旧ナイツロード 幕間2 白銀

 

 

 ――暗転。

 世界が移り変わる。

 僕の瞳に映るのは、無機質な白い天井と、途絶えることの無い、白い照明の強すぎる光だけ。

 その強い光から目を逸らして、首を横に傾けても、そこに広がっているのは天井と同じような、白く、白く、そしてどこまでも白い壁。

 まったくもってつまらない風景に、僕の口からは自然に溜め息が零れた。

「はぁ……」

 その溜め息が、僕の周囲をくまなく覆っている培養装置に取り付けられている、随分と仰々しい空調装置によって自動的にカプセル外へと放出され、入れ替わりに新たな空気が運ばれてくる。

「はぁ……」

 再度の溜め息。それと同時に、空調装置が再び音も無く作動する。

 その聞こえているような、聞こえていないような、そんな音を聞くともなく聞きながら、僕は培養装置の強化ガラスに映った自分の体を見る。

 元の僕とは似ても似つかない、まるで神が創ったかのような完璧な造詣の顔が、そこには映っていた。

 高く、一本筋の通った高い鼻に、流麗な線を描く輪郭。シルクのように柔らかに流れ、照明の光を眩く反射している、銀糸のような髪の毛。シミの一つもない透き通った肌が、病的なまでに僕の美しさを際立て、そして完成させる。

 唯一の欠点と言えば、元の僕から引き継いだような、その性格を現している、気だるそうな、退屈そうな、そんなやるきのない目。

 ……ここまで言うとまるで僕がナルシストのようだが、しかしこの身体はそれほどまでに完成されている。されすぎている。

 きっとこの姿で甘い言葉の一つや二つ囁けば、大抵の女性は僕に少なからず好意を寄せるだろう。

 ……こんな借り物の身体に好意を寄せられても、僕としてはどうしていいのか解らないけれど。

 白い部屋に浮かぶ、白い人。

 ここは、白くて、そして世界で最も、暗い場所のひとつ。

   

   

 ――屍霊術、というものがこの世には存在する。

 この術の内容は、その名の通りに、屍や霊といった不浄の存在……すなわち生を持たないものや、それに近いものを使役する術だ。

 僕はその屍霊術によって、地雷に半身を吹き飛ばされ、ミートパテのようになって死にかけていたところを使役され――とはいえ、死んでいたわけではないので拘束力は無いのだけれど――というよりは救われて、この白い部屋と似たような場所までまで連れてこられた。

 用途としては、ある細胞の移植に伴う経過観察の実験台、としてだ。

 その実験がどんなものかは、当時の僕にはよく解らなかったが、わかっていたところでどうにかできたのか、と言われれば、正直そうは思えない。

 

 

 僕が最初に連れ込まれたところには、たくさんの子供たちがいた。

 その誰もが死にかけで、僕のような中東の紛争地帯の子供や、南米やアフリカといった、貧富の差が激しい土地から連れて来られたらしい、水で腹がパンパンに膨れている、餓死寸前の子供たちばかりだった。

 それを見て僕はなんとなく、これだけの人数を使う実験となると、きっと人が死ぬのを前提とした実験なのだろう、とうすうすと感じていた。

 ――僕がいた村に駐留していた軍も、同じようなことをやっていたから。

 とはいえ、僕にそれほど悲観した感情は無かった。

 元々、あの時放っておかれたら死んでいた身なのだから、いまさら死人が出るような実験に使われたとしても、そしてそこで死んでしまったとしても、何の問題も無いと思っていたからだ。

 しかし、僕以外の子供たちはそうではなかったらしい。

 皆一様に、再び生きる機会を得たことに喜び、瞳を輝かせていた。

 それを眺めながら、僕は考えていた。

 ――ここで生き残って、何になるのだろう? と。

 屍霊術を使って、わざわざ死に掛けた子供たちを攫って実験台にするような奴らなのに、そいつらの手駒として生き永らえて、地獄よりも辛い苦しみを味わうことになることが、一体何になるというのだろう。

 それならばいっそ、死んでしまった方が楽なのではないだろうか? もう一度あの地獄のような痛みを体感するのならば、こんな生にしがみついても意味は無いのではないだろうか?

 考えは尽きる事無く、宇宙に輝く星のように、頭の中に生まれては消えていく。

 もはや何週したか分からなくなってきた時、僕は一人の少年に声をかけられた。

  

「ねぇ、君はどうしてここに来たの?」

 

 その少年は、地雷で吹き飛んだ半身を、グールのように組み合わせて生き永らえていた僕に、何の怯えも、警戒心も持たずに話しかけてきた。

 その少年は、純粋な黒い瞳で僕を見つめた後、あっ、という声を上げて頭を掻いた。

「忘れてた。人に何かを尋ねるときは、自分から話すのが礼儀だったね」

 

 一人で勝手に納得したその少年は、勝手にペラペラと自分の身の上を話し始めた。

 親が何かの事業で失敗したこと。それによって、住む家どころか、戸籍すらも失ってしまったこと。

 ――親の借金の糧に、自身の内臓が全て売られてしまったこと。

 本当に、まったく持ってどうでもいい事をペラペラと喋ってくれた、その純朴そうな少年は、最後に自らが聞いた事も無いような国の出身だということを付け加えて、その軽い口を閉じた。

 ……この少年の言った国名はついぞ聞いたことなんて無いが、このぐらいの年齢なのに、これだけ他国言語が話せるのならば、英才教育なんかを受けた相当なお坊ちゃまだったのだろう。

 随分と学のありそうなしゃべり方だし、こんな所に来る羽目になってしまって、非常に可哀想なことだ。

 そう僕が包み隠さず言うと、少年ははにかむように笑った後、しかし悲壮感を滲ませない声で言った。

 

「確かにそうかもしれないね。……でもね、一度は諦めた人生をやり直せるチャンスをもらったから、今はそれほど悲しくはないよ。むしろハッピーさ」

 

 声はどこまでも明るく、希望に満ちていた。

 本当に、羨ましくて、妬ましくなるくらいに。

 ずっと少年兵として生きてきて、希望なんてものを目の当たりにしてこなかった僕にとって、その光は強すぎて、眩しすぎて、そして暖かすぎた。

 僕の固く凍った、穿った見方しか出来ない心を、話し始めて数十分で……僕自身が気付かないほどの速度で溶かしてしまうほどに。

 こんな風に、僕と正反対で受け入れることが出来なかったからだろうか。それとも、別の理由があるのだろうか。どちらなのかは分からないが、その時確かに、彼の言った言葉に、僕は思わず反論していた。

 

 ――なぜ、そんな風に考えられるのか? こんな下法を使う奴らの言いなりになれば、きっと今まで以上の地獄を見せられ、苦しみを味わう事になるのではないか? と。

 

 先程からぐるぐると僕の中を回り続けていた疑問が、声となって外へと飛び出した瞬間だった。

 なぜ? なぜ? なぜ? 

 思考がその二文字に覆いつくされ、少年の顔と混ざり合って消える。

 僕の出した問いに、少年はしばらく考えた後に、こう答えた。

 

「そうだね。きっと君の言うとおりだ。ここで生き永らえることができても、きっとこの先、もっともっと辛い目にあう。……でも、それでも、生きていけるから。諦めずにいれば、きっと自由を掴むチャンスがやってくるはずだから。上手く言えないけど、多分こういう考え方が僕の中にあるから……だと、思う」

 

 自分で言ってから、納得がいかなかったのか少年は腕を組んで考え始めた。

 ……勿論僕だって、納得なんてしていない。さっきみたいな答えで、納得なんて出来るはずもない。

 それでも、この会話は僕に一つの楔を打ち込んだ。

 

 曰く――諦めずにいれば、自由を掴むチャンスはやってくる。

 

 この概念は、今までの僕にはないものだった。

 だからこそ、もし生き残ることが出来たならば、これを指針にして生きていこうと、僕は決めたのだった。

  

  

 それからしばらく、少年と他愛のない話をしているうちに、僕らは一人、また一人と実験室に連れて行かれ、絶叫を響かせながら散っていった。

 たかだか細胞の移植実験のはずなのに、この悲鳴は一体何なのか。

 誰一人と戻ってくることはなく、詳細を聞くことが出来ないまま、とうとう僕の番が訪れた。

 僕は最後に、少年とまた会う約束をして、研究者たちの後を追った。

 僕が通された部屋は、いわゆる無菌室、というものだった。

 まず最初に洗浄を受け、さらによく分からない電波を浴びせられて完全に滅菌する。

 正直、僕の半身はグールのように腐り落ちているのだから、こんな事をする意味はなかったような気もするのだけれど。とにかく、そんな面倒な工程を経て、僕は遂に寝台へと移された。

 僕の身体を舐め回すような、研究者たちの不快な視線に耐えながら、その時を待つ。

 およそ五分程度だっただろうか。何らかの検分を終えたらしい研究者たちは、僕の身体に注射器の針を差し込んだ。

 そこから流れ込んでくるのは、ドロドロと濁った、悪意の塊のような得体の知れない何かだった。

 その悪意の塊は、小さな細胞とは思えないほどのスピードで僕の身体を駆け回り、そして蹂躙して行った。

 細胞が駆け抜けた後の腕には、まるで溶鋼を行う際の火釜に、皮を剥がれて筋肉と神経を剥き出しのまま突っ込まれたような、この世の物とは思えない痛みが走る。

 足には万力で骨ごと磨り潰されたような痛みが走り、身体の内部には獄炎石を直接放り込まれたかのような、地獄すらも生ぬるいほどの熱が生まれる。

 それらの痛みに意識を落としかけても、永遠に続く苦しみが、落ちかけた意識を引き戻す。

 視界が白く明滅し、その度に端から黒く染まっていく。

 口からは絶えず絶叫が紡がれ、その度に喉が引きつるような痛みを発する。

 次第に絶叫を続け、酷使された喉が裂けたとき、僕の頭の中に、またあの考えが浮かんだ。

 

 ――もう、楽になってもいいんじゃないだろうか。

 

 ――これ以上苦しむ必要なんて、無いんじゃないだろうか。

 

 ――あの時捨てた命なんて、何を惜しむ必要があるのだろうか。

 

 沸騰しそうになる頭に、これらの考えが浮かぶたびに、明滅する視界を染める黒色の増え幅が大きくなっていく。

 意識どころか、僕の根本から消し去ってしまおうと、その魔の手を広げていく。

 痛みの感覚がなくなり、身体の端から冷えていく不快感に恐怖を感じながらも、同時に僕は多大な安心をも感じていた。まるで母親の手の中で眠るような安らかさが、僕の心に満ちていく。

 

 ――これで、やっと楽になれる。

 

 ――何にも囚われる事無く、戦争なんていうくだらない事に引きずられることもなく、ただ、なんの苦しみもない、幸福な世界へと行くことが出来る。

 

 ――ああ、やっと……死ぬことが出来る。

 

 お父さん、お母さん、今、会いにゆきます。だから、あとほんの少し、ほんの少しだけ待っていてください。

 僕の視界が、今までにない速さで、急激に黒く染まっていく。

 意識が断絶したものになり、だんだん遠ざかっていく。

 その心地よい冷たさに身を預けていると、突然あの少年の絶叫が、聴覚へと届いた。

 

「あ゛ぁあ、ア゛ァアアゥ゛うあっ゛ぁアアァアあぁぁアア!」

 

 これは恐らく、少年の断末魔だった。僕自身も同じような絶叫を上げているのだろうから、これは僕自身の断末魔ともいえるのかもしれない。

 しかし、この断末魔を聞いていると、ふと、僕の心の中に小さな種火が生まれた。

 

 ――このまま死んで、それでいいのだろうか? 生きたいと、必ず自由を掴んで見せると、そう願っていたんじゃないのか? 少年と、また会う約束をしたのではなかったか?

 

 小さな、ほんの小さな種火。その種火に、僕の中にある氷が、死へと誘う水が降り注ぐ。

 

 ――でも、彼は死んでしまったじゃないか。それなら、約束を守る必要だって、もうどこにも存在しないだろう?

 

 しかし、種火は消えない。それどころか、更に激しく燃え上がる。

 

 ――だったら、なおさら彼のために生きてやるべきではないのか? 彼の遺志を知るものとして、そして彼と約束をしたものとして、生きて戻る必要があるのではないのか?

 

 ――でも、もう遅い。僕はもうすぐ死ぬ。手遅れだよ。今更生きるなんて事はできはしない。

 

 これだけやっても、いまだ種火は消えない。いまや燃え盛る火炎となったそれは、死へと誘う水を蒸発させ、消し去ってゆく。僕の心の中を、光で照らしていく。

 

 ――それでも、僕は生きたいと思っている。『今更』なんて言葉を使うのは、その後悔の表れだ。でも、まだ後悔するのは早い。早すぎる。だって、僕はまだ死んでいない。僕はまだ生きている。それならば、やり直すチャンスなんて、自由を掴むチャンスなんて、いくらでもあるだろう?

 

 いつのまにか、心の中にあった種火は、疑問は、もう一人の僕自身と化していた。

 心を閉ざし、凍った僕の心の中にいた、もう一人の、本当の僕自身。

 あの少年と触れ合ったことによって、僕の中で目覚めたそれは、僕に一つの問いを投げかけた。

 

 

 ――僕は一体、どうしたいんだい?

 

 

 そんなものは、決まっている。

 僕は、僕は――

 

 

「生きたいに、決まっているじゃないか……っ!」

 

 

 その言葉を口にした瞬間、何かが開けた気がした。

 同時に、この世の物とは思えない痛みが再起する。

 しかし、今の僕にとってそんなものはどうと言うものでもない。

 生きようとする意志は、きっと何よりも強い。

 だから、僕は叫んだ。痛む喉に鞭を打って、僕の身体の中にいる、悪意の塊に打ち勝つように。

 

 

「生きるんだ……、僕は、絶対に自由を掴むまで諦めたりしない! だから、僕の身体は僕のものだ! お前の好きになんかさせるか! させてたまるもんかぁぁああぁああぁああっ!」

 

 

 その瞬間、僕の体を蹂躙し、破壊しようとしていたあの痛みは、綺麗さっぱりなくなった。

 見渡せば、急に叫んだ僕に対して驚く研究者どもの顔。次いでその顔が、喜びに染まる。

 

「成功だ! 成功したぞ! 試作零号機の完成だ!」

 

 醜悪に顔を歪め、そう周囲に叫んで回る研究者の顔から目を離すと、僕は厚い防音壁で隔てられた向こう側――あの少年がいるのであろう方へと視線を向ける。

 きっと彼は生きてはいないだろう。

 もはや彼の生まれ故郷の国名なんて忘れてしまったから、彼の両親に報告することも出来そうにない。

 もっとも、借金のカタに息子を売るような親だから、そんな必要は無いのかもしれないけれど。

 

 

 

 

 ――暗転。

 それから、僕は様々な技術を教え込まれ、そして兵器として育てられた。

 銃器の扱い方、暗器の使用方法、白兵戦での闘い方……果てには、錬金術を応用した技術で、身体中をいじくり回され、骨格ごと伝説上の金属とやらに取り替えられた。

 もはやもとの僕の面影など微塵も残っておらず、容姿はいつの間にか、あの悪意の塊のような細胞を持っていた男と瓜二つになってしまった。

 二人で並んでいたら、目以外では見分けが付かないかもしれない。

 まぁそれは置いておいて、とにかく、僕はこの四年間、研究者たちの言う事を従順に聞き続けていた。

 僕の後継機である人造人間の開発にも協力したし、研究者たちから技術を盗むために、吐き気のするような極悪非道な兵器の開発をしたりもした。

 だがそれも、今日で終わる。

 今日は、一年で一度だけ、宇宙をステルスモードで浮遊しているこの研究所が、大気圏内に入って地上に近付く日だ。だから今日、僕はここから脱走する。

 研究者どもを皆殺しにして、あの悪魔の兵器を全て木っ端微塵にした後、ここを発つ。

 そうすれば、次に地上に降りてくる意味がなくなる以上、無人となったこの研究所は宇宙の藻屑となって消えるだろう。あの兵器どもも万が一つにも回収される可能性は無い。

 脱走後は、適当に過ごしながら、こういった奴らを撲滅していけばいい。

 だから、そうだな。人間社会で生きていくためには、試作零号機ではなく、何か名前を考えないといけない。

 ……そうだ、たしか、あの少年の名前を一度だけ聞いた気がする。

 別れる直前に、一度だけ。

 そうだ、あれは――

「あれは確か……レイド、だったかな?」

 そう、どこの国の名前かすらも分からない、妙な並びの名前。これこそ、社会のつまはじき者には相応しいだろう。

 さて、名前も決まった。これからやるべきことも決まった。となれば後は、

 

 

 ――さぁ、自由を掴むための戦いの始まりだ。

 

 

 

 

 

「…………」

 目を覚ます。ここはどこまでも白い部屋――ではなく、多少黄ばんだ壁のある部屋だった。

 ナイツロード。ここは海上に浮かぶ傭兵団の前線基地の中だ。あの腐った研究所とは違う。

「エレクは、無事かな……」

 どれくらい寝ていたのかは知らないけれど、少なくとも一週間以上は寝込んでいたはずだ。

 となると、団長からなんらかの処分を受けていてもおかしくない。

 ……あの人が、黒ならば。

 とはいえ、僕が無事ですんでいるのだから、一体どういうことなのか分からない。

 完全に黒とは言いがたいのかもしれない。となると、困ったことになるな……。

 そんな風に思考の海に落ちていると、僕の太股の付け根辺りに何か暖かいものを感じた。

 ひとまず思考を中断し、そこを見やる。

 そこには、僕の足を枕にして眠る、ルナの姿があった。

 ……これは、なんというか、すごく、かわいいな。

 くぅくぅと、あどけない寝息を立てているルナ。

 僕は思わず上体を起こすと、彼女の金髪を手に取った。

 手櫛で軽く流すと、さらさらと流れるように零れ落ちていく。

 同時に香る、甘い香りと、そこにかすかに混じる、汗の匂い。

 なんというか、男性を興奮させる類の匂いを嗅いで、僕は多少自分の顔が赤くなるのを自覚する。

 こういったことにはある程度耐性はあるのだけれど、それでも少々反応してしまうのは男の性なのだろうか。

 ルナ。

 ルナ・アシュライズ。

 世界一頑張っている女の子で、僕に好意を寄せてくれている、可哀想な女の子。

 こんな可愛い子が、僕に好意を寄せてくれているのは、世の中の男性諸氏にとってなんと言うか、申し訳なくなってくる。とはいえ、最近まではエレクの方に気持ちが向いていたんだと思っていたのだけれど。

 それはともかく、僕はこの子の好意に答えてあげることが出来ない。

 ルナが僕に惹かれているのは、きっとこの容姿のおかげが強いのだろう。

 自分で言うのもなんだが、この顔は少し整いすぎている。

 そして、そんな借り物の僕を好いてもらっているのでは、そしてこの子とそんな理由で恋仲になってしまっては、僕だけではなく、この子まで不幸になってしまう。

 だから僕は、絶対にこのこの好意に答えない。鈍感な振りをし続ける。

 さっさと振ればいいのかもしれないが、しかし僕自身の素としての部分が、彼女に惹かれかけているせいか、どうしてもそうすることが出来ない。

 ……最低の男だな、僕は。

 なんとなく自己嫌悪に陥り、ルナを見ていられなかった僕は、周囲に視線を走らせた。

 そして、今気付いたが、ルナ自身も病人服を着ていた。ということは、彼女にもまた何かあったのだろう。

 大方、僕が抜けたせいで仕事が回らなくなったとか、そんな理由から来る疲れだと思うのだけれど。

 それでも僕の事を気に掛けてくれているというのは、なんともいじらしいな。可愛すぎる。

 …………そして、僕の最低具合も際立つ。

 再びの自己嫌悪で、もはや視界にルナを入れておくことが出来なくなった僕は、せめてもの慰みに窓際に置かれた花瓶を見た。

 その花瓶の中には、恐らくルナが挿してくれたのであろう、青い小さな花が飾ってあった。

スノードロップ……」

 僕はそう呟くと、おもむろに一本を手に取った。

 この花の名は、今しがた僕が言った通り、スノードロップという花だ。

 確か花言葉は――希望。

 もう一つ意味があったりするのだけれど、それはまぁ置いておこう。

 ………………。

「ルナ」

 彼女の名を呼びながら、僕は右手の転送装置から、『固定化』の特性を持つ魔術装置を取り出した。

 同時に、スノードロップを鋏で適当な長さに切り取る。

 『固定化』の光を、切ったスノードロップに当てながら、僕は再び呟く。

 

 

「ルナ。僕は君に幸せをあげることはできない。幸せを君からもらうことも出来ない。君の気持ちを知っていながら、いろんな言い訳をつけて逃げる臆病者だ。でも、そんな臆病者でも……花を贈ることぐらいは、許して欲しい。そして願わくば、君に贈ったこの花を、いつまでも身につけていて欲しい。それだけが、僕の望みだから」

 

 

 『固定化』の完了したスノードロップに、金具を取り付ける。……ヘアピンの完成だ。

 随分と適当だが、それでも市販のものよりは長持ちするだろう。

 それを彼女の髪にそっと取り付けると、僕はカーテンを開いて空を見上げた。

 どうやら今夜は満月だったようだ。月輪が海に反射して、キラキラと瞬いている。

 

 ……君に言葉を送ることは出来ないけれど。

 

 君を愛することも出来ないけれど。

 

 それでも、そうだとしても、思い続けることぐらいは、許してくれますか?

 

 自分で考えていて、恥ずかしさと気持ち悪さがこみ上げてくるが、それを飲み込んで小さく呟く。

 

 あなたに伝えることは出来ない、言葉の花を、受け取ってくれるでしょうか。

 

 

 

「……今日は、月がきれいですね」

 

 

 

 煌めくあなたに、届くことの無い、この言葉。