旧ナイツロード 第三話 夢想

 

 

 

 ゆらりゆらり。

 ぷかりぷかり。

 揺れているのか。浮いているのか。

 何を見て、何を思うのか。何を感じるのか。

 分からない。

 分からない。

 ……なにも、分からない。

   

 白い。

 俺の脳が最初に知覚したのはそれだけだった。

 とにかく全てが真っ白。

 そのせいで、目が開いているのに視界はゼロに等しい。

 なんだか上手く頭が回らないし、ここがどこなのかもよく分からない。

 ただ、耳にまるで小豆をざるの中で動かしているような音が聞こえて……

 そこまで考えた俺は、急激に目が覚めた。

 ぼやけていた視界が一気にクリアになる。

 視覚から脳に送られてくる状況からここがどこか判断した俺は、

思わず体を起こそうとしてしまい、その瞬間、体中を駆け巡った激痛に

顔をしかめてのた打ち回る。

 でも、その痛みのおかげで実感したことがある。

 俺、生きてる。しかも、五体満足で。

 涙を堪えながらそのことを確認した俺は、

改めて室内を見渡す。

 やっぱり、ここは俺たちのホームだ。

 そう俺は確信する。

 なぜなら、ここはナイツロードの本部、

洋上プラント基地の一室だったからだ。

   

 ここはナイツロード本部に七つある医務室の一つだけど、

特別な機材を置いているわけでもないし、

ウチには『魔法』が使える奴もそんなにいない。

 つまり、俺みたいな死にかけが五体満足に、

いや……こんな風に生きていられることのほうがおかしい。

 記憶がぼやけててはっきりしないけど、俺は確か、

ルナを助けるために相当無茶をしたはず……。って、あぁ!

 ルナの奴、大丈夫だったのか!?

 あんな状況じゃあ、きっとルナ一人じゃ逃げ切れないだろうし、

それに、俺の致命傷に近かった傷を治してくれたのもあいつだろう。

 それなら、俺が五体満足でいられるのも納得がいく。

 でも、俺の傷は相当深かったはず……だったら、

あいつの魔力量じゃあ、足りなくなっていてもおかしくない。

 …………まさか! え? うそだろ?

 俺は頭の中で、今考えたことをシミュレートしてみた。

 そして、出てきた結果は――ルナの、死。

 いやいやまさか! あいつが死ぬはず無いじゃん! 

だってあいつは……あい、つは…………。

 そういえばあいつ、弱かったなぁ。

 そう、ルナは弱い。

 たとえ万全の状態でも、

『機人兵』の奴から逃げ切れるかどうか怪しいレベルだ。

 だったら、どうして俺がここにいるんだ?

さっきと同じことを考え出した俺の頭が、パンクしそうになる。

 ~~っ、くそっ! さっぱり分からない。

 俺はこのときばかりは、自分のスペックの低い脳みそを呪いたくなった。

 そうやってしばらくうんうん唸って考え込んでいた俺の頭に、

まさしく青天の霹靂、

神が降りてきたんじゃないかとも思える考えが浮かんできた。

 俺が考えついた推測はこうだ。

 何かしら無茶をして致命傷を負った俺の前に、

ルナが仁王立ちをしている。

 その双眸は、いまだ健在の『機人兵』に向けられている。

 既に俺の回復に魔力を使い切って、

シールドを張るだけの余裕も無い。

 それでも、恐怖を押し殺して俺の前に立ち続けるルナ。

 何故逃げないのか? 

というルナ自身の心の奥底から湧き上がった問いに、

あいつはこう答えるんだ。

『私、気付いたの。レイドに対する気持ちは、憧れなんだって。

本当に好きなのは、エレクなんだって。エレクは、

私のために頑張ってくれた。そんなエレクを見捨てて行くことは、

私には出来ない。ううん、したくない! 

だって私は、エレクのことが――』

 大好きだから! と俺の脳が続きを紡ごうとしたその瞬間、

俺の耳に、涼やかなソプラノが聞こえてきた。

 まさかルナの奴、

俺を逃がすために犠牲になってくれたんじゃなかったのか!?

 だとすると、このまま病室の扉を開けた瞬間に、目を覚ました俺を見て、

感極まったルナが抱きついてきて、ラブシーンと言う展開に――

「ねぇねぇレイド、あの時は助けてくれてありがとう! 

だから私、あなたにお礼がしたいのよ! だから、何でも言ってね。

た、例えば……、彼女がほしい、とか」

 …………まぁ、そうだよね。

 初めから、分かってた事さ。

 ハ、ハハ。……ハァ。

 少し興奮気味に喋り続けているルナの声を子守唄にしながら、

自分の妄想に対する自己嫌悪と、あまりの虚しさを感じて、

俺は再び意識を手放した。

   ~~~

 回る、回る。

 回って、廻る。

 ぐるぐるぐるぐる。

 暗い、暗い。

 怖い、怖い。

 ……ナニガ、コワイ?

   

 視界がぼやけている。

 しかも、とんでもなく。

 まるで水の中にいるみたいだ。

 あれ、なんだか頬が冷たい気がする。

 何でだ?

 ……ああ、そうか。俺は確か、ルナの――

「のおぉぉおおおおおおお! って、痛ぇ!」

 大声を上げて飛び上がった俺の体に、激痛が走る!

 チクショウ、またこのパターンかよっ。

 しばらく激痛のせいで涙が止まらなかったおかげで、

目がすげー潤ってる。

 全然嬉しくねぇ。

 そんな風に心の中で悪態を付いていた俺は、

ようやく涙がひいた目元をこすって、ぼやけていた視界をクリアにする。

 すると、ベッドの脇においてある椅子の上に、

ニヤニヤと笑う小太りの男と、

俺を睨んでくる中肉中背の男が座っている事が分かった。

 そのうち小太りのほうの男

――確か、ウチモトとかいう名前だった気がする。

が、俺にまるでキスをしてしまうんじゃないかってくらいの距離まで

顔を近づけてきた。

 あまりにも顔が近かったために、ウチモトの奴の鼻息やら体臭やらが

凄い。

 なんていうか、凄いとしか表現できない。

 とにかく、そいつはハァハァと鼻息を荒くしながら、

俺に話しかけてきた。

「い、今の痛みはどれくらいのものだった!?

で、出来れば詳細に教えてほしい! 金なら払う!

だから頼む! 同じ『Mの同士』として、おしえてくれぇえ!!」

 ………………こいつ、ヤバくね?

 あまりの出来事に一瞬思考停止に陥りかけたが、

すぐさま意識を引き戻す。

 危ない危ない。

 とにかく、俺の中の何かに従って、

ここから逃げようとした俺の後頭部に、

コツン、と音を立てて何かがぶつかった。

 痛む首を回して、後ろを振り向いた俺の視界には、

ベッドの区切りとして使用されている、鉄でできた柵があった。

 ……しまったあぁあ! これじゃあ逃げられない!

 そんなことをしている内に、ウチモトの奴の顔が

『キスできそうな距離』から、

『傍から見ればキスをしているように見えなくも無い距離』

まで近付いてきている。

 これはマズイ。マジでマズイ。

 どどどどどどうしよう!?

 誰か、誰か助けてくれるような奴はいないのか――!!

 そうだ、そういえば、もう一人いたじゃないか!

なぜか俺を睨みつけていた中肉中背の男が!

 何で俺を睨んでいたのかは分からないけど、この際、

すがれるものなら何でもすがってやるさ!

「お、おい! そこのアンタ! コイツを何とかしてくれ!」

 俺の叫びが届いたのか、ほとんどウチモトの奴の顔で埋め尽くされている俺の視界の片隅で、

男が立ち上がるのが見える。

 良かった。これで俺は助か――

「断る」

 らないぃい!?

「何で!? 何でなんだよ! 助けてくれよ! 頼むから!

何でもしてやるから! お願いだ! マジでたすギャアァアア!」

 男に頼み込んでいた間に、ウチモトの奴の顔がマジでキスする五秒前。

 あああぁあああぁああぁぁあ!?

 こ、こうなれば覚悟を決めるしか――や、優しくしてね?

 そんな風に覚悟を決めた俺が目をつぶろうとした瞬間、

むんず、とウチモトの顔が掴まれ、俺の前から遠ざかる。

 た、助かった……のか?

 呆けていた俺の耳元に男がやってきて、

ぼそぼそと何かを呟く。

 正気に戻った俺は、慌てて男の言葉に意識を傾けた。

 なんたって俺のファースト・キスを守ってくれた人の頼みだからな。

 なんでもやってやるぜ!

「俺の名はヤベ。偵察部隊第二十六分隊隊長のヤベだ。

他にもヤベという名前の奴は多いからな。間違えるなよ」

 どうやらこの人はヤベというらしい。

 ヤベ、ヤベ……ああ、ちょっと前の任務でお世話になった人だ!

 自分の恩人が誰かを思い出した俺は、改めてヤベさんの話を聞く。

「それで、頼みがあるんだが。実はな、逢わせて貰いたい人がいるんだ。

その人は、まるでミルクのような甘い香りがして、

明るくて、素敵な声で、そして何より、ちっちゃくて可愛いんだ。

名前は確か……ルナさん、だったと思う。

あの人は、お前の隊にいたはずだ! 

という訳で、頼んだぞ!」

 ……はい?

 正直、これから後のことはおぼろげにしか覚えていない。

 ヤベさんがセッティングや日にちなんかは任せたぞ! 

とか何とか言っていた気もするが、そんなことはどうでもよかった。

 ウチモトの奴もいつの間にかいなくなっていたが、

それもどうでもよかった。

 しばらく茫然自失としていた俺が正気を取り戻したのは、

それからたっぷり二時間が経ってからだった。

 正気に戻った俺は開口一番、こう叫んだね。

「この傭兵団、変態しかいねえぇええぇええええぇ!!」

 ロリ、ドM、ストーカー、ブラコン、シスコン、

……そして、俺みたいな妄想家。

 男は皆獣。

 世の中、バカばっかりだ。

 俺はその日、久しぶりに枕を抱いて寝た。

   ~~~

 青い花と、黒い花。

 それから俺は、緑の葉っぱ。

 俺の上で、二つの花はゆらゆら、かさかさ、踊っている。

 美しい光景のはずなのに、なんだか妙に胸がざわつく。

 その時、強い風が吹いて、青い花は散ってしまった。

 それがなんだか無性に悲しかった俺は、

涙がこぼれてきそうで、俯いてしまった。

 そこで、はたと気付く。

 俺ってこんなに赤かったっけ? 俺は緑じゃなかったっけ?

 あれ? あれれ?

 紅く染まった俺の上で、黒い花はゆらゆら、かさかさ、踊っている。

   

「うえ」

 その日の俺の目覚めは最悪だった。

 妙に起き抜けの時の気分が悪い。

 体中に汗のせいで服ががべっとり張り付いて気持ち悪いし、

胸がもやもやする。頭が痛い。

 なったことはないけど、これが二日酔いの気分なんだろうか。

 もう一度言うけど、俺の目覚めは最悪だった。

   

 それからしばらくして、ようやく気分が楽になってきたあたりで、

一人の悪魔が襲来した。

 そいつの名はウチモト。

 俺のファースト・キスを奪いかけた史上最悪の悪魔だ。

「ちくしょう! 何でお前がここにいるんだっ! さっさと出て行け!」

 そんな俺の辛らつな言葉を物ともせず、

ウチモトの奴はその脂ぎった体を揺らしながら近付いてくる。

 「そんな事言うなよ同士~ぃ。

お前と俺は義兄弟の契りを交わした仲じゃないか。

それにぃ、俺はまだ話を聞いてないんだよぉ~」

 だ、誰だコイツ。

 明らかにこの間とキャラが違う! 

この間も十分な変態ぶりだったけど、

今回は気持ち悪さが五割くらい増してる気がするぞ!

 なんだかもう人間じゃあないんじゃないかと思うほど

醜悪なオーラを発してにじりよって来るウチモト。

 このままじゃ前回の二の舞になっちまう!

どうにかしないと!

 くそっ、前回はどうやって切り抜けた!?

思い出せ、思い出すんだ!

 …………!!

「Help me Yabeeeeeeeeee!!」

 腕を思いっきり上下に振りながら、救世主の名を叫ぶ。

 すると、どこからともなく聞こえてくる足音が!

「ロオォォオ~~~~~リィイイイイイ~~~!!」

 ……とんでもなく変態的な叫び声とともに、

医務室のドアを突き破って現れる救世主――ヤベ。

 俺の所属するナイツロードにも

これほどの変態はそういないんじゃあなかろうか。

 本当に、俺の見舞いに来てくれる奴は馬鹿しかいない。

 …………ちくしょう。泣いてなんか無いからな!

 ……ぐすん。

 まあとにかく、変態が変態を連れ出すことによって、

俺は何とか事なきを得たのだった。

   

 カラカラ、と音がして医務室のカーテンが開けられる。

 この医務室は個人用ではなく、

何人もの人を収容できるように作られているため、

カーテンでお互いを仕切っているだけなのだ。

 開いたカーテンから、顔だけをこっちに出して

不満を訴えてくる人がいる。

「……………………」

 とは言っても、あの任務で怪我を負ったのは

俺以外だと一人しかいない。

 言わずもがな、グーロだ。

 相変わらず怖ぇ。

 優しい人だと分かっていても、どうしても萎縮してしまう。

 損な人だなぁ、と思わずにはいられない。

 それにしても、グーロすごい怒ってるな。

 普段の三割増ぐらいの眼力だ。

 正直、あんまり目を合わせたくないんだけどなぁ。

 でも無視するわけにもいかないし……。

 しょうがない、適当に相手をしとこうかな。

 そんなことを考えていると、いきなりグーロが口を開いた。

「……話がある」

 普段よりドスの聞いた声で、ゆっくりと声を潜めて話し始めるグーロ。

 これはヤバいかもしれない。

 謝る用意しないとだめかなぁ。

 そんな風に考えていた俺だったが、続くグーロの言葉は、

そんなふざけた考えを一瞬で吹き飛ばした。

「……俺にこの怪我を負わせた男。そいつの狙いはエレク、お前だ」

    

 一瞬、俺の頭がフリーズした。

 俺が狙われてる? 誰に? グーロをこんな風にボコボコにした奴に?

 何で? どうして? 様々な言葉が頭の中に吹き荒れる。

 ……本当に訳が分からなかった。

 確かに、傭兵稼業なんてやっている以上は、

誰かの恨みを買うことも多いだろうし、

命を狙われることだって少なくない。

 むしろ、いつ殺されたっておかしくは無い。

 殺し殺されることなんて、覚悟は出来なくても、

理解くらいはしている。

 じゃあ何で俺の頭がフリーズしたのか?

 その理由は簡単だ。

 ――つまり、グーロが後一歩で死ぬような怪我を負ったのは

俺のせい、なのか?

 疑問が頭の中に吹き荒れて、他の事が何も考えられなくなった。

 俺のせいで、オレのせいで、オレノセイデ。

 気付けば、口が勝手に声を発していた。

「じゃ、じゃあ、グーロの怪我は俺の……俺の、せいで」

 思ったことが口を通して勝手に飛び出て行く。

 止めようと思っても止められなかった。

「ごめん。ごめん。ごめん。ごめん……なさい」

 自分の体なのに、自分の思い通りに動かせない。

 なんだか酷く虚しかった。

 そうやって呆然としていると、上から凛とした声が聞こえてきた。

「その話、僕にも詳しく聞かせてもらえないかな?」

 振り向くと、ニヒルに笑っている俺の親友がベッドの脇に立っていた。

「さあ、話をしよう」

 

 自分の存在が、周りの人間の枷になる。

 その事実は、激しく俺を打ちのめした。

 真っ暗に暗転して、虚しさがこみ上げてくる俺の意識に、

凛とした声が響く。

 その声は、どんな時でも頼りになる俺の親友の声だった。

   

「まあ、話をするって言っても、

僕が一方的に事情を聞くだけなんだけどね」

「……何か掴んだのか?」

「少しだけ、ね」

 二人が何か会話を交わしているが、

今の俺にとってはそんなこと知ったことじゃあなかった。

 俺の心の中には、酷い虚無感と、後悔。

この二つしか残っていなかったから、

二人の話を聞いても、ただの音の集まりとしか思えなかった。

 そんな中、ほとんど真っ暗と言ってもいい状態の視界の中で、

何かがもそりと動くような気配を感じた。

 それが何なのか気にならないわけではないが、

確認するために首を動かすのも億劫だった俺は、

それを意図的に頭の中から追い出した。

 もう、何もしたくない。俺なんて、消えてなくなってしまえばいいのに。

 さっきからぐるぐると、俺の頭の中に浮かんでは消えていく言葉。

   

『消えろ』

    

『お前さえいなければ』

    

『お前が』

   

『お前が』

   

『オマエガ』

   

 ――グーロヲ、ミンナヲ、アンナフウニシタンダロウ?

   

 ……そうだ。分かっちゃいるんだ。頭の中では。

 グーロは言った。俺を狙ってた奴にやられた、と。

 それはつまり、あの任務は俺を殺すために仕組まれた罠であり、

皆が、グーロが、ルナが、死に掛けたのも、酷い怪我を負ったのも、

全部、全部っ!

「……俺のせい、じゃねえか」

 口から掠れるように吐き出した吐息と共に

蚊の鳴くような声で呟いた俺の言葉に、

グーロとレイドは目ざとく気付きやがった。

 二人は俺のほうに少し体を寄せると、慰めるように優しい声音で

声をかけてくる。

「エレク、気にすることは無いさ。

君のせいなんかじゃないんだから、さ」

「……そうだ。あまり気に病むな」

 二人の言葉は、まるで桐が食い込むように俺の心にキリキリと穴を開け、

押し広げる。

 心配そうな視線が肌に突き刺さって、チリチリと痛む。

 やめてくれ……。もう、やめてくれ!

「うるせぇよ! 思ってもねぇこと言ってんじゃねぇ!

分かってんだよ、俺のせいだってことぐらい! もっとなじれよ!

責めろよ! グーロも、ここにはいないけどルナも、

そんな風に怪我をしたのは俺のせい以外の何物でもねぇだろうが!

……だから、さ。頼むから、何か恨み言の一つでも吐いてくれよ。

そうしねぇと俺、やりきれねぇよ。なぁグーロ、頼むよ!」

 気付けば、俺は何もかも吐き出していた。

 二人の気持ちを踏みにじる最低の行為だと分かっていたけど、

どうしてもあふれ出る言葉を止められなかった。

 そうして、最後にはみっともなく泣きながら

最低なお願いをしている。

 沸騰した脳内の一部分が、まるで自分のものじゃないみたいにすうっと

冷えて、今の自分の姿をなじった。

 ……最低だ。

 ……本当に、最低で、最悪で、醜悪な姿だった。

 そのままグーロにすがって泣いている俺に、レイドが声をかけてきた。

「エレク、また後で来るよ。

落ち着いたら、もう一度きちんと話をしよう。

……それから、本当に君の思っていることが正しいのか、

グーロの顔を良く見て考えてごらん。じゃ、またね」

 突き放すような言葉を残して、

さっさと部屋を出て行ってしまったレイドを、

俺はしばらく呆然と見つめていた。

 レイドが出て行ってからしばらくして、ようやく落ち着いてきた俺は、

さっきレイドに言われたことを思い返していた。

 ……俺の思っていることが本当に正しいのか、

グーロの顔を良く見て考えろ、か。

 一体レイドは何が言いたいのだろうか。

 疑問を抱えながら俺が顔を上げたその先には、

まっすぐに俺の鼻先に向かってくる拳があった。

「が……っ!?」

 当然、避けられるはずも無く、その拳は俺の顔面に直撃。

 殴られたことによる焼け付くような鼻の痛みと、

ベッドから放り出されたときに無理な姿勢になったおかげで

全身に針が刺さったかのような痛みを感じて、

俺はほとんど悲鳴を上げることすら出来ず、

医務室の床の上をのたうち回った。

「何しやが、る……」

 文句を言いながら顔を上げた俺の視線の先に、

顔を真っ赤にして怒っているグーロがいた。

 ただ、その顔はいつものクールな表情からは予想できないほど

くしゃくしゃに歪み、頬には二筋のあとが残っていた。

 よく見れば、紅く光るグーロの目には、大粒の涙が溜まっていた。

 そのことに絶句しているうちに、グーロが口を開いた。

「……俺は、俺は悲しいぞ。エレク、この気持ちがお前に分かるか?

俺の悔しさが、悲しみが、伝わっているか? 

俺は、俺が信じられていなかったことが悲しい!

たかが命の危険にあったぐらいで、

そいつに罵詈雑言を浴びせかける奴だと思われていたことが悲しい!

そして、それ以上に悔しい! 

……エレク、俺はそんなに信じられないか?

俺はそんなにお前に酷い扱いをしたか?

俺は少なくとも、お前を信じてきた! 

だから、お前も俺を信じてくれているものだと思っていた!

……だがそれも、俺の勘違いだったのか? 答えてくれ、答えろ!」

 普段と全く違う喋り方にも驚いたが、それ以上に、

こんなにも俺のことを思ってくれていたことのほうが意外だった。

 俺は普段から脚を引っ張ってばかりだし、

迷惑ばかり掛けていると思っていた。

 でも、違った。グーロは、俺を信頼してくれていた。

 ……俺の頬にも、熱いものが流れていくのを感じる。

 さっき流したものとは別の涙だ。

 その涙には、グーロへの感謝や信頼、そして心からの謝罪の気持ちが

こもっている。

 ああ、俺はなんて馬鹿だったんだろう。

 確かに、さっきまでの俺は最低で、最悪で、醜悪だった。

 でも、今は違う。

 仲間一人信じられないような奴が何言ってんだ、って

言われるかもしれないけど、それでも俺は理解した。

 きっと、ここで俺とグーロは初めて本当に分かり合えたんだ。

 ……これは、レイドに感謝しなきゃな。

 それにしても、あいつも回りくどいことをするもんだ。

 いや、これが一番の方法だったのかもな。

 まあ、とりあえず、一番最初にしなきゃいけないことがある。

「グーロ、ベッドまで戻してくれねぇ? 痛くて動けないんだけど……」

「…………俺も、動けないな」

 ……そういえば、グーロも怪我で寝込んでるんだったなぁ。

 は、ははは、はは……。

   

 そこから元の位置に戻るまでに、俺は多大な時間を費やしたのだった。

 

 拳を通して友情が深まる。

 何世代前のネタだよ! と突っ込まれるかもしれないが、

俺とグーロは実際にそれをやってのけた。

 グーロの本音と、俺の本音。

 互いにぶつかり合ったそれらは、混ざり合って、俺たちの心を繋いだ。

 それはとても素晴らしいことだと、俺は思う。

   

 俺とグーロが激痛に耐えながら体を動かして

ベッドまで這い上がったのが数分前。

 今までの事を整理をするためにベッドで一息ついていた俺の視界の端で、

何かがもそりと動いた。

 ……そういえば、さっきもなにかが動いた気がしたけど、

なんだこれ?

 どうやら正体不明のなにかは、

空きベッドの一つにもぐりこんでいるようだ。

隠れているつもりなのかもしれないが、動きすぎだろ。丸分かりじゃん。

 俺はなにかが隠れているであろうベッドの傍まで近寄ると、

シーツを一息に引っぺがした。

 中から現れたのはなんと――

   

――ひぐっ、えぐっ、と声を殺して泣いているウチモトだった。

   

 …………なんで?

「なんでお前がここにいんだあぁああぁあ!?」

 馬鹿な! こいつは確かにさっきヤベが持っていったはず!

なのに何故!? 何故こいつがここにいる?

 困惑している俺の肩に、声を押し殺していたために酷い顔になった

ウチモトの奴が、まるで「分かってるぜ」とでも言いたげな表情で

手を置いてきた。……なんだコイツ。

 状況がさっぱり分からない俺にウチモトは顔を近づけてくると、

酷い鼻声で声をかけてくる。

「うぐっ、えぐっ、いいなぁ~。お前ら、いいなぁ~。

青春だなぁ~。これからも仲良くやれよぉ~」

 どうやらさっきの俺とグーロのシーンを見て泣いているらしい。

 コイツ、意外と涙もろいのかもしれない。

 俺が少しだけウチモトのことを見直していると、

ウチモトの奴が再び口を開いた。

「……で、グーロの、パンチは、ひっぐ、どれくらいの痛みだった?

聞かせてくれないか? 我が同士よ」

 コ、コイツ、この状況でもM精神全開なのか!? 

 ちくしょう、さっきまではちょっと良い話っぽかったのに、台無しだ。

「なぁ、なぁ、なぁ、どうなんだ? どうなんだよおぉおぉおお!」

 泣きながらもしつこく追求してくるウチモト。

 ……お前を見直した俺が馬鹿だったよ。

「HELP ME YABEEEEEEEE!!」

 いつも通りのコールを言った直後、

さっと現れてウチモトを引きずっていくヤベ。

 あの人最近忍者みたいなポジションになってきてる気がするなぁ。

 ……まぁ、偵察部隊だし、丁度良いのかもしれないけどな。

 とにかく、ウチモトの魔の手から辛くも逃げ切った俺は、

レイドが部屋に戻ってくるのを待つことにした。

   

 ナイツロード。

 秩序無き善をモットーとする傭兵団の本部は、

『機動要塞』という異名を持っている。

その理由は、

ナイツロードの本部が海上を移動するということもあるのだが、

それ以上にその外見や武装のことを表しているといったほうが適切だろう。

 全八階層からなる巨大な外観に、二百名を超える超能力者。

 数多くの内蔵兵器によって万に一つも制空権を奪われることは無く、

発射まで時間がかかるものの、

長大な射程と威力を持った自走砲を使用すれば、

海上にあっても陸上に対する攻撃が可能である。

 さらには、重戦車や攻撃ヘリなどの機動兵器も数多く配備されており、

規模は小さいものの傭兵やPMCといったいわゆる

『代理戦争を商売とする職業』の中では、

常にトップに近い売り上げを叩き出している。

 つまり、それほどまでにナイツロードの武装、装備は異常であり、

要塞という大仰な名前にも頷けるというものである。

 しかし、どれほど強大な力を持っていたとしても、

それは無敵ではないということが、無敵艦隊然り、ナポレオン然りと、

これまで人間が築き上げてきた歴史でも証明されている。

 それら強大な力を持つものが敗れた原因は、

新兵器の誕生だったり、攻略法を編み出されたりと様々だが、

それ以上に戦場において最も多いのは――部下の裏切り、である。

 こればかりは、

いくら強大な力を持った軍隊といえどもどうしようもない。

 かの有名な関が原の戦いでも、

西軍が敗北した原因はたった一人の将の裏切りだったのだ。

 どれほど強い軍隊だったとしても指揮を執っているのは

一人の人間であり、鉛弾を一発ほど眉間に打ち込まれてしまえば

それだけでジ・エンドである。

 裏切りが起こったのが末端の兵士の一部だけならばいいのだが、

幹部クラス、もしくは腹心クラスになると対処のしようが無い。

 非情ではあるが、

それが『戦争を商売とする職業』には付き物なのである。

「つまりそれは、ナイツロードという巨大な一組織だろうと変わりは無い。

……そうですよね? 団長?」

「おやおや。これはまた随分と勉強熱心な団員もいたものです。

嬉しくて涙が出そうですよ」

 ガツッ、と硬質な音を発して銃口が後頭部に押し付けられる。

 それを認識しながらも、傭兵団ナイツロード団長――レッドリガは、

口元に薄い笑みを浮かべていた。

「本当に、人を苛立たせるのが得意な人ですね。

……今すぐ鉛弾をぶち込んでやってもいいんだぞこのクソッタレが」

 普段とは百八十度違う口調で、

レッドリガの後頭部に銃口を押し当てながら脅迫をする男の名を

――レイド・アーヴァントといった。