サラサラとした砂がエレクの身体を捕らえる。
砂浜は厄介だ。半端な踏み出しでは、前に走ることはできない。この地の利を生かす方法を、未だにエレクは習得していなかった。
そして、敵は格上。勝ち目はないように思われる。
圧倒的に不利な状況だが、そんなことは最初からエレクは知っていた。
負けるとわかっていても、男には戦うべきことがある。
男の意地と矜持が、エレクにもある。
故に挑まずにはいられない。
「位置について!」
鈴が鳴るような可愛らしい声が響く。
だが、腹這いに砂浜に伏しているエレクは身を強張らせる。
「よーい……」
ごくりと喉が鳴り、全身に緊張が奔る。
開始の合図が来るまでの一瞬が永遠に感じられる。
「……」
「ドン!」
掛け声と空気が破裂する音と共に、エレクは弾けるように立ち上がり、爪先で砂を蹴り、対戦相手の目へ砂の散弾を浴びせかけた。
「ぬぎゃあああああ!」
「わりいなバシュ!」
バシュの苦悶の声を聞き流し、素早く反転したエレクはそのまま目標に向かって走り出した。
「大人げなさすぎるでござる!」
「ばーか! 勝てばいいんだよ!」
「鬼畜! 人でなし! インチキやろうでござるよ!」
罵倒を聞き流し、目標へ…つまり砂浜に突き立ったビーチフラッグへと一目散に駆けるエレクだが油断は許されない。
残る距離は半分を切った。しかし、歴戦の勇士であるバシュなら、この程度の距離は一歩の差に等しい。
「んうぬおおおおお!」
視覚を諦めたバシュはエレクの気配を頼りに、ビーチフラッグへの距離を詰める。
負ければ痛覚を超越した激辛カレーが待っている。辛みには滅法弱いエレクは何としてでも避けたい刑である。
そのためなら、例え卑怯だなんだと言われても関係ない。
異能でもなんでも使ってやる覚悟だ。
「そこで寝てろ!」
「おんぎゃあ!」
エレクの指先から電撃が迸る。
殺気が無いため、一瞬反応が遅れたバシュは、電撃の刺激で程よく前進の筋肉をほぐされる。
エレクはそのまま持続的に電撃を出し続ける。生物である限り、電撃による刺激は筋肉がある限りは否応にも反応してしまう。
そのことをエレクは知っていたのだ。
だが、これで終わるバシュではない。
ボンっと空気を圧迫した音が響き、砂や海水が弾ける。
バシュが裂帛の気合を持って、周囲の地形を弾き飛ばしたのだ。
「逃さないでござぁああああ!」
「げぇっ!」
散った海水や砂で電撃を防いだバシュは一呼吸の間でエレクの足を掴んだ。
二人は縺れて転がり、お互いにスピ―ドを殺す形になった。
「負けるかよ!」
接近戦であれば、電撃を使える自分が有利だと考えたエレクは、バシュに密着した態勢で電撃を持続的に放つ。
しばし、当ててやれば動きを止められるはず。その後で悠々とフラッグに辿り着けばいい。
エレクは、自分の勝利を確信し、バシュの両腕を掴んで、勝利への確信の笑みを浮かべる・
「このまま、くたばっとけよ!」
電撃のショックで怯んだバシュをスタート地点の後方へ投げ飛ばす。
フラッグはエレクから見て、五歩も行けば取れる位置だ。
「もらったぜ!」
「させぬでござる!」
掛け声とともに、バシュの振るった拳が空気を捻じ曲げ、潮風を搔き回す。
瞬間、フラッグは砂と共に弾けて空を舞った。気を集中させてフラッグへ放ったのだ。
指先を掠めて飛ぶフラッグを、エレクは苦虫を噛んだような目で見る。
だが、それも苦し紛れの悪あがきにすぎない。
エレクは足りない一歩を更に重ねてフラッグへの距離を詰めようとする。が、
「おぶわ!」
足は空をかき、なかったはずの穴に転げ落ちる。
なんで、穴が開いているんだ、と思う時間すら惜しい。エレクは上半身だけでも起き上がらせ、バシュの状態を視認する。
すでに数歩後ろからフラッグ目掛けて跳躍している。
「いただくでござるよ!」
最早、負けは避けられない、そう確信したそのとき、
「ぐへっ」
「やりすぎだ阿呆め」
まさに肉壁と言わんばかりの巨漢、つまりリンショウがバシュの顔面を鷲掴みにしていた。
「……エレク」
いつの間にかエレクの後ろに来たグーロも、手を差し出しながら渋い顔をしていた。
エレクが周りを見渡すと、砂浜はぼこぼこになっている。遠巻きに見ているギャラリーも少なくはない。
「あー、わりい」
「はしゃぐのはいいが、加減を頼むぞ……」
エレクは手を取り、吊り上げられるように立たされ、居心地悪そうに後頭部を搔いた。
「バシュよ、あまり暴れすぎるな」
「つい熱中がすぎたでござるよ……」
「ワシも混ぜんか!」
「ええ!?」
白髪のサムライが空に放り投げられる。
「グーロ!!!!」
「!?」
「ワシと勝負しろぉ!」
裂帛の気合と共にリンショウは叫ぶ。
砂が吹き飛び、波が打ち消される。
そう、既にリンショウは相当の酒を飲んでいたのだ。
「こいつが一番まともじゃなかった!」
「いいから止めるよ!」
灰色の鬼の酒乱に頭を抱えるエレクをレイドは叱咤して駆け出す。
「お、落ち着いてくれ……」
「ぐわっははははは! ぬわあああはっはっはぁ!」
……彼の暴走を止めることができたのは、小一時間ほどかかったという話だ。