旧ナイツロード 第五話 再会

 

 

 

 部隊に解散要求が届いてから三日――

――すなわち、残りの期限がとうとう一週間を迎えた頃、

俺は相も変わらずせっせと依頼をこなしていた。

 できるだけ体への負担が小さいものから選び、

少しずつ消化していく日々。

 三日間の間に、そういった依頼を全部で七つほどこなした俺は、

既に限界寸前だった。

 三日三晩ほとんど睡眠も食事も取らず、

栄養ドリンクと鎮痛剤を飲み続ける日々。

 仕事中だというのに、

異常なほどに襲ってくる

眠気と闘いながら過ごさなければいけないストレス。

 それらに押しつぶされそうになりながらも、

俺は今日も今日とて馬車馬のごとく働く。

 皆を守るって言った手前、弱音を吐くわけには行かない。

 ……約束は、守らないとな。

 そんな風に心の中で自分を叱咤激励してみても、

さっぱり眠気はなくならないし、疲れも取れない。

 今の俺の中には、睡眠欲以外はほとんど存在していなかった。

 ……情けねぇ。本当に情けねぇ。

皆を守る? 居場所はなくさせない? どの口がほざいてんだよ。

 たかが七つ依頼をこなしただけでヘタレてるくせに、

そんな大それた事ができると思ってんのか?

 これからてめぇが受けようとしてるのは、

今までよりもずっと難度の高い依頼なんだぞ? 出来るのか?

諦めたほうがいいんじゃねぇのか? 

 そんな声が、頭の中で響き続ける。

 俺の弱った心に、甘い誘惑が鎌首をもたげる。

「ふざけんじゃねぇ! 俺は諦めねぇぞ! 絶対にだ!」

 それらに屈さないようにするために、

俺は理性をフルに使って足を一歩一歩先へと進めていく。

 部隊の電光板に近付き、依頼を受ける旨の内容を送信する。

 そこまでやった時点で俺の意識は途切れ、

気付いたときには輸送ヘリの中にいた。

 どうやら無意識にここまで来たらしいな。

……ホント、我ながら良く頑張ったよ。

「どうやらユウキの奴はまだ来てないみたいだから、

一眠りさせてもらおうかな……」

 俺は毛布を頭から引っかぶって、ヘリの長椅子に横になる。

 それから幾ばくもせずに、俺は再び意識を手放した。

   

   

 地の底から響くような爆音を目覚まし代わりに、

俺はいまだ重くてしょうがない瞼を開いた。

 薄く膜が掛かってぼんやりとしている視界には、

ヘリを操縦しながらもランランの隠し撮り写真を眺めるという、

器用なことをやっているユウキが映っている。

 俺は瞼をこすりながら、一枚一枚を手にとってウヒョー、

とか何とか叫んでいるユウキに声を掛ける。

「おいユウキ、このヘリはどこに向かってるんだ?」

「ん、ああ、起きたのか。そうだなぁ……俺の祖国に向かって飛んでるぞ」

 ユウキの言葉の意味を考えて、俺は一つの結論にたどり着いた。

「もしかして、二ホンか?」

「そうそう、大正解。今俺たちは、日本へ向かって飛んでる」

 あまりにもあっさりとしたユウキの答えに、俺は思わず声を荒げた。

「いやいやいやいや、ちょっと待てよ。

ニホンは戦争が横行してるこのご時勢、

唯一の『非』軍拡主義国じゃねぇか!」

 そう、ニホンは超能力者の出現と共に軍拡を始めた世界の国々の中で、

唯一超能力者をそういった意図で使わなかった国だ。

 だからこそ、中立国として世界各国から観光客が集まってくるし、

サブカルチャーだって発展した。文化的な遺産だって多く残ってる。

だってのにどうして!

「それがな、日本も今は一枚岩とは言いにくいんだよ。

確かに多くの政治家たちは、

今まで通り中立を保つことを望んでるんだがな、

中にはドンパチやって一儲けしようって奴もいるんだよ。

ま、……良くも悪くも、戦争ってのはいろんなもんが発展するからなぁ。

しょうがないっちゃあしょうがないさ。

日本が戦争するなんて、考えたくはないんだけどなぁ」

 そうやって寂しげに笑うユウキの説明を聞いても、

俺はこれっぽっちも納得できなかった。

 だっておかしいじゃねぇか。今まできちんとやってこれてたんだから、

それでいいはずなのに、なんでわざわざ、

皆が損する方向にもって行かなきゃいけないんだよ。

 ああ、くっそ、むしゃくしゃするなぁ。

 ……ん? でも、待てよ?

「なあ、ニホンって国はさ、確か軍隊を持ってないんじゃなかったっけ?」

 俺は早速疑問をぶつけたが、

ユウキの奴は曖昧な笑みを浮かべながらこう答えた。

「……まあ確かに、明確な『軍隊』ってのは保有しちゃいないけどな。

ただまあ、『自衛可能な軍隊もどき』は保有してる。要は自衛隊さ。

だけどな、今回の件に関しちゃ、そいつらは関係ない」

 ユウキの言葉に、俺は首を傾げた。

……だってさ、そいつらが関係ないんなら、戦争なんてできねぇじゃん。

 俺の思っていることに気付いたのか、ユウキの奴は一度苦笑した。

「なぁエレク、

お前はニュースをあんまり見ないから知らないかもしれないけどな、

ニホンには最近、『武芸都市』ってのが出来たんだ。

そこはさ、観光地としての役割のほかに、

最近増えてきた超能力者たちによる犯罪を防ぐために、

同じように超能力者だけで作った警察をつくろう、

って役割も持ってるんだよ。

……まぁ、大部分の奴らは本当に警察やってんだけどな、

中には軍隊まがいのことやってる奴らもいるわけで……、

そいつらが、戦争やるための駒になるわけだ」

 ……マジかよ。そんなことが。

 ……俺ももうちょっと、ニュースとか見とくべきだったなぁ。

 しばらく愕然としていると、ユウキの声が聞こえてきた。

「そろそろ目的地周辺だ。ちゃんと装備、整えとけよ」

 ユウキの言葉に従って、俺はのろのろと戦闘衣を身に付ける。

「……エレク、大変だろうが、頑張ってこいよ」

「ああ。行ってくる」

 ユウキの気遣いの言葉に、俺は覚悟を決めて頷く。

 栄養ドリンクを一本飲んで、疲れを吹き飛ばした俺は、

大空へとその身を投げ出した。

   

  

 俺が目的地に降り立ってから数分後。

 早くも心が折れそうだった。なぜなら――

――目の前に、ネズミの着ぐるみやらを着た奴らが所狭しと動き回る、

やたらとファンシーな世界が広がっていたからだった。

 

「トーキョーネズミーランド……」

 今、俺の頭の中には、疑問符が飛び交っていた。

 だってあれだぜ? 仕事のためにスカイダイビングまでして降りてきた所が、

遊園地なんだぜ? そりゃあ訳が分からなくなってもおかしくないと思うんだ。

 ヘリの中で聞いたシリアスっぽい話も、なんか吹き飛んじまったよ。……はぁ。

 いかにも子供向けっぽい装飾のされた看板に向けて、

俺は一通りの恨み言を呟いた後、

上空のヘリで待機しているであろうユウキにむかって無線連絡を入れる。

 蛇さんが活躍するようなゲームの無線とは違って、

控えめに電話のコール音のような音を響かせる俺の無線機。

 一コール目。

 ……二コール目。

 …………三コール目。

 ………………四コール、ってあれ? なんでアイツ出ないの?

 少し不安になった俺は、

無線機から流れ出る電波を追って、ユウキの奴の位置を特定することにした。

 とりあえず上空。……まぁ、さすがにこんな所にはいないか。

 電波の流れを追って、さらに遠くへ。……ん? あれ? ええっ?

「嘘だろ……」

 俺はがっくりと肩を落とした。でもしょうがねぇだろ? だって

――ユウキの奴、無線機の電波が届くところにいねぇんだもん。

 っていうかマジで!? これじゃあ俺、何にもできねぇじゃん!!

依頼の内容、よく覚えてないんだけど、ユウキに聞けなかったらどうしようもねぇよ!

 俺は口から魂が抜け出るんじゃないかってくらいにあんぐりと口を開けた。

 その体勢でしばらく呆然としていた俺だったが、

さっきから西へ東へと走り回っているネズミにぶつかったことにより、

なんとか正気に戻った。くっそ、マジで何すりゃいいんだよ。

 俺は頭を抱えて座り込む。周りを歩く家族やカップルたちが、

俺を変なものでも見るかのように眺めては、

なにやら囁いていたが、そんな瑣末事を気にしている余裕もなかった。

 ……考えろ。考えるんだエレク・ペアルトス。

ここは子供向け……に近い遊園地だ。だとすると、そこで出来そうなことは何だ?

 ……………………。

「さっぱり分からねぇ」

 どれだけ考えても、俺の貧弱な脳みそからは答えが出てこなかった。

 戦争を起こそうとしてる、って話を聞いたから、

それっぽい行動をしてる奴でも見つけられりゃあ御の字なんだけどなぁ。

 そう簡単に見つかるわけもないしな。

 ユウキの言ってた『軍隊もどき』をぶっ飛ばせばいいのか、

それとも戦争に繋がるような事態にならないようにすればいいのか。

 ここが超大規模な遊園地って事は、爆弾テロの一つでも起こして、

それを他国のせいにすれば口実は作れそうなんだけど……。

「ん? なんだアレ?」

 無い頭を捻って色々考えていた俺の目に、妙なものが映りこんだ。

 ソイツは他の着ぐるみたちと同じような、くそでっかいネズミの格好をしていたが、

動きがどことなく他の奴とは違っていた。

 本当に些細な違いなんだけど、決定的に違う。

 だってソイツは、

   

――子供たちの相手を一切していないんだからな。

   

「こりゃあ、ビンゴかもな」

 俺は小さく呟いて、ソイツの動きを観察し始めた。

 どうやら俺が目をつけたソイツは、何かの伝言役をやっているらしかった。

 三人ほど同じような動きをしている奴の間を、

コソコソと動き回っては何かを呟いている。

 オーケー。確認は終わった。後は……行動に移すだけだ。

 俺は立ち上がると、できるだけさりげなく、ソイツの後ろをついていく。

 ソイツは周囲に注意を払っているつもりらしいが、

俺たち傭兵からすれば隙だらけの動きで、

難なく俺は伝言を交わしている奴の所まで辿り着く事が出来た。

 ソイツらが話を交わし始めた瞬間、

俺は電撃を奴らの間に飛ばして、話を中断させた。

 俺に向けられた視線を受け止めながら、出来るだけ獰猛な声で相手を威嚇する。

「その話、俺にも聞かせてもらおうか。なあ、いいだろ?」

 奴らの空気が、変わった。

 

「貴様……どこの回し者だ?」

 目の前にいる二匹のファンシーなネズミのうち、

三ツ木意マウスとか言う名前の方が、

着ぐるみ越しでも分かるほどの敵意を込めた視線を送ってくる。

 その視線を悠々と受け止めながら、

俺はもう一度、奴らに向けて電撃を飛ばす。

 俺の放った電撃は着ぐるみの表面を軽く炙って、

白い顔に焦げ目を作った。

 奴らが怯えたように少し後ずさる。

ここにきて、ようやく周囲の親子連れたちも異常に気付き始めたようだ。

俺たちを遠巻きに、不安げに眺めている。

 ……いい感じだ。

このままいけば、こいつらを一般客の目の届かない所まで連れて行ける。

 そんな打算的なことを考えながら、俺は掌から軽く火花を散らした。

「ちっ……おい、ついて来い」

 小さな舌打ちと共に、

俺にしか聞こえない程度の大きさでそう呟いた目の前のネズミ野郎は、

くるりと踵を返すと、迷うことなく歩き出した。

 後について、俺も歩き出す。

後ろで伝言役をしていた奴が慌てながらついて来たのが分かったが、

無視してズンズン進む。

 おいおい、こりゃあ、良い感じに事が進みすぎじゃねぇの?

このまま行くと、この依頼簡単に終わりそうなんだけど。

 ……いやいや、気を引き締めろ、エレク・ペアルトス。

いくら簡単に事が進んだからって、気を抜いていたらダメだ。

 なんたって、こいつらは戦争おっぱじめようって奴らの仲間なんだ。

用心しないと。

 パン、と音を立てて、俺は自分の頬を軽くはたいた。

 ネズミ野郎に訝しげな目で見られたが、無視して歩く。

 周囲を警戒しながら歩くこと、およそ十分後。

俺たちは、ジェットコースターの傍にある、『従業員管理人室』

と銘打たれた小さな部屋の中にいた。

 部屋の中には小さなテーブルが一つと、椅子が四脚あり、

出口側にねずみ野郎共、壁に押し付けられるようにして俺が、

対面で座っている。

 確かに、ここはジェットコースターの傍……

というか裏側に掘っ建てられた小さなプレハブ小屋みたいなもんで、

非常に目立たないように作られている。

 どうやら、普段からこいつらの溜まり場に使われている場所のようだった。

 ……あんまり良い場所じゃねぇな。

どこに隠し部屋があるか分からないし、

他の奴ら……さっき声を掛けられなかった二人がやってくる可能性もある。

 俺の知らない、こいつらの仲間がやってくる可能性もまた然りだ。

 ……となると、さっさと終わらせちまうのに限るな。

 俺は顔を上げると、俺をここまで先導してきた奴の顔を睨む。

 奴の視線や表情は着ぐるみに遮られて見えないが、

こちらを向いているのが分かれば十分だ。

 俺が口を開きかけた瞬間、着ぐるみの奥から声が響いた。

「お前は何者だ? どこに所属している? 

我々のことは極秘事項として取り扱われていたはずだ。

外部に漏れるなどという事は有り得ないというのに」

 威嚇と困惑を孕んだ声が俺に突き刺さる。

 俺はその声を無視して、今度こそ口を開いた。

「お前たちはこんなところで何をしていたんだ? 

ここは国民的な遊園地だ。ここで何かやらかせば、

ただじゃあ済まないって事くらい、お前たちにも分かってるはずだろ?」

 俺の言葉に怯んだように、肩をビクつかせる伝言役の男。

「あ、あ……」と脅えたような声を上げたところで、

もう一人の男に睨まれ、そのまま縮こまった。

 ……なんであんなのがこいつらの仲間なんかやってんだ?

使えないだろうに。

 そんなことを考えていると、怒気と苛立ちの混じった声で、

目の前の男が口を開いた。

「質問をしているのはこちらだ。状況が分かっているのか?

お前はこちらの気分しだいで命を左右されるんだぞ?」

 出たよお決まりの言葉。

 ……でもさぁ、正直なところ一対一なら俺の素早さでどうとでも――

そんな風に余裕をこいていたのがいけなかった。

 さっき油断はしないって気合を入れたのに、いつの間にか慢心していた。

 だから、縮こまっていたはずのネズ公が、

   

いつの間にか俺に銃口を押し付けていたことに気付きもしなかった。

   

「さて、この状況でも今まで通りの余裕を見せられるか?

ここで意地を張っても、何の得も無いだろう? ……賢明な決断を、期待しよう」

 今までとは違って、今にもニヤニヤと笑い出しそうな声で嗤い始めるネズミ野郎。

 ……まずった。このネズ公、使えない奴の演技上手すぎだろ!?

 顔を引きつらせながら、

俺は少しでも時間を稼ぐために、銃口を突きつけてくるネズ公に声を掛ける。

「お前、俳優にでもなったほうがいいんじゃねぇの?」

「………………」

 いままでのオドオドぶりが嘘のように、全く表情を変えないネズ公。

くっそ、時間稼ぎにもなりゃしねぇ。

 そんな時、俺の耳に足音が聞こえてきた。

音の大きさから、どうやら走って来ているらしい。

 おいおい、マジかよ!? この二人だけでもヤバイってのに、

もう一人増えやがったらどうしようもねぇぞ!

 焦る俺の耳に、だんだんと近付いてくる足音がなぜか大きく聞こえる。

「……どうやら、時間のようだ。

情報を聞き取れなかったのは残念だが、仕方ないな……おい」

 ネズミ野郎が、あごを大きくしゃくった。

 それに合わせて、ネズ公も頷く。

 ネズ公の指が撃鐡を下げる。

 足音が近付く。

 ネズ公の指が、トリガーにかかる。

 足音がすぐそこまで近付いてくる。

 ネズ公の指に、力が加わる。

 轟音が――

 

   

 銃声ってのは、よく“乾いた音~”だの何だのと例えられる。

 それは、文字表現においてそれ以上に良いものが

無かったからなんだろうけど、別に乾いた音って表現は、

銃声だけの専売特許じゃあ無い。

 だから、俺の聴覚が捕らえた轟音

――乾いた音だって、

何も俺の頭の真後ろで銃口から弾が吐き出されたってわけじゃあ、

無いんだよ。

   

 ネズ公の指がトリガーに掛かる。

 そして、その指に力が入れられて

――バン、という乾いた音が、俺の聴覚に飛び込んだ。

 それから続いて、ゴロゴロと何かが転がる音と、

金属的な何かが床に落ちて立てたキィンという音が、

混乱した俺の脳内に入り込む。

 何が起こったのか、いやさ、何が起こっているのか、

俺にはわからなかった。

 ただ、俺は死を免れた、という安堵感だけが、

俺の胸の中に広がっていた。

「なんだ!? なにが起こった!」

 俺の目の前にいるネズミ野郎が、慌てたように周囲を見回す。

 そして、ある一点――俺の真後ろを見た瞬間、

着ぐるみ越しでも分かるほどの、大きな動揺を見せた。

 ……なんだ? 一体何があるってんだ?

 今までの冷静さを失って、まるで信じられないものでも見るかのように、

そこから視線を動かさないネズミ野郎は、どこか不気味さを感じさせる。

 このネズミ野郎がここまで動揺するって事は、俺の後ろには今現在、

何かもの凄いものがいるってわけだ。……でも、一体なんだ?

 こいつらの仲間の線は薄い。もしそうだとしたら、

こんな風に驚く必要が無い。同じ理由で、俺の仲間の線もパス。

そのぐらいの事態は、こいつらだって想定しているはずだ。

 ……おいおい、まさかBE○Aみたいなのがいるんじゃあないだろうな!?

もしそうなら、ちょっと怖すぎるぞ……ってまぁ、そんなわけ無いよな?

大丈夫だよな!? 

 いやでも、この冷血ネズミ野郎が動揺して固まるくらいだから、

そこにはまりもちゃんばりのトラウマシーンが……っ!

 うわあぁあああ! やっべえぇええ! 想像したら怖くて振り向けねぇ!

 冷や汗をたらしながら、俺は目の前のネズミ野郎に問いかける。

「な、なあ、俺の後ろに、一体なにがいるのさ?」

「……」

「お、おい、なんか言ってくれよ。頼むから」

「……」

「……」

 完全にスルーしやがったよ、コイツ。

おかげでなんか気まずい沈黙が……。まぁ、元から気まずかったけど。

 とにかく、目の前のネズミ野郎は当てにならねぇ!

ええい、男は度胸だ! うし、行くぞ。

 ……三、二、一!

 心の中でタイミングを図って、勢い良く振り向いた俺の目の前に

   

――真っ赤な色をした着物を着て、もぞもぞと動く侍の姿があった。

   

「んな……」

 俺の心の中に、疑問符が吹き荒れた。

 何でこんなところに、とか、連れはどうした、とか、

その真っ赤に濡れた顔は何だよ、まさかネズ公食ってんのか? とか、

色々聞きたいことはあったが、俺の口からこぼれたのは、ただ一言。

「……バシュ!」

「……んあ?」

 俺の声に反応して、深紅に染まった顔をこちらに向ける侍の名前にして、

今の状況を打ち破ってくれるかもしれない男の名前

   

――バシュ。

   

 ヘタレ侍が、ここに降臨した。

 

 目の前の事態に頭がついていかない。こういう時はどうすればいいんだっけ?

 なんでだ? なんでここにヘタレ――バシュがいる? コイツは世界中を旅していたはずだ。

確かに、たまたまここにたどり着いたという可能性もあるだろう。

しかし、基本的に着の身着のまま放浪しているのだから、

こんな遊園地の入場チケットなんて買う金は無いはずだ。

 それに……こんな所に寄り道するのを、バシュの連れは許さないだろう。

 だってアイツ、基本的に闘うこと以外あんまり頭に無いもん。

 ……っていうか、それどころじゃねぇ! なんだバシュのあの顔は! あの着物は!

 目を白黒させながら、俺は一つの疑問を口にした。

「な、なあバシュ。お前一体どうしたんだ? まさかそれ……血、じゃないよな?」

 俺の問いかけを聞いて、しばらく意味を反芻していたらしいバシュは、

バッ、と顔を上げると、ものすごい勢いで首を横に振り、否定の言葉を口にした。

「な、何を言うのでござるかエレク殿! これは血なんかじゃないでござるよ! 

これはさっきリンショウ殿から逃げ出したときに……はっ、リンショウ殿は!?」

 きょろきょろと周囲を見渡すバシュに、俺は声を掛ける。

もちろん、疑問つきで。

「大丈夫、リンショウは来ちゃいないよ。ってか、なんでバシュがここにいんのさ」

 俺の言葉に、複雑そうな顔をして黙り込むバシュ。

 ほんの数秒ほど顔を伏せると、ゆっくりと口を開いた。

「これには少々深い事情があるのでござるよ。それでも聞くのでござるか?」

「うん、聞く」

 バシュの問いかけに、即答で答える俺。

っていうか、こんな面白そうな話を聞かないなんていう選択肢があるわけが無い。

「ふむ、そうでござるか。では――あれは確か、昨日の夜のことでござる。

野宿をする場所を探していた拙者たちの前に、一人の美しい女性が現れたのでござるよ。

どうやらその女性も旅人だったようで、拙者たちと同じように野宿をする場所を探していたのでござる。

そして、彼女は酷く衰弱した様子で、拙者たちにこう言ったのでござる。

『お願いです。少し水を分けてくれませんか』と。

もちろん拙者たちは承諾したでござる。ただ、少しばかり条件をつけて、ではあるのでござるが。

とにかく、拙者たちは女性が水を飲み干すまで待ってから、こう切り出したのでござる。

『何か食べ物を分けてください、お願いします』

このときの拙者たちは、飢えに飢えていたのでござるよ。

しかし、拙者たちに対して女性は、申し訳なさそうな顔で『ごめんなさい』と言ってのけたのでござる。

何故なのかと聞いてみれば、女性は端的に言えばエルフ――妖精さんらしく、

水と光があれば生きていけるのだとか。

本当かどうか確認したら、デイバッグの中にはものの見事に日用品しか入ってなかったのでござる。

そのことを知った拙者とリンショウ殿はがっくりと肩を落として、女性を見送ったのでござるが、

去り際に女性がこの遊園地のフリーパス権とやらをくれたのでござるよ。

これが、一日だけなら食事やアトラクションなどを、

全てを無料で利用できるとかいう夢のような券だったわけで――拙者とリンショウ殿は、

寝る間も惜しんでここにやってきた、というわけでござる」

「ふぅん」

 うーわ、本当にすげぇ長かったよ。聞かなきゃよかった。

 ってか、その真っ赤に染まった体については何も解決してないんじゃ……。

 俺が三度疑問を口にしようとしたその時、不意にバシュが口を開いた。

「エレク殿。この拙者の下敷きになって伸びている着ぐるみの方たちは一体どちら様でござるか?」

「え?」

 着ぐるみ……? 着ぐるみって……!

「マズイ!」

「動くなぁ!」

 俺が叫びながら振り返ったのと、ネズミ野郎が眉間に銃口を押し当ててきたのはほぼ同タイミングだった。

 ……やっちまった。最悪だ。

 さっき調子に乗って失敗したばっかりだってのに、また同じようなミスを犯している。

 折角バシュが作ってくれたチャンスだってのに、無駄にしちまったなぁ。

「~~っ! ~~!」

 ネズミ野郎が喚いている間に、俺は周囲に視線を飛ばしていた。

 しかし、何も使えそうなものは無い。いつの間にかバシュの刀は小屋の外に放り出されているし、

ネズ公の持っていた拳銃はしっかり回収済み。

 ……これは詰んだな。諦めよう。

 俺は潔く目を閉じた。閉じる寸前に視界に何かが映った気がしたが、もうどうでもいい。

 せめて痛くないよう一発で、とか考えている俺に、ネズミ野郎は声を掛けてきた。

 ……いや、声を掛けてきたと言うのはおかしいかもしれない。

 どちらかと言えば、演説のように叫んでいる感じだ。

「散々てこずらせてくれたな、このガキ共が。チビも、そこの侍男も、一発で殺してやる。

殺してやるぞぉ!」

「うっさいな。性格変わってんぞ、小心者のネズミ野郎」

 ――とは、さすがに言えなかった。

 だって、それを口にする前に、とてつもない衝撃が俺の顔面を襲ったのだから。

 口内に、血の味が広がった。

 

 回る回る。

 視界が回る。

 そりゃもう、さながらジェットコースターのように。

 ぐるんぐるんと回る視界の中には、

だんだんとこっちに迫ってくるバシュの顔が。

 ……違うな。迫ってきているんじゃなくて、

俺がものすごいスピードで突っ込んで――

「ぬがっ!」

「ごはっ!」

「げふぅ!」

「ぶはぁ!」

 狭い小屋の中に、悲鳴の四重奏が響き渡った。

 ちなみに、上から順にバシュ、俺、ネズ公、ネズミ野郎の順だ。

 何が起こったのかはいまいち把握できないが、

どうやら俺は助かったらしい。

 ……なんか、運が良すぎて気持ち悪いな。

なんかこの先、この運のよさのあおりで、

ちょっとしたミスでも死にそうな気がするんだけど。

 いかんいかん。思考がまた変なところに飛びかけてる。

 今そのせいで二度死にかけったってのに。

ホント、俺って学習しないなぁ。

 俺は内心で微妙にショックを受けながらも、

顔を起こして小屋の内部の様子を伺う。

「うわぁ……」

 思わず、微妙に裏返った声がこぼれる。

 でもしょうがないだろう? 

なにせ、俺の目の前には地獄絵図が浮かんでいたんだから。

 置かれていたテーブルは真ん中から綺麗にへし折れ、

小さな椅子は粉々に砕け散っている。

 俺の足元に視線を落とせば、

着ぐるみに挟まれて今にも死にそうな顔をしているバシュ。

 ……こんな絡み、一体誰に需要があんだよ。うぇっ。

 だがまぁこれだけなら、地獄絵図とはいえないだろう。

 なぜなら、地獄に付き物である存在が見当たらないからだ。

 地獄の付き物。

 地獄の憑き物。

 即ち――鬼。

 赤鬼だろうが青鬼だろうが鬼には変わりないんだが、

目の前にいるこいつは、強いて言うならば、――灰鬼。

 そう、どうやら入り口の戸をぶち破って転がり込んできたらしい、

このそそっかしい鬼は、灰色の髪と、灰色の袴。灰色のノースリーブ

――と言うか、元は着物だったものが、

袖が破れてノースリーブになった物のようだ――

を着ていた。

 全身灰色尽くし。

 床に転がっているネズミどもよりよっぽどネズミらしい。

 だが、眼前のコイツはネズミじゃない。

 百八十センチを優に超える巨体と、

この世の全てを呪い殺さんとばかりにぎらついた三白眼。

 山のごとく盛り上がった筋肉は、鋼のごとき頑強さを誇る。

 これほどまでに鬼という言葉が当てはまる人間を、

俺は見たことが無い。

 ……まぁ、覚えてるのはせいぜい一年前後の記憶だが。

「バシュゥ! 迎えに来たぞ! 

さあ、共に世界一の落下角度を誇るという、

素晴らしいジェットコースターに乗り込もうではないか!」

 そんなことを考えていると、

目の前の鬼がまるで森に住む巨体妖怪がごとく大きな声を張り上げていた。

 その声はビリビリと周囲の空気を振動させ、

このぼろい小屋の屋根やら壁やらを、ギシギシと軋ませる。

 ……それにしても、声がでかい。

 鬼とバシュの距離はは数メートルしか離れてないってのに、

まるで何百メートル先にいるかのように声を張り上げている。

 この豪胆さが、この鬼を鬼たらしめている要因の一つだろう。

「そ、そんな! リンショウ殿、勘弁して欲しいでござる!

ほ、ほら、拙者は途中でイチゴのジュースをぶっ掛けられたせいで、

こんな風に真っ赤でござる! 

臭いもひどいし、こんな格好でジェットコースターに乗ってしまえば、

周囲のお客さんに迷惑が掛かってしまうでござるよ。ねぇ、エレク殿!」

 な!? こっちに振るな! 

 俺がそっぽを向いてシカトすると、

バシュの奴は「そんなぁ~」と情けない声を上げて、

鬼――リンショウの方へと向き直った。

 すがるような目線でリンショウを見つめていたバシュだったが、

リンショウはそれを無視し、非常にいい笑顔で

――見るものを震え上がらせるような、非常にいい笑顔で言い放った。

「大丈夫だ。そんなことを言うやつはワシが叩きのめしてやろう。

お前のことは守ってやる。心配するな」

 ……これがラブなコメディだったなら、

そして、相手が美少女だったなら、この台詞はもうズキューンと、

ハートを一発で射抜くような、

恐怖心を一発で射抜いて、つり橋効果で一緒にハートまで射抜くような、

そんな場面だっただろう。

 ただ、今回は違う。

 今回は相手が男だったし

――まぁ女だったら良いわけじゃないんだけど――

バシュの前後の台詞から考えても、最後通牒に他ならなかった。

「……ご愁傷様」

 俺は心からの憐憫の情を込めて、そう呟いたのだった。

 ……ん? ネズミ共? 普通に気絶してたよ。

   

   

 さて、なんともあっけない幕切れだった今回の死ぬ死ぬ騒動。

 これにて一件落着なわけだが、それはそれ。

 まだ俺にはコイツらが何をしていたのか聞き出さなくちゃいけない。

 間違いなく、寸分の間違いもなく、

コイツらは説明にあったクーデター部隊の下っ端だろうからな。

 しかしまぁ、簡単には口を割らなかった。

 簡単には口を割らない。

 感嘆するほどに口を割らない。

 コイツらのプロ根性が垣間見えた瞬間だった。

 とは言え、こちとら大手の傭兵企業に勤めているもんだから、

職業柄、拷問なんてお手の物だ。

 どんな方法を使ったのかまでは言わないが、

端的に言えば恐怖を植え込んだ感じだ。

 ……知ってるか? 拷問用の鞭ってのは、

SMプレイに使う鞭なんかとは比べ物にならないくらい痛いんだぜ?

 それこそ、大の大人が二、三回連続で叩かれれば、

ショック死しちまう位には。

 ま、そのおかげで情報を聞き出せたわけだが。

 自分の身内には情を抱くけど、

その他は割りとどうでもいい。それが俺たち傭兵なんだよ。

 ……後味が悪いのは確かだけどな。

 まぁ、そこは仕事と割り切るしかないのさ。

 殺し殺され。

 殺して、生きる世界。

 自分の感情もまた――殺す。

 そうやって生きていくのが、俺たち傭兵なんだから。

 今日もまた、殺した。

   

   

「たっだいまぁ~」

 手を振りながらリンショウたちの元に帰ってきた俺は、

聞き出してきたことを伝えるために、二人の耳に口を寄せた。

 その際に、バシュが俺の絶縁包帯

――俺が勝手にこう呼んでるだけで、正式名称は知らない――

に付着していた血のことを指摘してくれた。

 危ない危ない。さすがに遊園地内をこれで歩くわけにはいかないしな。

 さっと取り替えて、もう一度説明。

 説明を聞き終わったバシュが、小さく震えた。

「なるほど、この遊園地中に爆弾でござるか。

……それはまた、なんとも大胆な」

「そうだな。ついでに言えば、

それに乗じて行動を開始する実働部隊もいるらしい。

きっと本命はこっちで、

こいつらを使って戦争の火種を作ろうってんだろう」

 そう、爆弾はカムフラージュでしかない。

 外国の部隊が自国を侵略するためにやった、

そういった体裁を取り繕うためのものだ。

 火種を繕って、

 火種を作る。

 実働部隊も二つに分かれていて、

片方は外国人だけで編成された部隊らしいから、

きっとこれが火種になるのだろう。

 ……チクショウが。ふざけやがって。

 気が付けば、俺の拳が震えていた。

 恐れからじゃなく、怒りから来る震えだった。

「クソッタレが! 人を何だと思ってやがる!」

 俺は人目を憚らずに激昂した。

 さっきまで冷酷に人を恐怖で押さえつけていた奴が何を、

と思うかもしれないが、それでも許せないものは許せないんだから、

どうしようもない。

 結局のところ、俺は矛盾に満ち溢れた人間で、

こんな風に綺麗事を言ったところで、

自分が他人に対して行った悪行の罪滅ぼしにしようという動機が、

言葉の端々から見え隠れしている。

 欺瞞だらけで、

 偽善だらけだ。

 それでも――それでも、俺に救える命があるのなら、救って見せる。

「だから、俺に力を貸してくれないか」

 俺は頭を下げて、目の前の二人に頼み込む。

 我ながら浅ましいが、そんなことに構っている暇は無かった。

 誰かを助けるために、自分を殺す。

 殺す。

 そうやってしばらく頭を下げ続けていたが、

一向に返事が返ってこない。

 ……やっぱり無理か、と諦めようとしたその時、

遠くから二人の声が返ってきた。

「おお~い、エレク殿~! 拙者、一つ見つけたでござるよ!」

「こちらも一つ見つけた! これから他を探しにいく! 

お前は実働部隊とやらを探し出せ! 任せたぞ!」

 そう言って、人ごみの中に消えていく二人。

「は、はは」

 乾いた笑みが、俺の唇から零れ落ちた。

 ――なんだ。いるじゃないか。きちんとした仲間が。

 こんな俺でも、信頼してくれる仲間が。

「それじゃあ、いっちょやりますか!」

 俺は一人そう呟くと、二人とは逆の方向へと踏み出した。