な部分と、感情的な部分の違いと言い換えてもいい。

「結局の所、気に入らないんだろうな」

 レイドは、自身の気持ちをそう結論付けた。

 レッドリガは、仲間思いの人間だ。今回の一件だって、レッドリガの考えが正しいし、きっと真相を知ったとしても、当事者である彼――エレクは、笑って済ませるのだろう。

 自身の身に一体何が起こっていたのかを聞いても、その持ち前の明るさと、そして感情的に生きる、エレクのいい意味での馬鹿さが、それを全て受け入れてしまうのだろう。

 それが、レイドには気に入らないのだ。

 当事者が許している事を、外野がとやかく言うのは間違っている。それくらいは誰にだって分かることだ。

しかしそれでも、レイドは許せないのだ。

 誰かのためといいつつ、自身の考えだけで物事を動かす、レッドリガのその態度が。

 最終的にいい結果を残すのだから、それでいいじゃないかという、ある意味自己中心的な、その思想が。

レッドリガが考えているのであろうその全てが、たまらなく許せないのだ。

 だからこそ、レイドは歩みを止める事無く、団長室へと進んでいく。その瞳には、文句を言うべく煌々と燃える炎を灯して。

 そうして、レイドが団長室へと辿り着いたころには、すっかり恐怖は消え失せ、レイドの身体の中にはレッドリガへの純粋な怒りのみが渦巻いていた。

「さぁ、行こうか」

 レイドは一度深呼吸をすると、勢いよく団長室の扉を開け放つ。

「おや、随分と早い到着ですね」

「……あなたには言いたい事がたくさんありますから」

「そうですか。それは恐ろしいでね」

 冗談めかしてそう言うレッドリガに相対すべく、レイドは一歩踏み出した。

 そして、その身体が団長室へと入りきると同時に、自動でドアが閉まっていく。

 それを見たレイドは、はっ、と鼻で笑った。

「別に退路を断つ必要なんてありませんよ。今回はあなたと話をするために来ただけですから。お望みなら、舌戦くらいはやってあげても構いませんが」

「……ふふ、それはそれで楽しそうですね」

「……へぇ? 言いましたね?」

 レイドはレッドリガを挑発するかのように、眉を吊り上げて言った。

「じゃあお尋ねしますが、僕たちのチームに散々虚偽の記載をした依頼を回してきたのはなぜですか? これは立派な背信行為、初期契約違反になると思いますが?」

 実を言えば、こんな質問はどうでもいいことだった。依頼の内容がうそに溢れていた理由は、既に九割九分九厘分かっているし、初期契約に違反しているからと言って、今更この『ナイツロード』を去る気も無い。第一、殺人――正確に言えば、レイドたちが主として請け負っている依頼の内容が、だが――を生業にしている自分たちが、『背信行為があったからやめます』といったところで、じゃあこれからどうするのだという話だ。経歴のロンダリングをするのにも、ある程度のコネが必要になる。そしてそのコネを利用するためには、『ナイツロード』という業界さいい大手から嫌われていてはダメなのだ。

(まぁそもそも、僕はココをやめるために話をしにきたわけじゃないしね)

 そう。今の質問は挨拶のようなものだ。ボクシングで言うならば、相手との距離を測るために打つジャブのようなもの。大した意味を持った言葉では無い。

 案の定、レッドリガの返しも、レイドの想定していた通りのものだった。

「あなたには既に、察しがついているんじゃ無いですか?」

「話が早くて助かります」

 レイドは一呼吸置くと、この部屋に来た理由、即ち〝話し合い〟の内容を口にする。

「あなたが虚偽の記載を混ぜてまわしてきた依頼……。僕たちが寝込んでいて、エレクが現地で協力者を得て推敲していた依頼についても加味してみると、いくつかの共通点が見つかりました」

 言いながらレイドは、右手の転送装置から映写機を取り出し、レッドリガの背後の壁へと投影を始める。いくつかの図表が浮かび、その中から三つほどが前面へと押し出された。

「この三つの依頼……知らないとは、言いませんよね?」

 そう。今投影されたこの三つの図表は、それぞれ研究所潜入任務、日本での戦争回避任務、そして先日の『コード・メイジャー』事件について書かれたものだった。

 それを見たレッドリガは、特にあせる事も無く、鷹揚な態度でうなづいてみせる。

「えぇ。そして虚偽の記載をした事も確かです。これに関しては、前回あなたとお話をした際に、既に分かっていたことだと思いますが?」

「そうですね。これらの……いえ、正確には、前半の二つの任務ですが……ともかく、今の会話の文脈からすると、我々に回される任務はその内容の新旧を問わず、あなたの手引きであった事は、前回の会合でも確認済みです。その上で、僕の予想を聞いて欲しい」

「いいでしょう」

 レッドリガが応えたのを確認してから、レイドは新たな図表を前に押し出す。

「これら三つの任務に共通していること……それは、全てに魔族が関わっているという事です。研究所の潜入任務においても、依頼の内容上では魔族とは一切関係ありませんでしたが、詳しく調べていくと、研究所で研究されていた実験体、及び試作品は、すべて魔族の組織へと流されていました」

 レイドは流れるように、次の図表を表示する。

「そして、遊園地での戦争回避任務……エレクが相手をしたという部隊の特徴を追っていったところ、某国のとある特殊部隊が引っかかりました。そしてその特殊部隊を指揮している人物は、とある魔族組織の幹部でありながら、某国の軍部に深く入り込んでいる事が分かりました」

 いよいよ最後の図表が、映写機によって前面に押し出される。同時に、スパートをかけたようにレイドの語調も高まっていく。

「そして最後の『コード・メイジャー』事件。この一件では、もはや言い逃れが出来ないほどに深く魔族が関わっていた! そしてその全てが、裏で繋がっているんですよ!」

 レイドは団長室の机を、全力をこめた拳で殴りつけた。一瞬で机が崩れ、木片へと変わる。

「……団長。ハッキリ言って、僕はあなたのやり方が気に入らない。確かに、あなたがエレクにさせたかった事も分かる。そして、それをしなればいけなかった事も……そう、エレクを覚醒へと導かなければいけなかったことも分かる! でも、こんな、こんな方法は許されていい事じゃないんですよ!」

 凄まじい剣幕で、レイドはレッドリガへと迫る。それでも鉄面皮を崩そうとしないレッドリガの胸倉を、レイドは力強く握り締めた。

「業界でも有名な暗殺者に命を狙わせ、郵送部隊の人間に、エレクをわざと現地に残したまま撤退するように命令し、何度も死の淵に立たせて! 同種の人間と殺し合いをさせるためだけに、都合のいい依頼をでっち上げて! 全て、エレクを覚醒させるためだけに……いや、それどころか、あんな危険な存在に……、エレクという存在を意識させるためだけに、あなたは全てを仕込んだんだ!」

 そう。ナチュラルと対峙していた時に、レイドは『全てあなたの掌の上だったという事ですか』と、そう呟いた事があった。エレクがあの場、あの時に覚醒すること……それこそが、レッドリガの望みだったのだ。何度も死の淵に片足を突っ込み、覚醒の準備を整えてきたエレクが、この地上に存在する全ての生物の中でも最も凶悪な存在に、目をつけられる必要があったのだから。

「あなたは、エレクに――ハオウを殺させようと、そう目論んでいるんですね?」

「……既にそこまで知っているのですか」

「あなたも知っている通り、僕は向こうの研究所で生み出された存在です。その時に、組織の概略図くらいは知っていましたよ。そして、今回の一件、魔族と全面的に争うと分かった時点で、地上の支配者である彼と争うことにもなるのかもしれないと、薄々感じてはいましたから」

「そう、ですか……」

 今まで鉄面皮を保っていたレッドリガの表情が、一瞬だけ困ったように歪む。それを隠すように、レッドリガは口を開いた。

「……確かに私は、彼にハオウを殺させるつもりでいます。それが彼にとって、一番幸せなことですから」

「例えそれが、エレクに非業の死を運ぶ確率が高くても……ですか?」

「ええ。その通りです。私のやっている事が以下に非人道的なことであろうと、私は私の方法で彼に幸せを運んであげるつもりです。私のやっている事は『正義』ではありません。むしろ、彼を最も死へと近付けるような方法をとっているのだから、『悪』であると言ってもいいかもしれません。……ですが、痛みを伴わない幸せが『正義』だと言うのであれば、そんなものは犬にでも食わせてしまえばいいのです。痛みを伴う幸せこそが、人が最も必要とする幸せなのですから」

「僕に言わせれば、人の命を削る事を幸福の価値基準にするあなたの考えこそ、犬に食わせてやりたいですよ」

「そこは意見の相違ですね。……まぁ、こればかりはどうしようもないことですが」

 レイドはレッドリガの襟から手を離すと、踵を返して歩き始める。未だに図表を表示している映写機を腹いせに踏み砕き、扉に手をかけた。そんなレイドの背中に、レッドリガの声が投げかけられる。

「……机、弁償していただきたいのですが」

「背信行為をしていた分のツケだと考えてください。安いものじゃないですか?」

「おや、意外と手厳しい事を言いますね」

「……それでは」

今度こそ部屋を出るべく、扉に掛けた手に力を入れたレイドへと、再びレッドリガが声をかけた。

「そうそう、そう言えば、もう一つ言っておかなければいけないことがありました」

「……なんですか?」

 気だるげに振り返ったレイドに対して、レッドリガは唇を吊り上げて言った。

「実はですね――」





 レッドリガとの〝お話〟を終えたレイドは、自身の部屋の扉の前で蹲る、一つの影を見つけた。その影の正体は、近付くまでもなく分かった。

「……ルナ? 一体どうしたんだい? 今日は試運転に来なかったけど、調子でも悪かっ――」

 レイドの言葉は、ここで途切れた。突然立ち上がったルナが、突然体当たりをかますかのように、レイドへと抱きついてきたからだ。

「ル、ルナ、一体どうしたの……って」

 困惑の声を上げたところで、レイドははたと気付いた。

(震えてる……?)

 そう。ルナのその小柄な身体は、小刻みに震えているのだ。まるで、怯えるかのように。

「ルナ……何があったんだい?」

「…………」

 真剣な表情と声音で尋ねるレイド。その問いかけを無視して、ルナは口を開く。

本当にか細い声で――。

「――ねぇ、抱いてよ」

「…………え?」

 突然突きつけられた言葉。その言葉に対して、レイドは――