旧ナイツロード 第七話 死闘

 

 

 リンショウは走っていた。

 先ほど、『灰被り姫の城』を中心に小規模な闘気の揺らぎを観測した。

 エレクが予想していた通り、地下の大空洞に敵の本隊がいるとするのならば、そこから地上まで届く闘気の持ち主がいるということになる。

「エレク、無事でいろよ……そして、まだ見ぬ強敵よ、ワシが相手をしてやろう」

 その予想に、リンショウは頬を緩ませた。

 それほどの闘気の持ち主。一体どれほど楽しい戦いになるのだろうか。

 リンショウの胸のうちには、戦いを楽しむ獣が蠢いていた。

   

   

 諸刃志雄は走っていた。

 いつの間にか爆弾を排除していたら地下通路に潜って来てしまったが、そのおかげで、謎の衝撃を知ることができた。

 先ほどから断続的に続いている、この謎の衝撃音。

 これほど広大な地下空間を揺るがすことができるということは、

「相当な化物がいるかもしれないでござるな。……怖っ!」

 志雄は身を震わせながらも走り続ける。

 エレクの無事を祈りながら。

   

「のおぉぉぉぉおおおお!」

 エレクの悲鳴が、広大な地下空間内に響き渡る。

 その悲鳴が反響し、山彦のように声が返ってくる中を、エレクは疾走していた。

 手を、足を、全身を、稼動域の限界まで動かし、一秒でも早く体を先へと進ませる。

 その背後からは、エレクの命を狙うアサシンであり、研究所での任務の際にはグーロを瀕死の重傷に追いやった相手、ナゼが迫ってきていた。

「ぐぅ!?」

 エレクの右肩に、ナゼの放った漆黒の塊が突き刺さり、鮮血が噴き出した。

 その痛みに、エレクは一瞬足を止めかけるものの、気力を振り絞り、痛みを無視して逃走を続ける。

(まだか? まだなのか?)

 エレクは焦りながら、胸中で呟く。

 脳内には、この『灰被り姫の城』の正確な見取り図が展開されており、その脳内地図に従って、エレクは疾駆する。

 目指しているのは、下の階層へと向かう階段。

 そこはアトラクションの一部に繋がっている。

 勿論、一般人を巻き込んでしまう可能性はあるが、それ以上に、人ごみに紛れる事が出来るのだ。

 ナゼは自身の職業の性質上、人が大勢いる場での戦闘を好むタイプではない。

 だからこそ、エレクはアトラクションの中へと逃げ込もうとしているのだった。

(今通り過ぎたのが四本目の柱だから――ッ!)

 エレクが現在位置を確認した瞬間、ひときわ大きな漆黒の塊が飛来する。

 それを紙一重のところで回避したエレクの眼前に、ナゼの拳が迫ってきていた。

「危ねぇ!」

 それをエレクは紙一重の所で回避し、再び階段に向かって走り出す。

 その際に、ナゼに向かって電撃を放ち、直撃した事をを横目で確認する。

 死んではいないだろうが、少しでも足止めをすることが出来るため、電撃が直撃したことにエレクは胸のうちでガッツポーズを決める。

 出来た時間を利用して、エレクは目前に迫った階段に飛び込む準備を始めた。

 衝撃緩和用の反重力装置を取り出し、いつでも使用できるように構える。

 同時に、発煙筒を三つほど地面にばら撒いた。

 白煙が広がり、霧状に広がる。その煙に隠れるように、エレクは階段に向けて足を動かし続ける。

「よし! 勝った! ……あれ?」

 階段に飛び込み、勝利を確信したエレクの体が、突然傾いだ。

 手に持っていた反重力装置が零れ落ち、無意味な所に力場を発生させる。

 それを横目で見つめていたエレクが、事態を理解する前に、その体から鮮血が迸った。

 首筋を真一文字に切り裂かれている。

 そこから鮮血が溢れ出し、床を汚していく。

「うっそだぁ……」

 エレクは間抜けな声を上げながら、地面へと墜落した。

 鈍痛が走り、一瞬の痛みを残して、消えていく。

 血を流しすぎたせいで、感覚が麻痺してきているのだ。

(いつだ? いつやられた? なんで俺の首は掻き切られてるんだ?)

「何故、自分の首から鮮血が溢れ出しているのか解らない……。そんな顔をしているな?」

 動きの鈍った頭で必死に思考を続けるエレクに、今一番聞きたくない男の声が聞こえてくる。

 その男であるナゼの声は、エレクの体から零れていく血のように粘ついた残滓を引き連れて、エレクの聴覚を刺激した。

 顔を青ざめさせるエレクの前で、ナゼは言う。

「いつ自分がその傷を付けたのか、どうやって付けたのか、理解できるか?」

 ナゼの言葉は続く。もはやエレクには理解できなくなってきている、言葉の羅列を紡ぎ続ける。

「まぁ、教えてやると、傷を付けたのは先程の拳を振るったときだ。しかし、どうやって付けたのかまでは分からないだろう?」

 目の前で話しているナゼの声すら、意味のある言葉には聞き取りづらくなってきたエレクの聴覚に、不意に、新たな声が割り込んできた。

   

「――それは、打ち根を使ったからでござるよ」

   

 ひゅっ、という風切り音に続いて、今までナゼが立っていた場所に白刃が突き刺さる。

 赤い登り鯉に、ド派手な紫の桜模様が、薄らぼんやりとした視界の中でも、妙に明るく映っていた。

「グッドタイミングだぜ……バシュ」

「エレク殿、静かにするでござるよ。今、止血をするでござる」

 諸刃志雄が、笑みを浮かべて振り返った。

   

   

 諸刃志雄は、エレクの止血を終えると、ナゼのほうへと向き直る。

「ふぅ……こんな所で同郷の者に会えるとは、拙者、思ってもみなかったでござるよ」

「同郷? ということは、自分と同じく、『里』の出身か?」

「いかにも。……しかしまぁ、お主とは接点の無い役割ではあったのでござるが」

「なるほど。前線の方か……」

 感心したように頷くナゼに、志雄は殺気を込めた視線を送る。

「拙者、これでも名の通った者でござるゆえ、相手にとって不足は無いと思うのでござるが? ……少なくとも、エレク殿を弱いものいじめでもするように追い詰めているのは、傍から見ていて全く面白くないものだったでござるよ」

 志雄はナゼを睨みつけながら、ケンケン――賢刀・不滅を掲げた。

「ふむ、自分は仕事のためにやっていたのだから、弱いものいじめ云々はあまり関係の無いことだが……。とりあえず、邪魔立てするなら殺す」

「出来るものなら」

 場の空気が重く張り詰め、殺気だけで大気が揺れる。

 同郷出身の、忍者と似非侍。

 戦いの火蓋が、切って落とされた。

   

 音速。

 文字にすればたった二文字のその速さが、一体どれほどのものか体感したことのある人はいるだろうか?

 秒速三百四十メートル?

 ブラックアウト? レッドアウト?

 知識としてなら知っている人がいるかもしれない。

 しかし、体感として言われると、途端に現実味を無くす言葉。

 それが、『音速』の二文字なのだ。

 そんな現実味の無い速度の戦いが、ここ『灰被り姫の城』の地下で繰り広げられていた。

 志雄の振った刀身が閃き、ナゼの打ち根の鏃がそれを受ける。

 音すらも置き去りにした動きの中、一拍遅れて斬撃音、打撃音が響く。

 斬。

 轟。

 打。

 轟。

 斬。

 轟。

 打。

 轟。

 斬、斬、斬。

 打、打、打。

 轟、轟、轟。

 残響、残響、残響。

 反響、反響、反響。

 破壊、破壊、破壊。

 空気は、音よりも早く振動を伝えることが出来ない。

 そして、空気中を音よりも早い物体が通過すると、その衝撃を伝えることが出来ず、空気中に衝撃の膜が発生する。

 これによって生み出されるのが、ソニックブーム――平たく言えば、衝撃波なのである。

 分かりやすく言うならば、戦闘状態に移行した戦闘機が、街中を滑空するような。

 その衝撃だけで、窓ガラスなんて紙屑のように砕け散ってしまうような。

 そんな戦闘を表すことができるのは、先程のような、端的な事実と、単音のみなのだ。

   

 ――衝撃と、破砕と、そしてそこから生まれる静寂のみが、広大な地下空間を支配する。

 何者も寄せ付けない、圧倒的な強者の空間。

 永遠に続くかに思われたその空間が、突如としてその形を崩し、その瞬間、全てが弾けた。

 空間内に押し留められていた衝撃が、破壊が、全てが吹き荒れ、地下空間の垣根を越えて、地上に、そして更なる闇の奥深くへ、その範囲を広げる。

 破壊の嵐が吹き荒れ、全てが収まったときには、少し煤けた程度のナゼと、刀身がへし折れた刀を持ち、血にまみれた志雄、そして衝撃波に吹き飛ばされ、無様に地に転がるエレクの姿以外、何一つ残ってはいなかった。

「そうか、この程度か。……いや、本気を出せていなかったのか?」

 何一つなくなった空間の中で、ナゼの呟きが空気に溶ける。

 その声に応える者は、最早この場には存在していなかった。

「……ふん、殺すか」

 言うが早いか、ナゼは手の平に漆黒の塊を生み出し、何の躊躇も無くそれを解き放った。

 ナゼの手の平を離れた漆黒の塊は、明確な死を乗せてエレクに迫り――志雄の振った刀に阻まれる。

「む、まだ生きていたか。それにその刀身は……」

「拙者の刀の名は、賢刀・不滅。その名の通り、幾ら折れようと砕けようと、消えることの無い不滅の刃でござる! 拙者とケンケンが生きている限り、エレク殿はやらせぬでござるよ!」

 ナゼの驚きに、志雄は啖呵を切って答えた。

 そのまま、震える手でケンケンを――賢刀・不滅を正眼に構え、エレクを庇うようにその足を前へと踏み出す。

「……殺すぞ?」

「やれるものか」

「やれるさ」

 短い問答の後、ナゼは手の平に漆黒の塊を生み出し、そして――地に伏した。

 地面にめり込むほどに強く打ち付けられたナゼは、慌ててその場を飛びのき、何が起こったのかを確かめるべく目を凝らす。

「貴様……何者だ?」

 ナゼに何者かと問われた男は、その鋭い眼光を鈍く光らせ、灰色に薄く色付いた髪を振り乱し、胸を張って答えた。

「ワシは……好敵手(とも)だっ!」   

 傲岸不遜に胸を張り、筋骨隆々の肉体を怒らせて仁王立ちする灰色の鬼。

 その鬼と対峙するのは、漆黒を纏った細身の男。

 一見すれば鬼の圧倒的有利に見えるが、そうではない事を鬼――リンショウは理解していた。

「随分とまた好き勝手やってくれたものだな」

 静かな怒りを滾らせて、リンショウが目を見開く。

 ただ目を見開いただけ。ただそれだけだというのに、リンショウの足元には亀裂が走り、床を軋ませた。

 爆発したように波動を放つ力に、細身の男――ナゼの纏っている漆黒が振り払われる。

「……予想外だな。これほどの力を持っているとは。その力の源はなんだ?友を傷つけられたことへの怒りか?」

「確かにそれもある。ワシの好敵手を傷付けた事に、胸が燃えるような怒りを確かに感じてはいる。だがな――」

 ナゼの問いかけに、リンショウは憮然とした態度で答えた。

「ワシが最も気に入らんのは、ワシ抜きでこんな楽しげな事をしていたことだッ!」

 空気を震わせて、リンショウの叫びが地下空間内に反響する。

 いつまでも響き続けるその言葉に、ナゼは眉を上げることで答えた。

「ということは、なんだ? 貴様が怒っている理由は、自分がこの二人を傷付けた事などではなく、ただ単に貴様抜きで戦闘をしていたことが気に入らない、と。そういうことなのか?」

「それ以外にどんな理由があるというのだ!」

 呆れ顔で問いかけたナゼに、リンショウはさも当然と言わんばかりに頷く。

「……自分も大概だとは思っていたが、まさかここまでの男がいるとはな」

 ナゼは肩を竦めると、冷めた目をリンショウへと向ける。

 その視線を軽く受け流すと、リンショウはナゼを親の敵とばかりに睨みつけ、指を突きつけた。

「さあ、今すぐワシと闘え! 何が何でも戦え! 全力で闘え!」

「……面倒な」

 ナゼは手の平に漆黒の塊を生み出すと、それを握りつぶす。

 リンショウもナゼに倣って腰を落とし、拳を固めると、その顔を笑みの形に歪めた。

「さあ! さあさあさあ! 始めようではないか! 血沸き、肉踊る闘争を! ハハ、グハハ、グゥワハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 哂う。

 快楽に蕩けるように顔を歪め、歓喜に身を震わせながら、リンショウは哂う。

 瞳に狂った殺人者のような光を宿らせ、引き裂くように口を開けて、リンショウは哂う。

 狂気的に。驚喜的に。そして悪魔的に。

 それこそが、リンショウがリンショウである所以だからこそ。

 賭博よりも、情欲よりも、強者との戦闘でのみ得られる高揚感が、リンショウの身体を疼かせる。

 たとえポーカーのダブルアップで何連勝しようとも、一本数百万円もするワインを開けようとも、どれだけ素晴らしい女を抱こうとも得られない快感。それこそが、リンショウの求めるものなのだ。

 ――戦闘狂。

 この言葉こそが、リンショウの全てを表していると言っても過言ではない。

 命を落とすことが分かっている戦いだろうと、リンショウは迷わず死地へと赴くだろう。

 リンショウにとって、戦いとは、闘争とは、世界そのものなのだから。

 リンショウの哂い声からそのことを悟ったナゼは、思わずその身体を震わせた。

「これは……少し危ないか?」

 爆発的に増加したリンショウの波動を受けて、ナゼは小さく首を傾げた。

 勿論、ナゼは自分が負けるなどとは、これっぽっちも、微塵も思ってはいないが、それでも万が一ということもある。

 自身の力を過信しすぎてはいけない。

 そのことをよく理解しているナゼは、退路を確認するために、方々へと視線を走らせる。

 そして、気付いた。

(いつの間にか……同士と侍の姿が消えている?)

 そう。先程までは満身創痍でリンショウの後ろに隠れていたはずの二人が、いつの間にかこの場から離れていたのだ。

 それを見つけることが出来なかった。

 No.1アサシンである自分が、人の動きを感知できなかった。

 つまり、ナゼはリンショウの威圧に呑まれていたのだ。

 その事実に、ナゼは驚きを隠すことが出来なかった。

「これは……。侍が帰ってくるまでに決着をつけないと、面倒なことになりそうだな」

 ナゼは自分に言い聞かせるように言うと、空気を引き裂いて飛び出した。

   

   

 殴る、殴る、殴る。

 ただひたすらに拳を振り上げ、鍛え上げた己の腕を、筋肉をしならせ、軋ませ、一つの射出装置へと変えて打ち出す。

 リンショウに許された、少ない攻撃方法の一つ。

 しかし、ただそれだけの一連の動作を行うだけで、旋風が、轟風が、破壊の牙となって渦を巻く。

 超能力者たちの、その更に上位にある力を、リンショウは拳の一振りで実現する。

 己の肉体こそが最大最強の武器であり、金剛牢固の鎧であるリンショウだからこそ、その威力は如実に現れる。

 例えばそれは、打ち合った相手の身体。

 目の前にいる漆黒の男の腕は、今の一撃でへし折れた。

 右腕はあらぬ方向へと曲がり、原形を留めてはいない。

 例えばそれは、リンショウ自身の身体。

 目の前の漆黒の男が生み出した砲弾は、リンショウの肉体に、正中線を通すように直撃したものの、かすり傷一つ、薄皮一枚すら傷付ける事は出来ていない。

 最強の矛であり、最強の盾。

 矛盾を孕んだその力が、たった今――解放された。

   

「な……に?」

 何とはなしに、ナゼの口から動揺の言葉が零れ出る。

 No.1アサシンとしてあるまじき失態ではあるが、それも仕方の無いことだろう。

 なにせ、目の前にいた相手がまるで別の姿に――鬼の鎧を纏ったような姿になるなどと、誰が想像できるだろうか。

 目の前の男が魔族ならば、まだ納得することが出来る。

 魔族の中には、姿形を自由自在に帰ることが出来るものも少なからずいる。

 しかし、目の前の男は人間だったのだ。

 その姿が、まるで魔族のように変貌するなどと、ナゼは思いもよらなかったのである。

「お、おぁらぁあぁあ!」

 ナゼの動揺などお構いなしに、鬼の鎧をまとった男――リンショウは第二撃を繰り出した。

「む、ぅう……!」

 その拳を、対衝撃用忍術で何とかいなしながら、ナゼは拳の勢いに乗ったまま、吹き飛ばされるようにしてリンショウから距離を取る。

 一撃目とは違い、万全な体制で受けきったというのに、ナゼの体中に痺れが走っていた。

「なんだその姿は……貴様、魔族だったのか?」

 ナゼは痺れを取るための時間稼ぎ兼、相手の観察をするために質問を投げかける。

 リンショウが答えるまでの時間と平行して、ナゼは相手の容姿を深く観察した。

 リンショウの体は、いまや先程よりも二回り以上大きくなっており、二メートルを超える巨体と化していた。

 その身体は全体的にごつごつとした、鋭角的なフォルムの鈍色の鎧に覆われており、頭頂部には、鬼のような三本の角が生えている。その角は、一本の太く大きい角と、その左右に小さく細長い角が配置されているものであり、その角たちは、先程リンショウ自身が砕いた縦穴から差し込む陽光によって、眩く輝いていた。

 その角の下、顔に当たる部分には、まるで鬼のような――金剛力士像を模した彫刻がなされており、目の部分に当たる彫刻からは、青白い光と共に、強烈な眼光がぎらついている。

 そこまでを素早く観察したナゼに、リンショウは首を振った。

「ふん、わしは魔族などではない! この姿は、ワシの能力の賜物よ! 見よ! この圧倒的存在感を! 見よ! この圧倒的破壊力を! 見よ! この圧倒的防御力を! そして見せてやろう! このワシの強さを!」

 言うだけ言って、リンショウは地を蹴った。

 コンクリートの床が砕け、拳大の破片を撒き散らす。その中を、リンショウは止まる事無く駆け抜ける。

「くっ、おおっ!」

 そこから離れようと後退を始めたナゼを、しかしリンショウは逃がさなかった。

「吹き飛……べぇええぇ!」

 急激に勢いを付けたリンショウは、そのままナゼの襟首を掴むと、自身の背後へと投げ飛ばした。

 野球のボールのように加速を付けられ、ナゼはなすがままに吹き飛ばされる。

 そして、リンショウは慣性に従って落下していくナゼに並走するように走りこみ、拳を握り締めた。

「か、影蟲!」

 リンショウの動きを察したナゼが、己の十八番忍術である、影蟲を発動させる。

「ぬるいわぁ!」

 しかし、それは足止めにも成り得なかった。

 無数の仮面の男たちを掃討した影蟲を、リンショウは片手で掴み、握り潰した。

 圧迫され、破裂した影蟲の身体から、どす黒い色をした粘性の血が噴き出し、床を黒く染め上げる。

「なあっ……!」

 その光景に、ナゼは思わず絶句した。

 それが致命的な隙だった。

 勿論、リンショウがその隙を見逃すはずも無い。

 リンショウは勢いを受け止めるため、地面にしっかりと己の足を食い込ませ、そして、

「ア、アアァァァァアララララララララララララララララララララララララララララララララララァイ!」

 咆哮。同時に、連打、乱打、轟打。

 右、左、右、左、右、左、右、左、右右右右右右右、左左左左左左左。

 無限の拳が、ナゼの体を打つ。貫く。打ち据える。打ち砕く。

「お、おぉぉおおぉおぉおおお!」

 その拳は、防御忍術を重ね掛けしたナゼの鎧を、いとも簡単に打ち砕いた。

 赤い尾を引きながら、ナゼは流星のように吹き飛び、空中に、そして地面に紅く流麗な線を描き、沈黙した。

 それからしばし、静寂が地下空間を支配した。

 何も音を発する事無く、何も動くことは無い。

 先程までの戦闘の残滓すら、既に掻き消えていた。

「終わった、か……」

 笑みを浮かべながら、リンショウがそう呟いた瞬間、空気が、圧力を持ったものに変わった。

 

「ふ、ふふふふふ。なるほどなるほど。これは確かに、一筋縄ではいかないようだ」

 

 死んだように斃れていたナゼが、幽鬼のようにのっそりと起き上がる。

 血が身体中から溢れ、ナゼの足元には血だまりが形成されている。

 その中を踏みしめながら、朱色の染まった男が笑う。

 ナゼの額には、いつの間にか白銀の宝玉が浮き出ていた。

   

   

「秘術、諸刃方陣・封」

   

   

 ナゼの額の宝玉が、溢れんばかりの光を放出した。

「おっ、がっはっ」

 変化は一瞬だった。

 ナゼの宝玉が輝いた次の瞬間には、リンショウの足元に謎の方陣が現れ、金剛の鎧が砕け散った。

 その事に驚く暇も無く、リンショウの体を激痛が襲った。

 全身の力が抜け、立つことすら適わなくなる。

 リンショウは、よろよろとその場に膝をつく以外に無かった。

「ふ、ふはは、無様だな」

 リンショウの無残な姿を、ナゼが顔を歪めて嘲笑う。

 もはや身体に力を入れることすら出来ないリンショウは、ナゼの顔を睨みつけるので精一杯だった。

「ふはは、抵抗することも出来ないか、そうか。ならばすぐに楽にしてやろう。安心するといい、自分の介錯ならば、痛みを感じることも無い」

 一歩、ナゼがリンショウに近付く。笑みが深く、濃い物になる。

 更に一歩、ナゼがリンショウに近付く。リンショウの視線が鋭く、ぎらついたものになる。

 最後にもう一歩、ナゼがリンショウに近付き、腕を振り上げる。両者とも、顔に笑みを浮かべた。

「どういうことだ? 何がおかしい?」

 自身と同じく笑みを浮かべたリンショウに、ナゼは怪訝そうな顔をした。

 リンショウは、ナゼの疑問に答えるべく、既に喋ることすら億劫になってきた口を動かす。

「くくく、貴様は一つ忘れていることがある。ワシには――頼れる好敵手がいることをな!」

「何――っ!」

 驚き振り向いたナゼの背後。

 そこに待ち構えていたのは、抜刀寸前の志雄だった。

「諸刃流剣術、秘奥――天衣無縫!」

 白銀に――文字通り、白銀の波動を纏った――煌めく不滅を振りぬいて、志雄の刀がナゼの体を横薙ぎに切り裂く。

 鮮血が噴き出し、ナゼはその場に倒れ伏した。

   

   

   

「リンショウ殿! 大丈夫でござるか?」

「大丈夫だ。これしきのこと、何も問題は無い」

 自身も傷だらけだというのに、おろおろと人の心配をする志雄に苦笑しながら、リンショウは痛む体に鞭打って起き上がった。

「今度こそ、終わったか……」

「どうやらそのようでござるな。……向こう側に、エレク殿を置いてきているのでござる。さっさと拾いにいくでござるよ」

「うむ、そうするか」

 二人は頷き、エレクの元へと歩き出した。

 この闇を、振り返る事無く。

 

  

 目を開ける。

 その途端、俺の網膜に思い切り光が入り込んできて、あまりの眩しさに目を眇めた。

 ……ただいま。俺&俺の一人称。

 頭の中でそんな言葉を言って、俺は周囲を見渡した。

 それと同時に、だんだんと機能を取り戻してきた俺の体が、周囲の音や、臭いといったものを知覚し始める。

 バラバラという大きな音が響き、油臭い匂いが充満している。

 壁は黒に近い鋼色で、天井に取り付けられた照明だけが、嫌に眩しく光っている。

 机の上には幾枚かの用紙が置かれ、それを押さえつけるようにして、何丁もの銃が、その薄暗い銃口を覗かせていた。机の上にはそれ以外何も無いのを確認して、俺はゆっくりと口を開いた。

「輸送ヘリ……か?」

 久しぶりに出した俺の声は、随分としわがれていて、まるで爺さんになったようだった。

 まぁ、あれだけ絶叫したんだから、当然と言えば当然なんだが。

 何の返事も返ってこないことに落胆した俺は、大きく肩を落とした。

 その次の瞬間、

「その通りでござるよ」

 突然返ってきた声に、俺は飛び跳ねた。

 固い長椅子から身を起こし、改めて周囲を見渡す。

 すると、俺の背後――先程寝転んでいた俺からすれば、丁度頭頂部にあたる部分に、バシュとリンショウが仲良く寝ころんでいた。……まったく、冷や汗かいたぜ。

 それにしても、二人ともボロボロだな。

 バシュとリンショウは、二人してミイラ男のように包帯を身体中に巻かれ、かろうじて目元と髪型、体型で誰だか判別できる程度だ。この二人がここまでやられてるってことは、アイツは随分な強敵だったんだと実感させられる。

「その……なんていうか、悪かったな、二人とも」

「む? 何故謝る必要があるのだ?」

 頭を下げた俺に、リンショウが不思議そうに首を傾げた。

 隣を見れば、バシュの奴も同じようにしている。

「いや、お前らがこんな酷い怪我を負ったのはさ、俺を助けるためじゃんか」

 そう。この二人がこんな風になっているのは、基本的には俺のためなのだ。

 あの黒い男――ナゼによって、窮地に追いやられていた俺を助けてくれたのは、他ならぬこの二人なのだから。

 俺がそう言うと、バシュとリンショウは揃って笑みを浮かべた。

「な、何で笑うんだよ!」

 俺が抗議の声を上げると、リンショウがその口角をニッ、と吊り上げる。

「フン、何も分かっていない小僧が面白くてな、つい笑ってしまったのだ」

「くくくっ、まったく持ってその通りでござるな」

「な、なんだってんだよ二人して」

 俺を見ながら、必死に笑いを堪えているバシュとリンショウ。……クソッタレ、なんかすげぇムカつくぞ。

 俺が恨みがましい視線を送っていると、それに気付いたらしいリンショウが、目尻に溜まった涙を拭いながら言った。

「仕方ない、正解を教えてやろう。……くくっ」

「そうでござるな。この調子じゃあ、いつまで経っても答えには辿り着けそうにないでござる」

 二人は散々俺を馬鹿にした後、息を整えて、まるで子供にモノを教えるかのように言った。

「エレク殿、こういう時は謝るのではなく、」

「ありがとう、と。こう言えばいいのだ。分かったか?」

「むぐ……」

 二人にそう言われて、俺は口をつぐんだ。

 でもまぁ、確かにそうだ。俺たちはあの絶望的な状況から、死力を尽くして生き残ったんだ。

 それぞれがとれる最善の行動をとった結果なんだから、二人が俺を責めているわけではない以上、ここで謝るのは筋違いだ。……くそぅ、こんなことにも気付けないなんて、ちょっと悔しい。

 俺が少しばかり肩を落としたのを見て、バシュとリンショウが再び笑い出す。

 それにつられるようにして、俺も一緒になって笑った。

 輸送ヘリは、俺たちの笑い声を乗せながら、ナイツロードへと帰っていく。