旧ナイツロード 第十一話 覚醒

 

 

「こっ、のおぉぉっ!」

 俺は全身の神経という神経、筋肉という筋肉に電気を流し、反応速度を上昇させる。しかしそれでも、俺の剣はクレシェンドには届かず、それどころか押され始めていた。

 最初は俺の反応速度と同等だったはずなのに、いつの間にかどんどんと早くなっていくクレシェンドに、俺は一抹の焦りと、恐怖を感じていた。

 ――なぜコイツは、こんなにも早い?

 ――なぜコイツは、こんなにも俺を苛立たせる?

(そんなもん決まってるだろ。コイツは、クレシェンドは――俺より〝強い〟からだよ)

「ンなわけ、あるかぁぁぁぁっ!」

 俺は、俺自身の心の奥底から聞こえてきたその声を、全力で否定する。その隙に、更に速さを増したクレシェンドの一撃が、俺の腕を掠めていった。

 本来ならばそこで相手に集中の矛先を戻すはずなのに、今の俺は、なぜか自身の心との対話を優先してしまっていた。

(いいや違わないね。コイツはお前よりもずっと強いんだよ。超能力者としても、一人の人間としてもな)

「黙れえぇぇぇっ!」

 俺は電撃を最大出力で放出し、同時に左手にももう一本直剣を展開した。右手の剣でクレシェンドの一撃を受け止め、電撃を避けたクレシェンドに、この一撃を避ける暇は無い――はずだった。

 だが、やつは避けた。さっきまでの反応速度だったならば、確実に仕留めることができたはずの一撃だったのに。だというのに、クレシェンドの反応速度は、一寸前よりもほんの零コンマ数秒だけ早く、そして確実性を伴ったものになっていた。

 再び、〝俺の中の俺〟が声を掛けてくる。

(だから言ったろ。こいつはお前よりも強い、ってな。……そもそも考えてみろよ。『コード・メイジャー』の奴らのコードネームは、それぞれの能力にちなんで付けられてるんだろ? だったらよ、少し考えれば分かるじゃねぇか。音楽記号、クレシェンドの意味は――段々強く、だ。戦いの中で成長していくこと。それがアイツの能力なのさ)

「ふざ、けんなっ!」

 戦闘を通して強くなる能力が、よしんば一万歩譲ってアリだとしよう。だとしても、ここにきての急成長はありえない。アンコウとの戦いでも、魔族の精鋭との戦いでも、そんな素振りは一つも見せちゃいなかった。

(確かにその二つの闘いではそうだったんだろうさ。だがな、お前みたいに実力の切迫した相手と闘って、オマケに隠していた力が解放されたとなりゃあ、今まで溜め込んでたものが爆発しちまってもおかしくは無いだろ)

 隠していた力。俺の目の前で剣を振るクレシェンドの姿は、ほんの数刻前とは随分と変わってしまっていた。即ち、人間から、魔族に近い姿へとだ。なるほど確かに、これだけ劇的な変化があったのなら、今までの能力とは発動のレベルが違うのも、無理からぬことなのかもしれない。

(そう。そしてお前は負けるんだ。こんなわけの分からない、ふざけた能力の前にな)

 それは俺の無意識下の予感だったのか、それとも〝俺の中の俺〟の本心だったのかは分からない。だが、一つだけ言えることがある。

 それは――俺の体を、クレシェンドの剣の切っ先が捉えた、ということだ。

 

「……中々厄介な能力をお持ちのようですね」

「なに、あれだけの人員の指揮権を預かっているのだから、そりゃあもちろん強くなければ示しがつかないだろう?」

 レイドの言葉に笑みを零しつつ、ナチュラルは薄緑色の力場を展開させる。レイドの銃が火を噴き、その力場に向かって打ち込まれた無数の弾丸は、しかしナチュラルの身体を傷つける事無く、力場に触れた瞬間に塵一つ残さずに消滅していった。

「物質の消滅能力ですか。……なるほど、それでナチュラル、というコードネームを持っているわけだ」

 レイドの言葉に対して、ナチュラルは肩を竦めて答える。

「八十点、といったところかな。私の名前から能力を推測しようとしたことや、それを上手く繋げて見せたのは素晴らしいね。……だが、物質の消滅というのは、少々間違っているんだよ。……これがどういうことか、分かるかい?」

「……さぁ、デキの悪い生徒なせいか、さっぱり考えつかないですね。残りの二十点は、どういった能力なんですか?」

 ククク、とわざとらしく肩を震わせたナチュラルは、両手を大きく広げた。

「いいかいレイド君。私のコードネームは〝ナチュラル〟だ。その音楽記号的意味は、〝元の高さで〟。これが転じて、英単語としての意味は〝自然〟だ。そう、つまり私の能力はあらゆる物質――有機物や無機物、固体、液体、気体を問わず、全てを自然のままの状態、更に言ってしまえば、それを構成している成分にまで戻すことだ。これがどういうことか、聡明な君ならばよく分かるだろう?」

「……随分とえげつない能力を使うんですね、アナタは」

「それが大人というものさ」

「ですが、助かりました。アナタがべらべらと能力を喋ってくれたおかげで、僕の勝利を確信することが出来ましたからね」

「はっはっは! それはありえないよ、レイド君」

 ナチュラルの哄笑の裏に隠されているのは、絶対的な余裕だ。それは自身の能力の強力さに裏打ちされた、絶対的な自信と言い換えてもいいだろう。

「ボクの予想が正しければ、ですが」

「……言ってごらん」

「きっとアナタの能力は――あらゆるものを原子レベルで分解する能力、だとお見受けしますが……いかがですか?」

「なるほど、惜しいな。九十点だ」

「…………」

 レイドの答えを聞いたナチュラルは、そう言って巨大なハンマーを構えた。

「そもそも、ナチュラルという音楽記号が成立するためには、何が必要か分かるかい? ……それは、音の高低を変える音楽記号だよ。そう、シャープ、そしてフラットだ。君は終ぞこれを見抜けなかった。……まぁ、見抜けたとしても君に勝機があったとは思えないが」

「何が、言いたいんですか?」

 レイドは最大限の警戒を払いつつ問いかける。

 仮にナチュラルの能力がシャープやフラットといった要素を含んでいたとしても、戦闘において考え付くのは、身体能力の強化、もしくは弱体化くらいでしかない。それならば、レイドにとってさほど脅威にはなりえないのだ。先程の薄緑色の力場にさえ注意していれば、損耗する事無く勝つことが出来る。それがレイドの、この数合で得た率直な感想だった。

「時にレイド君」

 自身の置かれている状況を理解しているのか、それとも理解していないのか、そのどちらとも取れない声色で、ナチュラルは口を開く。

「君は『ヒッグス粒子』というものを知っているかい?」

「物質に質量を与えるという、あの粒子ですよね?」

「そうだ」

 ナチュラルは満足気に頷くと、話を続ける。

「本来あらゆる物質は、その全てが光と等速度で動くことが出来るはずなんだ。それは即ち、世界の停止を意味する。なんせ全ての物質において、時は一切動いていないのだからね。だがしかし、我々の世界は等しく時が流れ、そして常に動き続けている。それは全て、『ヒッグス粒子』があるおかげだ」

「勝てないと見ての時間稼ぎですか? なら――」

「『ヒッグス粒子』は、光以外の全ての動きを阻害する。だからこそ物質は光速の座から引き摺り下ろされ、そして動きを阻害された際に発生する力の大きさ――質量が生まれるのさ。……さて、ここである一つの疑問が浮かんでくるだろう。それは即ち――『ヒッグス粒子』を操ることが出来れば、時間も、物質も、全てを操ることが出来るんじゃないか、というね」

「…………まさか、アナタの能力は――っ」

 レイドは背中にブースターを展開すると、一気に最高速近くまでその噴射力を引き上げる。それで逃げ切れるとは思っていないが、しかしそうするしか方法が無いのだ。

「粒子変換――〝嬰〟、〝変〟!」

 今まさに飛び出そうとしたレイドの耳に、その言葉が飛び込んできたのと、目の前にナチュラルが現れたのは、全くの同時だった。そう、一秒たりとも――いや、そもそも時間の経過など、起きていなかった。全くの同タイミング。零コンマ以下の時間の変動すら起こさず、ナチュラルはそこにいた。

「言っただろう? 君に勝機など無かった、と」

 光速で振りぬかれたナチュラルの両腕。その先に握られた、超質量のハンマーの一撃は、容赦なくレイドを打ち砕く。

(アナタの能力は、〝あらゆるものを原子レベルで分解する能力〟なんかじゃなかった。それはあくまで能力の応用。本当のアナタの能力は――〝あらゆる粒子を操る能力〟だったんだ――)

 レイドは薄れゆく思考の中、声にならない声を上げた。

 

 後に残ったのは、爆砕し、消滅したレイドの身体が断末魔のごとく発する煙と、ハンマーを振りぬいた姿勢で哄笑をあげる、ナチュラルの姿だけだった。

 

 

 俺の腹に穴が開いている。そこからはどくどくと血が流れ、血は体温と、力と、そしてその他諸々、俺が生きるために必要なナニカを体外に垂れ流していく。

 この傷の深さじゃあ、俺が死ぬようなことは無いだろう。……だが、もう闘うこともできやしない。この流れ出る血が、俺から闘う力を奪ってしまっている。

(……はっ、ざまぁねぇな、俺)

「ぅ……る、せぇ」

 俺はたった一言二言喋るのも億劫だってのに、『俺の中の俺』はぴんぴんしていやがる。

(結局お前は――俺は、強くなかった。クレシェンドのヤツに何一つ敵わなかった。……そうだろ?)

「偉そうなこと、言ってんじゃねぇ……。テメェは中で喋ってるだけだからよ、何の力もいらねぇんだろうが、こっちは身を削って闘ってんだよ……」

(醜い言い訳だなぁ、俺よお。……お前は本気で、クレシェンドを肉体的に上回れば勝ちなんだって、そう思ってんのか? 本当に?)

 『俺の中の俺』が一体何を言いたいのか、血が回らない頭では理解し辛い。だが、一つだけ反応できる単語があった。

 それは――クレシェンドのやつを上回ること。

 これだけは、譲れなかった。

「当たり、まえだ……」

(……そうかよ)

 俺の言葉に、『俺の中の俺』はつまらなさそうに答える。

(だったら、力をやるよ。クレシェンドのやつを軽くブッ飛ばせるくらいの力を、な)

 何だ? コイツは何を言ってる……?

(ただし、それが本当にお前のやりたいことだったのか、よく考えるこった――)

 俺の中の俺が、今まで明確にその存在を感じ取ることの出来ていた存在が、消失する。

 そして代わりに生まれたのは、圧倒的なまでの力。

 俺の中でその獣の姿をした力の塊が、出口を求めて暴れ狂う。身体の中を直接引っ掻き回されるかのような苦痛に、俺の喉から呻き声が漏れた。

 ――だが、悪くない。

 これが『俺の中の俺』が言っていた力なんだとしたら、喜んで受け入れてやる。クレシェンドのやつを思い切りぶちのめしてやらなきゃあ、俺の中のイライラは収まりそうも無い。

 ――本……に、……っている……か?

 俺の中で暴れくるっている獣が、俺の心の声に反応したのか、小さく唸り声を発する。その声に含まれた意味までは、ノイズが多くて聞き取ることが出来ない。だが、そんな事は些細な話だ。重要なのは、獣が俺に反応を示したこと、ただ一つなんだから。

「来いよ。暴れる場所が欲しいんだろ? ……だったら、思いっきり暴れさせてやるからよ」

 俺の声に導かれるように、獣は俺に近寄ってくる。

 そして――世界は金色に包まれた。

 

「うおっ!」

 突如発生した金色の光に、クレシェンドは思わず目を眇めた。致命傷ではなかった。だがしかし、これ以上闘う事は不可能なほどに、エレクを徹底的に痛めつけたはずなのだ。だというのに、今のエレクからは、尋常では無い量の生気が溢れ出ている。少なくとも先程と同等以上、いや、先程を大きく上回るほどの生命力と言っても過言ではない。

 そしてその迸る生命力は、次々に高圧の電流となって、周囲の木々を真っ赤に染めていく。周囲を照らす金色を打ち消すかのように、炎が生み出す橙色はその範囲を広げ、勢力を増していった。

「何が起こってやがんだよ、コラ!」

 この不可思議な現象に対する恐怖感、それを打ち消すかのように、クレシェンドは大きく声を張り上げた。その声に乗せて解き放たれた気迫が、周囲の木々を掻き鳴らし、火の手を増大させる。

 しかし、それ程の威力を持っていたというのに、クレシェンドの気迫では、金色の光を一切動かすことはできなかった。ちっ、と歯噛みして、クレシェンドは金色の光をひたすらに見守る。

 数秒の後、光が段々と弱まってきたその中心には、やはりクレシェンドの予想通りの人物が立っていた。

 その姿形は、元の姿からはかなりかけ離れているものの、しかしクレシェンドには一瞬で理解できた。これが、目の前に立つこの半人半獣こそが、エレク・ペアルトスなのだという事を。

「――――――――――――――――――――――――――ッ!」

 エレクが雄叫びを上げ、加速する。両手に剣は握られていないが、その代わりのように生えた鋭い鉤爪が、鞭のようにしなってクレシェンドを襲う。

「こなくそおぉぉぉおおおおぉぉぉぉっ!」

 クレシェンドはそれを全力で受け止める。反応速度も、一撃の重さも、そして放出される電撃の威力も、その全てが段違いに強化されている。

 先程エレクに一撃を入れたときには、既にクレシェンドの反応速度、そして身体能力は、エレクの遥か上の水準にあった。だがしかし、今ではその立場が逆転している。

 どうあっても越えられない壁。

 その壁を、エレクは一枚抜かし、いや、二枚抜かしのスピードで打ち壊していったのだ。

 もちろん、クレシェンドならば、それ程間を置かずにエレクのいる境地まで上り詰める事も可能だろう。それどころか、追い越すことだってできるはずだ。――無限に強くなり続ける。それこそが、クレシェンドの持つ能力なのだから。

 だが、それでも。例え追い抜くことが出来ると分かっていても、勝てないと思ってしまう何かを、今のエレクは持っていた。

「なん、なんだよっ、お前はぁぁっ!」

 クレシェンドは手に持った剣を大きく横薙ぎに振るうと、同時に気迫を放出してエレクを吹き飛ばそうと試みる。本物の獣がごとく防御などまるで考えていないのか、その一撃をまともに受けたエレクは、ゴロゴロと地面を転がっていき、燃え盛る木にその身をぶつけた。

「いっ、てぇ……」

 クレシェンドは後ろへ飛んで距離をとると、〝f〟の字型の剣を持っている手を二、三度開閉する。エレクの表皮があまりにも硬すぎたため、衝撃が剣を持つ手を襲ってきたのだ。

「――――――――――――」

 エレクは耳障りな唸り声を上げると、四肢を使って起き上がる。今の一瞬の間に更に獣としての比率を増したらしく、既に四足歩行へとその歩行体系を移行させていた。

「カウンター狙いとか、性にあわねぇんだがよぉ」

 クレシェンドは剣を構えると、この一撃に全精神力を賭けるつもりで集中する。

「やるしかねぇってんなら、仕方ねぇよなぁ」

 そう。エレクの身体はもはや、普通の斬撃など通じる状態には無い。ならば、その硬度自体を逆手に取った一撃――即ち、カウンターにしか勝機は無いと、クレシェンドは考えたのだ。

 クレシェンドの行動の意図を読み取った上での行動なのか、それとも本能にのみ従った行動なのか、そのどちらかを判別することはできないが、ほぼ完全に獣と化しているはずのエレクは、まるでクレシェンドを嘲笑うかのようにその唇を吊り上げる。

 エレクの四肢に、力が込められていくのが、クレシェンドにはハッキリと分かった。膨張する筋肉の動きや、加重を受けて軋む骨の音までも聞き取れてしまいそうだ。

 そんな極限の集中状態の中、クレシェンドは火蓋を落とすべく声を張り上げる。

「さっさと来いよ、コラァァアアァァアアァァッ!」

「――――――――――――――――――――ッ!」

 エレクが咆哮し、そして――




 爆散し、飛び散ったレイドの身体だったモノが発する煙の中で、ナチュラルはゆっくりと振り抜いたハンマーを下ろした。レイドは自身が今まで相対した者の中でも一、二を争う実力者ではあったが、しかしナチュラルにとっては、それは関係ないことだ。

 あらゆる粒子を操ることの出来るナチュラルにとって、天地魔界、どこを見渡しても肩を並べられるような敵はいないのだから。

「後は、クレシェンドがどんな風に覚醒するか……」

 唯一自分を倒しうるかもしれない存在。有史以来、一度も生まれたことの無かった魔族と人間の混血児。その力が完全に覚醒したとき現れるという魔神は、一体いかほどの力を秘めているのか。

「……そろそろ、覚醒も終わった頃か」

 そしてそんな怪物を、この手で御す事が出来るという興奮。今にも踊りだしそうになるのを必死に押さえ込みながら、クレシェンドは上を見る。

「もうすぐだ。世界が私のものになるのは」

「――それは夢を見すぎだと思いますよ、ナチュラルさん」

 その声は、まるで世界中が語りかけてきているかのように、ナチュラルには聞こえた。

「なんだ? ……どうしてこんなものが聞こえる!」

 ナチュラルは慌てて周囲を見回す。こんな事が、ありえるはずが無いのだ。ナチュラルは確かに、この手でレイドを葬ったという確証があるのだから。

 だがしかし、実際にレイドの声がナチュラルの耳には届いている。

「どこにいるんだ! 出てこい!」

 普段被っている冷静な仮面を剥いで、ナチュラルは大声で恫喝する。あからさまな動揺。その証拠に、ナチュラルの額には大量の脂汗が浮かんでいた。

「出てこいと言われても……再生にはもう少し時間が掛かりそうなので、すぐに出て行くのは無理かなぁ」

「ふざけた事を抜かすな!」

 レイドの言葉に叫び返してから、ナチュラルは周囲の異変に気付いた。

(なんだ、この煙の量は?)

 そう。先程爆散したレイドの破片から、断末魔のごとく上がっていた煙。ほんの数刻前までは、ただ燻った焚き火程度の煙しか焚いていなかったはずのそれは、刹那の間に、周囲が見通せなくなるほどの濃い煙――いや、もはやこれは、煙ではなく霧だ――に変貌しているのだ。

(まさかこの煙全てが……っ!)

 ナチュラルのそんな考えを裏付けるかのように、上下左右、三百六十度あらゆる角度から、くぐもったレイドの声が響く。

「あなたの能力は確かに強力だ。きっとウチの団長でも、あなたが最初から本気で闘ったならば……とてもあっさりと負けてしまうでしょうね」

 数刻前レイドに対して行ったように、相手をいたぶるかのごとく攻撃した場合ではその限りでは無いが、しかし初撃決着で戦闘を行うのであれば、ナチュラルの能力は最強に近い。いや、〝最強に近い〟などという婉曲な表現ではなく、単純に〝最強である〟と言ったとしても過言では無いだろう。

「ならば……ならばなぜ君は生きているっ!」

 そう。そんなナチュラルの能力を正面から受けて、なぜレイドはいまだナチュラルとコンタクトを取る事が出来るのか。得体の知れない恐怖に、ナチュラルの仮面はますます剥がれていく。

 そんなナチュラルを嘲笑うかのように、レイドの声が響いた。

「どうして、と言われても……ボクの体は〝そういう風に出来ている〟としか言いようが無いですね。あ、でも、不死身というわけではないですよ。ウチの団長には殺されかけましたから。……あれ、どうしたんですか? 笑って、そしてさっきみたいに、偉そうに講釈を垂れてくださいよ。僕が死んでない理由くらい、あなたになら分かるんじゃないですか?」

「ぐっ、ぅぅうううう……っ!」

「まぁ、分からないなら、それはそれで構わないですけどね。別に僕自身、戯れで言っただけですから」

 レイドの気だるそうな声が響き、その発生源であろう煙が、ナチュラルの頭上に段々と集まっていく。それは次第に形を変え、いつしかそこにあったはずの煙は、先程消し飛ばしたはずのレイドへと変わっていた。

「お望み通り、出てきてあげましたよ」

「……どういう、ことだ。人形でも使役していたというのか」

「あはは、大外れです」

 レイドは笑みを浮かべると、己の胸を押さえながら言った。

「さっきの一撃は本当に痛かったですよ。もう二度と体験したくないですね」

「……もはや君がどういうからくりで生きているのかなど、どうでもいい! 一度で死なないのなら、死ぬまで殺し続けるだけだ!」

 頭上で浮遊しているレイドに向かって、ナチュラルは分解の波動を放った。その一撃を、レイドはやすやすと避けてみせる。それを受けて、ナチュラルは己の巨大なハンマーを握り締めた。

「この……ちょこまかとぉっ!」

 ナチュラルは粒子を操り、自身の周囲に存在するヒッグス粒子を消滅させる。

 光と同じ速さで移動する事が可能になったナチュラルは、その力を使って跳躍、時を止めてレイドへと迫った。

(今度こそ……私の勝ちだ!)

 内心でそう叫びながら、ナチュラルはその手に持った巨大なハンマーを振り下ろす。その一撃はレイドの体を捉え、粒子分解を起こす――はずだった。

「な……っ!」

 ナチュラルは、あまりの驚きにハンマーを取り落とした。ナチュラルの手から離れたハンマーは、一瞬で時の流れが凍結し、空中に留まったが、今のナチュラルにはそんな事を気にする余裕も無かった。だがそれも仕方の無いことだろう。ナチュラルが振り下ろしたハンマーは、ただ空を切っただけだったのだから。

 そう。ナチュラルのハンマーが振り下ろされたその瞬間、時の静止した世界の中で、レイドはいずこかへと消えてしまったのだ。

「あなたは、この世の法則から外れてしまった存在がいると言われたら、信じますか?」

 突如、声が響いた。光速で移動しているナチュラル以外には、決して知覚出来ない世界の中に、だ。そしてナチュラルは、その声の主を知っている。

「……あぁ、よく知っているよ。私の目の前にいるからね」

「あはは、僕を随分高く買ってくれているようですね」

 レイドは本当に面白いと感じているかのような笑みを浮かべた後、空中で静止しているナチュラルのハンマーを手にした。手慰みのようにそれを弄びながら、レイドは言う。

「僕はね、そんな常識外れの存在に『なりきれなかった』人間なんですよ。この世の理から外れたところに、片足だけを突っ込んでいる状態。それが今の僕です」

「…………」

 ナチュラルはレイドの顔を睨みつける。得物が奪われてしまった以上、今は何をされても回避できる状態を作っておくしかない。それ以外に、取ることの出来る手が無いのだ。

 そんなナチュラルの考えなどまるで気にもしていないかのように、レイドは話を続ける。

「僕の体は普通じゃない。骨格は御伽噺で語られている、伝説の金属で出来ているし、身体の中に流れる力も、異空を渡る大悪鬼と、神に反逆した大天使の力が色濃く流れているんです。……ナチュラルさん、確かにあなたは、『常識の中では』最強だったでしょう。ですが、『常識から外れた』存在である僕と相対するには、少しばかり荷が重かった。それだけの話ですよ」

「何が言いたいっ!」

「そうですね。簡潔に言うなら――」

 レイドはまるで絵画に描かれた天使のように両腕を広げると、笑みを浮かべながら口を開いた。

「――ボクの全力の一撃を受けて、苦しむ事無く死んでください」

 その言葉を合図にしたかのように、レイドの体が変態していく。

 まず初めに、身体中が赤銅色の銃器に包まれていく。まるで要塞を思わせるかのような風貌へと変わったかと思えば、次の瞬間にはそれらの銃器は全て消え去り、代わりにレイドの背には三対六枚の、機械仕掛けの羽が生えていた。

「常識から外れた存在に、常識の中でのみ効力を発揮する能力など効果が無い。粒子の操作など、所詮はこの世界、この宇宙のみの法則なんです。そんな常識など、僕には通用しない」

 その姿は荘厳だった。赤銅色だった機械仕掛けの羽は、徐々にその明度と彩度を上げていく。

「あなたが悪いんじゃない。僕が特殊だったというだけですから」

 数秒後には、赤銅色の羽は、直視するのも難しいほどに眩い光を放つ、白銀に輝いていた。

「身体は白銀の吸血鬼の細胞を基に作られ、骨格はヒヒイロカネで、内包する力は新皇と明けの明星。全ての始まりにして、全ての終わりの零号機」

 レイドの頭上に光が集う。それは巨大な星となって、ナチュラルの目を焼いた。

「あなたは実に人間らしかった。優位を感じれば饒舌となり、不測の事態では仮面が剥がれ、本性を現す。実に愚かしくて、実に素晴らしい。そんなあなただからこそ、冥土の土産にこの姿を見せてあげましょう」

 レイドは束ねた光を、ナチュラルに向かって打ち出した。

「――明けの、明星」

 抵抗など無意味だった。ナチュラルに迫る小さな星には、分解の波動も、粒子操作による性質変換も、何一つ意味が無かった。

 そうしてナチュラルは、一言も断末魔を上げることもなく、一瞬も痛みを感じる事も無く、止まった世界の中で、静かに消滅していった。



「やっぱり、これは、多用できない、なっ!」

 時の動き始めた世界の中で、レイドは一人そう呟いた。その額には大粒の汗が浮き、動悸も異常なほど激しくなっている。気を抜けば今にも失神してしまいそうなほどに、レイドは疲労していた。

「なにより、あの状態になると口調が偉そうになるのが一番いただけないよなぁ」

 レイドはごろりと地面に寝転がると、大きく深呼吸をする。

 ――レイドが先程行ったのは、己の力の全解放だ。普段はリミッターを掛けている様々な能力を一時的に解放し、忌まわしい姿になることと引き換えに、絶大な力を得る事が出来る。

 そして、あまりにも強力すぎるその力が漏れ出してしまっていることによって、レイドは基本的には不死身なのだ。この力を押さえつけてレイドに傷を付ける事が出来るのは、レッドリガを除けば世界中でも数人程度しかいないだろう。

 そしてその治癒能力のおかげで、レイドは基本的に体力やその他身体機能の回復が早い。まだ二、三分しか経っていないが、すっかりその呼吸は元通りになっていた。

「さて、と。早くエレクのところに行かなくちゃいけないな。……取り返しのつかないことになる前に」

 レイドは背中にブースターを展開させると、頭上に僅かばかり見える出口に向かって飛び立った。



 その場は酷い惨状だった。

 切り裂かれ、燃え盛る木にひっかかっている『何者か』の尾。周囲に飛び散り、まるで初めからそこにあったシミのようにどす黒く変色している血の痕。

 そして、半ばから折れてしまった〝f〟の字型の剣を握り締めながら、血の海に沈んでいるクレシェンドの姿。

 そんな地獄絵図を、俺は他人事のように眺めていた。

 いや、この言い方は正しくない。『他人事のように』ではなく、正しく他人事なのだ。

 あの時。俺の呼び声に応じて、俺の中の獣が俺に力を明け渡した時。その瞬間、俺は俺自身の体からはじき出され、こうしてずっと、暴れまわる『俺』と、制御を失い暴走している『俺』と相対するクレシェンドの姿とを見続けていた。

 最初の一瞬だけは、互角の勝負をしていたように思う。だがほんの数刻後から、次第にクレシェンドが押され始め、最終的には圧倒されるようになってしまっていた。

 そして、クレシェンドのヤツが賭けに出たのであろう、最後のカウンター。

 もしあれが決まっていたならば、俺は今頃昇天していたはずだ。そう、決まっていたなら。

 結果として、クレシェンドの賭けは失敗に終わった。本能的にヤバさを感じ取ったらしい『俺』は、激突の瞬間に尾を地面に突き刺し、棒高跳びの要領で奴の頭上を越えていった。

 結果として、『俺』は尾を切られはしたものの、本体はピンピンしていた。加えて、尾を切られた痛みに悶えるどころか、むしろそれが逆鱗に触れてしまったらしく、唸り声を上げる始末だ。

 そこから先は言わずもがな。

 全集中力を使い果たし、起死回生の策も尽き、心身ともに疲弊したクレシェンドは、『俺』になぶり殺しに近い扱いを受けた。まだ息はあるものの、治療が無ければ今晩中にでもポックリ死んじまうだろう。

(まったく、酷い事をするもんだなぁおい)

 この惨状は、俺自身が望んだものだ。力でクレシェンドをねじ伏せたいと、そう望んだ結果。

 ――だけど、本当にこれで正しかったのか?

 俺は自問自答する。

 この惨状は、俺が今まで散々やってきたことだ。気に入らない相手がいれば、拷問して情報を引き出すという名目をつけたりして、なぶり殺しにしてきた。仕事だからと理由をつけて、必要以上にいたぶって殺してきた。

 だが今、それを客観的に見せ付けられて、俺は『俺』の行動に虫唾が走った。

 俺は今までずっと、必死に生き抜いていた。記憶が無いなりにも懸命に生きて、色んな人の優しさに囲まれながら、懸命に、だ。その結果、俺が今何をやっているのかと言えば、ただの殺戮だ。必要以上に相手を痛めつけて殺すだけの、快楽殺人者と変わりない。

 もちろん、仕事をないがしろにする気は無い。

 仕事だから人を殺していい、と言うわけではないが、俺を今まで助けてきてくれた人たちの恩に報いるためにも、俺はこの仕事を自ら選び取ったのだ。それに文句を言うのは、筋違いにも程があるだろう。

 じゃあ一体、何が問題なのか? ……その答えは簡単だ。

 ――一番問題なのは、俺が『殺す』という事に対して何の抵抗感も持たなくなってきていることだ。

 別に俺は、『殺す』事を否定したりはしない。それは今まで俺が屠ってきた命に対して、失礼に当たるからだ。だが、仕事のために相手の命を悼みながら『殺す』のと、自分の気分一つで殺し方を変えるような、そんな反吐の出るやり方で『殺す』のとは、まったくの別物と言っていい。

 そして俺は、いつしか後者の殺しを行うようになっていたわけだ。いつ、どこで摩耗し切ったのかは分からないが、この家業を始めて間もない頃は持っていた、前者の殺しにおける誇りのようなものを、どこかに置き忘れてしまっていた。

 だからこそ、俺はクレシェンドのヤツにムカついていたんだ。俺と同じような境遇にいるくせに、俺と違って『殺す』ことに対する矜持を持ち続けているその姿は、クレシェンドが俺の何倍も強い人間であるという事を、まざまざと見せ付けてくれたから。

 『俺』はさっき、よく考えろと言った。それはきっと、この事を指していたんだろう。

(……くそったれ。今まで俺の中で眠りこけてたくせに、ムカつくこと言いやがるなぁ)

 今目の前で暴れている『俺』は、今まで俺の中にいた『何か』だ。そいつは今まで一番近くにいながら何もしてこなかったくせに、いざ目を覚ましたら、宿主である俺を諭すような行動をとりやがる。

(ホント、どいつもこいつも俺よりしっかりした考えを持ってやがるのな)

 俺はガシガシと頭をかくと、今にもクレシェンドに止めを刺そうとしている『俺』に歩み寄る。

 いつの間にかその手に雷の剣を携え、クレシェンドを貫こうとしていた『俺』の手を掴んで、俺は言った。

「もういい、終わりだ。……お前のおかげで大事なことに気付けた。ありがとよ」

「…………ヘッ」

 『俺』は俺の言葉を鼻で笑うと、その瞳をゆっくりと閉じる。

 そして次の瞬間、世界は再び金色に包まれた。



「うおっ、おぉぉおっ!」

 身体の支配権が『俺』から俺に移ってからまず初めに俺が行った事は、クレシェンドを貫くべく振り下ろされていた俺の腕の動きを制御することだった。

 クレシェンドに馬乗りになって、その胸に雷の剣を突き立てようとしていた俺の体を、思い切り右に捻る。無理矢理捻ったおかげで腰から嫌な音が聞こえた気がするが、俺はそれを聞かなかったことにした。

 そんな俺の努力もあってか、ギリギリの所でクレシェンドの顔の真横に突き刺さった雷の剣は、アースの効果によって地面へと流れて消えていく。それを横目で眺めていたクレシェンドが、俺を睨みながら言った。

「何のつもりだ、コラ。情けでもかけたつもりか? ……ふざけてんじゃねぇぞ、あぁっ!」

 もう喋るのも辛いはずなのに、それでも大声を張り上げようとするクレシェンドの言葉を遮って、俺は言う。

「うるせぇよバカ。喋るのも辛いんだろうから黙ってろよ」

 俺は立ち上がると、クレシェンドに背を向けて歩き出した。

「でめぇ、どこ行くってんだ! 俺の話はまだ――」

「――おいこのバカ」

 いまだに食い下がろうと必死なクレシェンドに向かって、俺は背中越しに声をかける。

「お前のおかげで、俺は昔の俺を思い出せた。だから見とけ。俺は必ず、お前よりも〝強い男〟になってみせるからよ」

 ――それが俺の、傭兵としての生き方だ。

 胸中で小さくそう呟いてから、俺はレイドと合流すべく、崖下へとその足を向けたのだった。

 

 

 

 結局あの後、すぐにレイドと合流する事ができた俺は、崖下で何が起こっていたのか、その説明を聞いた。その話の内容から、放っておくとまずいと判断した俺たちは、とんぼ返りに『コード・メイジャー』の拠点へと向かったのだが、そこで展開されていたのは、『コード・メイジャー』の構成員たちに菓子で餌付けされたルナと、そんなルナの姿を見て肩を落としているグーロの姿だった。

 ナチュラルたちが言っていたことには、嘘の事柄もたくさんあったにはあったが、しかし事実も多数含まれていた。その内の一つが、『コード・メイジャー』の団員たちは皆、魔族に土地を追われた者であるという事だ。……まぁ、その土地はここデトロイトではなく、様々ではあったわけだが。

 とにもかくにも、『コード・メイジャー』の団員のうち、ナチュラルの思想に付き合っていたのは一部の幹部連中のみで、普通の構成員たちは皆、自身の体験した悲劇を二度と起こしてはならないと、義憤に駆られた善良な(と言っていいものかどうかは微妙なところだが……)レジスタンスだったというわけだ。

 そんなわけで、ナチュラルが抱いていた野望、そしてその野望の犠牲になってしまったクレシェンドの事を話したところ、『コード・メイジャー』の団員たちは、快くクレシェンドの後見を勤めてくれるという事だった。

 俺がズタボロにのしたクレシェンドは、『コード・メイジャー』の拠点に収容された当初は随分と気まずそうにしていたが、最後には一応見送りに出てきてくれた……はずだ。あの一瞬だけチラリと見えた純白でひらひらした衣服は、アイツの特攻服以外には考えられないしな。

 今回の以来の顛末はこんなところだろうか。結局の所、ナチュラルやその周りの奴らが私的な目的で起こした大騒動だった、というわけだ。

「……ホント、すげぇ任務だったなぁ」

 そんな激動の日々を振り返りながら呟いた俺の言葉に、レイドが耳聡く反応する。

「まったくだね。何というか、肉体的にも精神的にも、とっても疲れる依頼だった気がするよ」

「俺は、今回ただのお守り役だったな……」

「うっ……」

 げんなりとした表情でそう言ったグーロの言葉を受けて、ルナがその表情を固まらせる。さすがに今回ばかりは、レイドの顔を見て桃色空間に逃避しようにも、出来そうにない状況みたいだな。

「あ、あれはその! ……ごめんなさい」

「もういい……俺は今、財布の心配で忙しいんだ」

 拗ねたようにそう言ったグーロは、自身の通帳を見て大きな溜め息をついていた。前時代的なハイオクエンジンというのは、バイク一台のタンクを満タンにするのに、上等な一軒家が建てられるほどの時価がついている。今回あぁだこうだとルナのために奔走したおかげで、予定していた量の二倍以上を使ってしまったらしいグーロに待っていたオチが、ただ拠点内でお菓子を食べているだけだったというのだから、そのショックは計り知れない。

 ……しばらくの間は、グーロが受け取るか否かは別として、ルナがその補填をしてやる事になるんだろうな。アイツああ見えて、魔道具の販売でちゃっかり儲けてやがるし。

 ワタワタと慌てるルナと、重たい溜め息をついているグーロを見て、レイドのやつが笑う。

「この姿だけ見れば、あの二人が世にも恐ろしい傭兵だなんて、誰も思わないだろうね」

「そうだなぁ……」

 俺はレイドの言葉に同意しつつ、輸送用ヘリの窓から広がる景色を見た。段々と小さくなっていくデトロイト。その中でも、俺たちが暴れまわった地域だけはぽっかりと焦げ付いていて、空から見るとても分かりやすい。

「なぁ」

 俺は窓の外を見つめたまま、レイドに問いかける。

「人を殺すのに意味を考える傭兵ってさ、どう思うよ」

「どう思う、ねぇ」

 レイドはしばらく黙り込み、考え始める。一、二分後、レイドの出した答えは、至極簡単なものだった。

「いいんじゃないかな」

「……ホントにいいのか?」

「うん、いいと思うよ」

 レイドは軽くそう言うと、話を続ける。

「まぁ、人を殺す事を躊躇うようじゃあ、傭兵としてはやっていけないからダメだとは思うけどね。でも、人を殺すことについて意味を考えるのは、とってもいい事だと思う。僕たちは曲がりなりにも、いい事をしているわけじゃない。今回みたいに、たまたま悪い人の野望を挫いたり、地元の人々を助けたりする事はあるけど、でもその手段が暴力である以上、それは誇れることじゃないしね。だから、殺す、という事について深く考えるのは、とても大事なことなんだ。……僕やグーロみたいに、人を殺すことにたいした感慨を抱かなくなる事が悪いってわけじゃない。自分を擁護するみたいになって何だかむずがゆいけど、それでも、戦場で生き延びるにはそっちの方が余程正しい。……でもね、それは人間をやめることと同じなんだよ。同属殺しは最大のタブーだ。それを気軽に行えるようになったら、それはもう人間じゃない。『傭兵』という、新たな種と数えるべきだよ」

「……そっ、か」

 確かにレイドの言う通り、俺が選んだのは茨の道なのかもしれない。殺しを生業にしている以上、その意味についていちいち考え続けていれば、それだけ死ぬ可能性も高くなる。

(でももう、それじゃ駄目なんだよなぁ……)

 だってもう、俺は約束してしまったから。

 『俺』とも、クレシェンドの馬鹿野郎とも、約束してしまったから。

 だから俺は、『人間』である事をやめられない。『人間』である事を放棄して、『傭兵』になってしまった瞬間に、俺の傭兵としての道は終わってしまう。

(なんか矛盾した考えだな、これ)

 『傭兵』にならない事が、傭兵としての道。確かに矛盾しているようだが、でも『傭兵』と〝傭兵〟は違う。なんとなく、馬鹿な俺でもそれぐらいは分かる。

「……強く、ならなくちゃな」

 俺は一人、遠ざかっていくデトロイトの地を見つめながら、そう、誓ったのだった。