旧ナイツロード 第十話 利害

 

 

 グーロは単車で風を切りながら、前方の砦――と呼ぶには、少々お粗末過ぎる気もするが――を見据えた。既にこちらの襲撃は察知しているらしく、その城壁には魔族が大量に立ち並んでいる。

 あと八百メートルで、完全にAADの射程圏内に入る。グーロの背を追ってきている百余名の『コード・メイジャー』の戦闘員たちは、その実に八割以上が能力偏重型だ。だからこそ、グーロが先鋒として課せられた最も重大な使命は、魔族の保有するAADを一台でも多く壊すこと、これに尽きる。

「ルナ、……砲撃準備」

『了解だよ』

 グーロが通信機に語りかけると、『コード・メイジャー』本部に待機しているルナが、元気よく返事を返してきた。そしてその直後、グーロの背後に複数の魔法陣が現れる。

 人間の開発した『魔道具』である、魔力増幅の媒体とも呼べる兵器――杖を使用している以上、『魔砲』一撃当たりの威力は、――それこそ、今は使用者が誰一人として存在しないと言われる『大魔法』でも使用しない限り――誰が使っても平均的だ。だがしかし、『魔砲』を操る本人のセンスを考慮すれば、『魔法使い』の戦略的有用性は大きく跳ね上がる。

 そしてルナは、こと『魔法使い』としてのセンスは、ずば抜けて素晴らしかった。

 この地上に溢れる『魔砲』の源を、余すところ無く、完璧に使いこなす能力。『魔道具』作りの才以外で、ルナが誰にも引けを取ることの無い天賦の才。

 それを使用したルナの力は、殲滅戦や広範囲戦に限ればの話ではあるが、『ナイツロード』随一と言ってもいい。

 だからこそ、グーロは背後を振り返らずとも分かっていた。既に空は魔法陣に覆われ、その青さを見ることは出来なくなっている事を。

 グーロは単車のハンドルを回し、エンジンを更に力強く噴かせた。地鳴りのような雄叫びを上げて、風を切る速度が更にアップする。その心地良い加速に身を預け、一度リラックスしたグーロは、自身の力を解放する。

 グーロの能力は闇だ。ありとあらゆる形状、硬度、実体の有り無しなどを全てひっくるめて、何一つ光を通すことの無い物質を作り上げる。その力を行使して、グーロが実体化させたのは――三対六枚の、漆黒の翼だった。

 かつてグーロが、まだこの闇に目覚める前、無邪気に生きてきた時代に使用していた力の、その名残。こことは違う空間を切り裂き、そして相手との距離すらも切り裂いたその力は、今や別の力を得て、グーロの背へと顕現している。

 AADの射程圏内まで、残り三百メートルを切った。超能力者の強化された身体能力で見えるその景色の中で、魔族たちは、こちらを余裕ぶった表情で見つめている。その余裕が命取りになるということに、何一つ気付いていない顔だ。

「オレの力を……舐めるなっ!」

 グーロはそう叫ぶと、単車に最後の加速をかけた。同時に、通信機のチャンネルを開く。

「ルナ、いくぞ」

『オッケー!』

 元気の有り余った返事を聞いて、グーロはカウントダウンに入った。

「……3」

 ――背後の魔法陣が、角度の修正に入る。背中の翼がその大きさを増し、その鋭さに磨きがかかる。

「……2」

 背後の魔法陣が輝きを増す。背中の翼が、自由な意思を持ったかのように宙に浮く。

「……1」

 背後の魔法陣から、膨大なエネルギーの上昇を感じる。六枚の翼それぞれが、その切っ先を魔族に向ける。

 

「――撃ぇ!」

 

 そして、降り注いだ『魔砲』が、魔族の砦、その前面を一瞬で崩壊させた。崩れ落ちていく瓦礫に向けて、更に追い討ちの『魔砲』が打ち込まれる。

 その猛攻の中を何とか逃げ延びた魔族たちを、グーロの翼が狩っていく。あるものは身体を両断され、またあるものは、その闇の中へと呑まれていった。

 ほんの数十秒。一分にも満たない間の攻撃だった。だが、その煙幕が晴れた後には、AADはおろか、魔族の一人たりとも、健常な姿を見せているものはいない。

 グーロたち地上組の奇襲は、こうして盛大に幕を上げたのだった。

 

 

 

 俺たちが陸地に上がったとき、既に魔族たちは総崩れに近い状態だった。

「うっひょぉ~、そこかしこで爆発が起きてんなぁ。怖ぇ……」

「何ブルってんだ、このくらいの鉄火場、お前は慣れてるはずだろうが、コラ」

「いや、こんな狭い空域でハインド出すとか、正気じゃないだろ……」

「そうか? 俺らにとっちゃ、アレが普通だぜ?」

 俺の横に立ったクレシェンドが、宙を飛び回るハインド――簡単に言えば、高性能の戦闘ヘリだ――を見つめる。こんな狭い戦闘地域で、味方がいるのもお構いなしにハインドを飛ばすなんて、俺たちには土台無理な相談だ。いくら超能力者の台頭で、近代的な戦争が歩兵中心になったとはいえ、相変わらず兵器の威力は凄まじい。一対一ならともかく、大規模戦……それも、これだけの高密度戦になると、いくら超能力者の身体能力がずば抜けているとはいえ、流れ弾に当たって死んじまう可能性は低くないからな。

 だが、元々の人数が少ない上に、AADのおかげで戦闘能力の制限をされている『コード・メイジャー』の奴らにとってみれば、確かにこれが普通なのかもしれない。

 ……つくづく恐ろしいところだぜ、戦場っていうのは。

「流れ弾にさえ当たらなければいいさ。……ホラ、こんな所で無駄話してないで、さっさと行くよ」

「りょーかい」

「……ケッ、俺に命令してんじゃねぇよ」

 俺たちの会話を聞いていたらしいレイドが、ポン、と肩を叩いて通り過ぎていく。その背に遅れないように、俺はすばやく水中用のウェアを転送すると、普段の戦闘服を身に纏った。

 水中用のウェアは、なんだかんだ言って保温性にも優れているし、空気抵抗も少ない優秀なものなんだが……いかんせん、蒸れる。

 こんなジャングルじみたところで着続けるのは、はっきり言って拷問だ。

 それはクレシェンドも分かっているらしく、ブツブツと悪態を吐きつつ、いつもの特攻服へとその腕を通した。

「ハハハ、すまないね。ちょっと反骨心が強いだけで、根は悪い子じゃないんだよ」

「いえ、慣れてますから」

 レイドの横に並んだナチュラルが、そう言って笑みを浮かべる。……こりゃあクレシェンドのヤツ、黙ってないぞ……、って、アレ?

 いつまで経っても罵声が飛んでいかない。おかしい。

 俺は疑問を感じて横を見やる。するとそこには、ムスッ、とした顔で押し黙っているクレシェンドの姿があった。

 ……なるほど。そういやナチュラルは、コイツにとっての親代わりだったな。軽口や威嚇のために罵声を飛ばすことは出来ても、純粋に擁護されてるときは口出しできないのか。

「……ほほぅ」

「アァン? 何だテメェその目は。シメんぞコラ」

 俺のニヤ付いた視線に気付いたクレシェンドが、こちらに視線を向けてくる。少しだけ苛立った目をしていたため、俺はなんでもない、とこの話を流した。

「無駄話は終わりだよ。クレシェンド、エレク君、……あそこを見てみるといい」

「アァン? あそこってどこだよ……っと」

「こっちに向かってきてる。まずいな……」

 俺とクレシェンドの会話に割り込んできたナチュラルが、身をかがめて前方を指差す。俺とクレシェンドも釣られるようにしてそちらへと視線を向け、そして、見つけた。

「人数は……四、五、六人か」

 そう。レイドの言う通り、六人一組になった魔族の一個小隊が、こちらへと向かってきていた。しかも、どうやら結構な精鋭のようで、既に何人か『コード・メイジャー』の人員を屠っている。手や身体、そして浅黒い色をした肌に付着した返り血が、その予想と、奴らの実力を裏付けていた。

「彼我の距離は三十メートル、ってところかな」

「いくらここが密林だとしても、あと十メートルも近付かれれば見つかっちまうな。……どうする?」

 俺たちの目の前にいる精鋭らしき奴らは、この状況下でも浮き足立ったりせず、索敵の基本を忠実に守っていた。そのおかげで奴らの歩みは遅いわけだが、だからと言って、それが何かの解決策になるわけじゃあない。十メートル程度の距離など、慎重に進んでも三十秒とかからないんだ。時間的余裕なんて、ほとんど無いと考えてもいいだろう。

「……レイド君。君は一行動で、何人殺せる自信がある?」

「そうですね、今の状況だと、三人が限界かと」

 ナチュラルの質問に、レイドが淡々と返す。ナチュラルはその返事を受けて、満足そうに頷いた。そのまま、俺とクレシェンドにその顔を向け、口を開く。

「クレシェンド、エレク君、二人で左奥、背後に気を向けている魔族を狙ってくれ。別に殺せなくてもいい。出来るだけ敵の注意が引けるようにするだけで構わないから、できるだけ派手に、でも私たちが他の魔族にばれない程度の派手さで、適当に暴れてくれ。敵の注意を引き付けてくれたら、私とレイド君で、残りの五人を引き受けよう」

「了解」

「任せな」

 俺とクレシェンドは同時に首肯すると、いつでも飛び出せるように全身から力を抜き、体勢を低くした。残りの距離は、二十三メートル。

「……行くぜ」

「うし!」

 俺はクレシェンドに合図を入れると同時に、放電しながら飛び出した。雷の指向性をターゲット以外の五人に向け、注意を引くと同時に、足止めをする。その間に、俺の下を這うように、肉食獣の如き動きで飛び出していたクレシェンドが、展開させた〝F〟の字型の剣の切っ先を、左奥の魔族目掛けて振り下ろす。しかし、さすがに精鋭ぞろいなだけあって、背後からの奇襲にも動揺した様子の無いソイツは、難なくクレシェンドの一撃を受け止めた。

 クレシェンドの実力は、少なく見積もっても俺と同等だ。このまま鍔迫り合いを続ければ、魔族に競り勝つのも時間の問題のはず。そう考えた俺は、もう一度電撃を他の魔族に向けて放った。隠密行動をしているが故に、普段のように思い切りぶっ放すことは出来ないが、それでも十分な牽制にはなる。

 チッ、っと魔族の一人が舌打ちをすると同時に、その懐へと手を入れた。そして取り出したのは、俺の予想した通り――AADだ。

 だが、先程のアンコウのように、身体中にAADを貼り付けているならまだしも、たかだか一個程度なら、俺にも十分な対抗手段がある。

 俺は腰のホルスターに手をやると、秘密兵器――DAADを起動した。

「むっ……ぐっ!」

 俺の能力が弱まると思い込んで、こちらに飛び込んできた魔族に、俺の電撃が直撃する。

 ……さすが魔族。俺たち人間とは違って、電気が身体に流れた程度じゃあ、怪我はしても死なないのか。恐ろしいまでの生命力だ。

 そんな俺の驚嘆をよそに、魔族たちはいったん俺から距離を取った。あちらさんはDAADの存在を知らないから、当然の反応だろう。

「おい、そっちはどう――って、何やってんだ!」

 一瞬手が空いたため、後ろを振り返った俺の視界に飛び込んできたのは、今にも魔族の手にかかろうとしている、クレシェンドの姿だった。

 俺はそれを見て、慌ててそちらへと飛び込む。俺が残りの奴らの相手をしていると思っていたらしい魔族は、突然の参戦にギョッ、としたように目を見開き、あっけなく俺の剣に貫かれた。

 俺の剣が魔族から引き抜かれると同時に、背後から聞こえてくる鈍い音。

 見れば、レイドがコンバットナイフで三人を、そしてナチュラルが、あの馬鹿でかいハンマーで二人を始末したところだった。

「大丈夫かい? 怪我は?」

 レイドがやってきて、クレシェンドに尋ねる。それに対してクレシェンドは、力なく首を横に振って答えると、よろよろと立ち上がった。

「すまねぇ。ポカやった」

「っ! お前なぁ!」

 その態度に激昂した俺は、クレシェンドの肩を掴んで振り返らせた。そして、思い切り頬を殴ってやろうと、拳を振り上げる。しかしその拳を、横合いから伸びてきたレイドとナチュラルの腕が引き止めた。

「エレク君、殴り合いは、作戦が終わってからにして欲しい」

「そうだよエレク。ここは敵地なんだ。そんな事をしている暇は――っ!」

 レイドの言葉が遮られ、その代わりに、俺たちの立っている地面が突如として揺れ始める。

地震かっ?」

 俺がそう言った直後、俺とクレシェンド、ナチュラルとレイドの二組を分断するように、地面に亀裂が走った。そして次の瞬間には、その亀裂を基点として、レイドたちのほうの地面が崩落を始める。

「まずい……っ!」

俺とクレシェンドは慌てて手を伸ばすものの、その手は何も掴むことはできない。結局、レイドとナチュラルの二人は、底が見えないほどに深い地の底へと消えていってしまった。

「おいおいマジかよ……」

 レイド一人なら、何一つ心配することは無い。アイツは自立飛行が可能だし、何よりも高所から落下したり、岩石に押し潰されてもどうって事は無いからだ。

……だが、ナチュラルは違う。

 俺はヤツが、一体どのくらいの実力を持っているのかは知らない。アレだけ大きなハンマーを振り回しているし、何よりも初めて顔を合わせたときの戦慄から考えれば、やつもきっと、十分に強いのだろう。

 だが、この底の見えない地の底に落ちて、生き埋めになってしまったとしたら?

 レイドのように自立飛行能力も無く、何トンもの瓦礫に押し潰されても健常でいられるほどの肉体強度も持っていない、俺と同じただの超能力者であるナチュラルは生きていられるのか?

 ――答えはNOだ。少なくとも、ナチュラル個人では、ここに落ちたらまず助からないだろう。

 そしてそれは、きっとレイドも理解している。だとすれば、レイドはこの地の底から離脱する事は無く、きっとナチュラルを助けるために己の力を使うことになるはずだ。

「……前線への復帰は絶望的、か」

「……ンだと? 見捨てる気かテメェ!」

「別に死んだわけじゃないだろうさ。多少怪我はしてるかも知れねぇが、少なくとも二人は生きてる。大した事じゃねぇよ」

 俺の呟きを聞いたクレシェンドが、必死の形相で胸倉を掴んでくる。俺はそれを振り払うと、背後へと首をめぐらせた。そこにいるのは、こっちに向かって不敵な笑みを浮かべている魔族の男。さっき俺が胸を刺し貫いたやつだ。

「はっ、ざまぁ見やがれ……。てめぇらの仲間はもうお終いだ。俺たちを舐めんなよ。人間。そう、これは報いだ。俺たち魔族との不可侵条約を破ったテメェらに対する――」

「魔族の生命力はすごいな。胸を刺されたくらいじゃあ死なないのか。……俺もナチュラルやレイドみたいに、全身を叩き潰すか、首と胴体を分かれさせておけば良かったな」

 俺はソイツの話に耳を傾ける事無く淡々と言うと、手に持った直剣で魔族の頭を突き刺す。

何度も、何度も。

「一度切っただけじゃあ死んだかどうか分からないしな。……これくらいでいいだろ」

 魔族の頭がひしゃげて、脳味噌やらなんやらがパイからはみ出したクランベリーソースのようにしか見えなくなってきた辺りで、俺は剣を引き抜いた。その剣を捨てて、新しい剣を展開しながら、クレシェンドに言う。

「先、進むか」

「…………」

 クレシェンドは俺の言葉には何も答えず、ただナチュラルたちが消えていった谷底を見つめていた。それがなぜか、無性に気に触る。

「いつまでもウジウジしてんじゃねぇよ。さっきも言っただろ、二人は死んでない。それよりも俺たちには、もっとやるべきことがあるじゃねぇか」

「……うるせぇよ」

 ピクリ、と俺の眉が無意識の内に痙攣した。内心の苛立ちが、更に増幅していく。

「テメェはよぉ、人の心ってもんを忘れちまったのか? コラ。……あぁ確かに、テメェの言ってることは正しいんだろうな。だがよぉ、自分の親代わりの存在が、そしてテメェにとって親友みたいな存在が、目の前で死に掛けるような光景を見ても、テメェは心が動かないってのか、あぁっ?」

「だから死んでるわけじゃないって何度言えば――」

「生き死には関係ねぇんだよ! これは心の問題だろうが、コラ!」

 俺の言葉を遮って、クレシェンドは手に持った〝f〟の字型の剣の切っ先を、こちらへと向けた。

 ……あぁ、そう。そういう態度、とるわけだ。

 俺は直剣を握った手に力を込めると、内心の苛立ちをそのまま放出するかのように、全力で帯電させる。もはや隠密行動云々など関係なかった。そんなものは、俺の苛立ちの前には何の意味もない。

 俺は一度大きく深呼吸すると、クレシェンドを見据えて、言った。

「お前は今、掛け値なしにデカイ地雷を踏んだんだ。……何か言いたいことがあるなら、今言いやがれ」

「テメェのその性格、矯正してやるよ、コラ!」

 

 

「無事ですか?」

「……なんとかね」

 レイドの問いかけに、ナチュラルは顔についた煤を拭いながら答えた。

 レイドたちが今いる空間は、周囲を岩に塞がれていて、人がくぐれそうな出口など――平面的な部分には――存在しない。頭上を見上げれば、目を凝らさなければ見えないほどに小さな光点が一つあり、そこが唯一の出口と言えるだろう。

 崩落によって崩れた地面は、今や巨大な障害物となってレイドたちの行く手を阻んでいる。これらがレイドたちの上に降り積もらなかったのは、不幸中の幸いというものだった。

 レイドは頭上を仰ぎ見ながら口を開く。

「とりあえず、出口らしい出口が無い以上、あそこを目指すしかないですね。……ここで固まっていても事態は好転しないですし、とりあえず上を目指しましょうか」

「…………」

「? どうかしましたか? ……もしかして、どこか傷めたんですか?」

 ナチュラルはゆっくりと首を左右に振って答える。一体何なのか、と訝しげに首をかしげるレイドの前で、ナチュラルは突然、その肩を震わせて笑い始めた。

「ふ、くくく……なぁ、レイド君。世の中には、ここまで思ったとおりに事が運んでしまうなんて事があるんだね。まったく、さすがにこれほど上手くいくと、笑いが堪えきれないじゃないか。くくっ、くははははは!」

「…………」

 困惑するレイドを余所に、ナチュラルはなおも喋り続ける。

「いやはや、一体どうやって我々とクレシェンドたちを分離させるか、そしてどうやって君を引き止めておくか、そんな事を色々と考えていたんだけれどもね、まさか敵がこの状況を作り出してくれるなんて、思いもよらなかったよ」

「ナチュラルさん、こんな状況下ですし、冗談を言いたくなるのも分かりますが、それに付き合っている暇は無いんですよ。一刻も早く、戦線に復帰して――」

「だから、君に戦線に復帰してもらっては困るんだよ」

 ぞくり、と。レイドの背に、寒気が走った。百戦錬磨であるレイドすらも、思わず戦慄を覚えてしまうほどの殺気が、ナチュラルから放出されたのだ。

 そこからのレイドの行動は早かった。一瞬で距離をとると、武装を展開し、臨戦態勢を整える。

「アナタの狙いは、何だ?」

 ナチュラルもレイドと同じく、巨大なハンマーを携えて、臨戦態勢を取った。

 その柄が地面に突き刺さり、轟音を立てる。耳が軋むようなその音に、恍惚とした表情で聞き入りながら、ナチュラルは口角を上げて答えた。

「――覚醒だよ」

 

「た、助けてくれ! どうか、どうか命だけは……っ」

「…………」

 グーロに大剣の切っ先を向けられ、情けない声を上げているのは、ここの指揮を取っていたらしい、魔族の男だった。男はいかにもな文官タイプで、先程までこの部屋の守護に当たっていた魔族たちとは、筋肉のつき方からあらゆる所作に至るまでの、全てが素人と同レベルだ。

(結局、陽動部隊だけで制圧が完了してしまったか……)

 いまだこの司令部に突入したのはグーロ一人だけなのだが、それでも制圧したことに変わりは無い。周囲の各重要施設においても、『コード・メイジャー』の閣員がほぼ制圧を完了している。手付かずなのは、エレクたち本命――になるはずだった、隠密部隊の担当箇所だけだ。

 戦闘開始前のグーロの予想の通り、この基地に配属されている魔族のレベルは総じて低かった。一部手練もいたようだが、そもそも地力のレベルが違う以上、少数で戦況をひっくり返すことは不可能だろう。多少の犠牲は出るかもしれないが、大局には影響しないはずだ。

 いまだに命乞いを続ける基地指令の顔を眺めながら、グーロはこの男をどうするか考えていた。傭兵の仕事として考えるのならば、さっさと首を刎ねて、この無駄に長かった仕事を終了させればいいだけの話だ。それが一番手っ取り早く、簡単だろう。

 だが、グーロにはどうしても引っかかっていることがあった。

(――本当にここは、『コード・メイジャー』の奴らが元々住んでいた土地なのか?)

 そう。それは些細な疑問だが、同時に重要なことでもあった。

 依頼の内容は、魔族が出張ってきたせいで住むところを追われたから、そこを取り返す手伝いをして欲しい、というものだった。だがしかし、いざこうして制圧に出張ってきてみれば、そこに広がっているのは人が住むには不向きな密林な上、元々住んでいたという話の町なんてものはどこにも見当たらない。魔族たちにも生活基盤を整える苦労がある以上、出来るだけそれを減らすために、基地の邪魔になる家屋以外は流用してもいいはずなのに、だ。

 それどころかこの基地には、ここで何らかの研究に従事しているらしい魔族たちの宿舎が、わざわざ建設されていたのである。しかも外壁などの風化具合から察するに、相当年季の入ったものだった。

 疑問はいつしか疑念となり、そしてその疑念をはっきりさせるべく、グーロは口を開いた。

「……おい」

「やめてくれっ! 殺さないでくれっ!」

「黙れ」

 身を縮こまらせ、頭を抱えて怯える基地指令の脇腹に軽く蹴りを入れ込んでから、グーロはその髪をつかんで顔を持ち上げた。基地指令の男は痛みに顔を歪ませるが、グーロにとってはどうでもいい事だ。

グーロは痛みに悶える基地指令に問いかける。

「……お前たちは、いったいどうしてこんな不毛な争いを続けている? 住むには不便で、何か学術的な価値があるとも思えないこんな土地を巡って、なぜ血を流すほどの戦いに発展した?」

「……は?」

 グーロの言葉を聞いた瞬間、基地指令の目の色が変わった。まず最初に、信じられない、といった風に首を振り、そして次第に、その目に狂気の色が浮かんでいく。

 その異様な変化にグーロが驚いていると、基地指令は突然半狂乱状態になって叫んだ。

「お前、たちが……。――お前たちが! お前たちが戦いを仕掛けてきたんじゃないか! 私たちはただ、誰にも迷惑をかけることなく、ひっそりと調査をしていただけだというのに! それどころか、私たちの間には、人間と魔族の間で子を設けるほどに仲睦まじい者だっていたというのに! それなのにお前たちが戦いを仕掛けてきたから、こちらが対抗策を取っただけの話じゃないか! 忘れたとは言わせんぞ! お前たちが我々の同胞を無差別に虐殺した事を! それなのに、それなのに! なぜ争っているのかだと? なぜこんな戦いに発展したのかだと? それは全て、お前たち人間が発端じゃないか! 我々は何度も協議の席を招いた! それを散々反故にし、我々から優秀な人材を、土地を、設備を奪っていったのは、お前たち人間じゃないかっ! ……ふふ、ふふふふふはははははははははははっ! あははははははは! これは何という皮肉だ。私たちを追い込んで、それ程楽しいのか、人間っ!」

「……おい、それはどういう――」

「――困るなぁ、勝手な事をされては」

 とすっ、と。まるで緊迫感を感じさせない音と共に、グーロの目の前で喚いていた基地指令の頭に、巨大な針が一本、深々と突き刺さっていた。

 背後を振り返ったグーロの視界に映ったのは、総勢三十名を越えるであろう『コード・メイジャー』の人員たち。その誰もが、『コード・メイジャー』内で一線級の実力を有した者たちだ。

 その中から、ゆっくりと歩み出てくる二人の男。グーロはその顔に見覚えがあった。名前を覚えているわけではないが、ナチュラルと共に会議をしていた、『コード・メイジャー』の幹部たちだ。

 グーロから見て右側に位置する、初老の男が、髭をさすりながら口を開く。

「我々は君の力を買っている。願わくは我々と共に闘ってほしいと思っているのだよ。だからこそ、余計な言葉は聞いて欲しくないのだがね」

「……フン、俺の中の選択肢に、ここに残るというのは最初から存在していない」

 グーロの言葉に、初老の男は顔を歪ませて返した。

「無いのなら作るまでだよ。我々の拠点に帰れば、とっておきの洗脳装置がある。君に偽りの記憶を刷り込む事も、幻覚を見せる事も、人格を書き換える事も、簡単に行える装置が、ね」

「だからグーロ君、」

 初老の男の隣に立つ、若い女幹部がその手を上げた。それを合図にしたかのように、『コード・メイジャー』のメンバーが次々に武器を構える。

「――大人しく、ついてきてくれないかしら?」

 そしてその手が、振り下ろされる。

 

「くっ、そがぁぁぁ……」

 俺の一撃を真正面から受け止めたクレシェンドが、歯を食いしばって押し返してくる。俺はそれに対抗することはせず、押し返されるままに身体を後ろへと下げた。

 俺とクレシェンドの間に、少しばかりの間が出来上がる。俺を押し返したせいで、剣を振り抜いた格好になってしまっているクレシェンドには、この間を埋めることが出来ない。

「力押しばっかりが、闘いじゃあないんだよっ!」

 俺は一歩踏み出すと同時に、クレシェンドに向かって電撃を放出する。

「うるせぇ! 舐めてんじゃねぇぞコラァっ!」

 驚異的な反応速度で剣を構えたクレシェンドは、体勢を崩しながらも、何とか俺の剣を受け止めた。だが、俺の攻撃はそこで終わりじゃない。俺の剣を受け止めたせいで身動きが取れなくなっているクレシェンドに、俺の放った電撃が直撃する。

「あっ、がぁああぁああっ!」

 悲鳴を上げるクレシェンド。ヤツも超能力者の端くれである以上、俺の電撃を受けたぐらいじゃあ死なないようだが、電気を無理矢理身体に流されれば、否が応でも体から力は抜ける。その隙を突いて、俺はやつの体を思い切り押し返した。

 意図的に後ろへ下がった俺と違って、力に押し負けた形になったクレシェンドは、体勢が崩れてその場に尻餅を付く格好になる。電撃のダメージによる余韻が残っている今なら、コイツは俺の追撃を受けることすらできないだろう。

「喧嘩を売る相手を、来世からはよく考えろよ!」

 クレシェンドの首を切り落とすために、俺は右上段から剣を振り下ろす。これで、決着が着く――はずだった。

 俺の剣が振り下ろされた直後、クレシェンドが俺を見た。その目が映しているのは、自分の命を刈り取るであろう剣の切っ先なんかじゃなく――ただひたすらに、俺だった。

「舐めんなって、言っただろうが! コラァァッ!」

 俺の剣が振り下ろされるよりも早く、クレシェンドは行動を開始していた。尻餅をついた状態から、腕だけを使って百八十度身体を反転させると、両手をばねにして、まるで一本の槍になったかのような姿で、俺の鳩尾へと蹴りを打ち込んでくる。

「かっ……ふ!」

 一瞬で息が詰まる。完璧なまでのタイミングでカウンターを打ち込まれた俺は、凄まじい激痛と、肺から空気という空気が全て押し出されていく感覚を味わいながら、無様に後ろへと吹き飛ばされる。たかだか蹴りを一発受けただけなのに、三メートル近くも吹き飛んだ俺は、背後にそびえ立っていた巨木へと背を打ちつけた。

「いっ、てぇ……」

 ゲホゲホと咳き込みながら、俺は視線をクレシェンドへと再度固定する。俺の視線の先では、砂埃にまみれて少し茶色がかった特攻服を揺らめかせながら、クレシェンドがゆらりと立ち上がっているところだった。

 俺は息を整えながら立ち上がりつつ、クレシェンドを注意深く観察する。

 さっきの一撃。あの時の反応速度は、尋常じゃなかった。超能力者の範疇を越えていると言っても過言じゃない。電撃を自分の体に流したときの俺は、今までナイツロード最速だという事を自負してきたが、やつの反応速度は、俺と同等か、考えたくは無いがそれ以上だった。

(何か、何か秘密があるはずだ)

 やつの身体に、何かおかしい部分はないか、目を皿にして見つめ続ける。そして、見つけた。

「なんだ、ありゃあ……」

 それは、普通ならば気付かないような差異だった。クレシェンドの――今は少しばかり汚れちゃあいるが――純白に彩られた特攻服の下、やつの襟首辺りから、少しずつ〝何か〟が染み出してきていた。

その〝何か〟は、注意深く見ないと分からないような速度で、しかし着実に、クレシェンドの身体を覆っていく。襟首から上半身へ、そして腕、足と巻きついていく。

 そんな状況だというのに、クレシェンドのヤツは何を気にする様子でもなく、ゆっくりと口を開いた。

「確かによぉ、俺の言ってることは甘いんだろうさ。お前に比べたら、踏んでる場数の数も違えば、殺してきた人数だってずっと少ない。……でもよ、俺はお前みたいに戦って、殺して……、そしてその末に、お前みたいに、人の生き死にに関して無頓着にはなりたくねぇんだ。……お前が止めを刺したあの魔族、アイツさ、俺の剣を見て怯えた目をしてたんだよ。きっと無意識なんだろうがよ、俺の剣を見て、死にたくない、って、そういう感情の篭った目をしたんだ。だから俺は殺せなかった。最初は俺のほうが優勢だったのに、剣を納めちまった。そのせいで俺の命が危なくなるって分かってたのに、剣を振り下ろせなかったんだよ。結局、そのせいでお前に迷惑掛けちまったし、二人は谷底に落ちていっちまった。……でも、でもよ、俺にとっては、谷底へ落ちていった二人の命も、止めを刺しきれなかったあの魔族の命も、全部等価値なんだよ。どの命も、等しく重いんだ。だから、俺はお前が許せねぇ。環境のせいかもしれねぇ。ずっと傭兵なんて事をやってきたせいかもしれねぇ。でもよ、だからって――」

 とうとうその〝何か〟はクレシェンドの顔へと巻きつき、その表情を見えなくさせる。

 直後、その〝何か〟は、突然姿を消した。それとタイミングを同じくして、俺を見据えたクレシェンドが、大きく息を吸い込む。

「――他人の命を軽く扱うようなやつを、見過ごすわけにはいかねぇんだよ!」

 そう叫んだクレシェンドの身体は、まるで魔族のような、異形の姿へと変わっていた。

 

「覚醒とは……これまた、穏やかじゃない響きですね。一体何が覚醒するって言うんです?」

「レイド君、君は魔族と人間との間に設けられた子がどんな力を持つのか、知っているかい?」

 レイドの問いを無視して、ナチュラルは口角を吊り上げる。

「人間と魔族との間に設けられた子はね、そのどちらの性質をも掛け合わせ、そして受け継いだ子として生まれるのさ。魔族の強靭さ、人間の多様な創造性、そしてその強さを掛け合わせた、まさしく新生物としてね」

「そんな生き物がいるとしたら、それはもう化物ですね。……話の流れから察するに、その〝化物〟の覚醒を狙っているみたいですが、そんな手に負えないようなものを覚醒させて、一体何がしたいんですか? ……ここの魔族たちだけでなく、自分たちの手駒さえも殺す腹積もりだとか?」

 そこまで聞いたナチュラルが、我が意を得たり、とばかりに目を細めた。いやらしく光った両目が、レイドの顔を見据える。

「君が〝化物〟と呼ぶその存在を、万が一制御する方法があるとしたら、どうだい?」

「……っ!」

 レイドの脳裏に、様々な情報が浮かび上がる。それらの中から取捨選別し、重要なキーワードに関連する項目、それに該当する人物だけをピックアップしていく。

 ――曰く、その当人は秘めた力を持っている。

 ――曰く、その当人はナチュラルの制御できる存在である。

 ――曰く、その当人を覚醒させるためには、エレクとクレシェンドを二人きりの状況へと持ち込む必要がある。

 ――エレク。その名前が出てきたのは、決して無関係では無いだろう。何せここは、このデトロイトの地は、エレクが記憶を失った状態で、初めて目を覚ました土地なのだ。

 つまり、エレクとクレシェンドを二人きりにしたという事は、そこに何らかの重要な意味があるということだ。今まで一年近くエレクと共に過ごしてきたレイドは、エレクが普通ではない事を知っている。

 一年間エレクを観察して、そしてレイドが導き出した結果はこうだ。

 ――エレクは、純粋な超能力者ではない。いや、それどころか、エレクはこの世界の人間かどうかすら怪しいのだ

 レイドは一度、エレクが始めて部隊へとやってきたとき、誰にもばれないように身体検査を行っていた。その当時、丁度傭兵界隈で名の売れ始めていた『ナイツロード』の事を妬んで、密偵を送り込んでくる輩も多かったためだ。

 そうして見た結果を、レイドは今も忘れることが出来ないでいる。何せ、エレクの身体を構成する細胞の中には、いまだこの地球上では発見されていない性質を持った細胞があったばかりか、その身体の中に、明らかに自立した意思を持った生物の存在が、ハッキリと見て取れたのだから。

 そしてその生物は、エレクが死に瀕したときや、感情が昂ぶったときには、必ずと言っていいほどに力を貸していた。エレクの能力である雷の力は、どこからどう見てもあの生物が持つ力としか思えない。

 そして、そんな特徴を持つエレクと二人きりにされたクレシェンド、そしてナチュラルの話を全て統合すれば、出てくる答えは一つしかない。

「まさか、彼は……クレシェンド君は」

「そう、そのまさかだよ」

 勿体つけるように大きく息を吸ってから、ナチュラルは口を開いた。

「クレシェンドを覚醒させることこそが、我々の希望――彼こそが、件の半人半魔なのさ」

 その言葉を受けて、レイドの背に嫌な汗が伝った。そして同時に、薄い笑みが零れる。

「なるほど……全て掌の上だった、というわけですか」

「その通りさ。……そして全てを知ってしまった以上、君を生かしていくわけにもいかなくなった。諦めて往生してくれ」

「……自分が全てを動かしていると思っているなんて、愚かな人としか言いようが無いですね。まぁ、戦いをお望みだというのなら、相手になってあげますよ」

 ナチュラルは巨大なハンマーを、レイドは短刀と拳銃をそれぞれ構えながら、殺気をぶつけ合う。それは周囲を震わす波動となり、崩落した瓦礫がその身に罅割れを起こした。

 そして、次の瞬間には互いの姿が掻き消え、火花が飛び散る。

 ――今ここに、『コード・メイジャー』と『ナイツロード』の代理戦争が、火蓋を切って落とされた。

 

 

 グーロは己の愛車が出すことの出来る限界ギリギリ、全速力中の全速力で、『コード・メイジャー』本部への道を駆け抜けていた。その脳裏にリフレインするのは、先程始末した『コード・メイジャー』の幹部たちが遺した言葉だ。

 ――『我々の拠点に帰れば、とっておきの洗脳装置がある。君に偽りの記憶を刷り込む事も、幻覚を見せる事も、人格を書き換える事も、簡単に行える装置が、ね』

「ルナ……っ」

 色々と面倒な部分の多い後輩ではあるが、グーロはルナの事をそれなりに気に入っている。そんな彼女を、放っておくことなどできなかった。

 レイドとエレクは、奇襲部隊が姿を現さなかったことからしても、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性が高い。それを裏付けるかのように、いくら通信機にコールしても、ノイズが返ってくるだけだった。

 そしてそれは、ルナにおいても同様だった。いや、正確に言うならば、ルナの方が余程危険度が高いといってもいいだろう。なにせ、ルナの通信機にコールすれば、きちんとコール音が返ってくるのだから。それでもルナが応答しないという事は、即ちルナが通信機から引き離されているか、もしくは既に洗脳が完了して、通信機に出る必要がなくなった、ということだ。

「……無事でいればいいが」

 内心とは裏腹に、冷静な言葉を吐き出しつつ、グーロは単車のエンジンを噴かせ続けるのだった。